May 0351998

 青葉がちに見ゆる小村の幟かな

                           夏目漱石

葉の山道にあって、作者は遠くにある小さな村を眺めている。青葉のかげから風にはためく幟も見えて、気分爽快だ。一目瞭然の句。……と言いたいところなのだが、実は私たち現代人にとっては厄介至極な句なのである。厄介なのは、この「幟」の正体がわからないことだ。私たちは単純に「鯉幟」と読んで、青葉とのコントラストを思い浮かべてしまうが、漱石がこの句を詠んだ明治期では「幟」は「鯉幟」とは限らなかった。東京あたりでは、子規が「定紋を染め鐘馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ」と嘆いたように「鯉幟」が風靡していたようだが、さあ句のような山間の小村となると、どちらだかわからない。たとえ今この句の舞台である小村がわかったとしても、幟の姿は永遠にわからないわけだ。が、とりあえず、明治以前の俳句や文物での「幟」を単純に「鯉幟」とイメージしないほうがよさそうである。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)




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