March 3031998

 花こぶし汽笛はムンクの叫びかな

                           大木あまり

夷の花は、どことなく人を寄せつけないようなところがある。辛夷命名の由来は、赤子の拳の形に似ているからだそうだが、赤ん坊の可愛い拳というよりも、不機嫌な赤子のそれを感じてしまう。大味で、ぶっきらぼうなのだ。そんな辛夷の盛りの道で、作者は汽笛を聞いた。まるでムンクの「叫び」のように切羽詰まった汽笛の音だった。おだやかな春の日の一齣。だが、辛夷と汽笛の取り合わせで、あたりの様相は一変してしまっている。大原富枝が作者について書いた一文に、こうある。「人の才能の質とその表現は、本人にもいかんともしがたいものだということを想わずにはいられない。……」。この句などはその典型で、大木あまりとしては「そう感じたから、こう書いた」というのが正直なところであろう。本人がどうにもならない感受性については、萩原朔太郎の「われも桜の木の下に立ちてみたれども/わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(「桜」部分)にも見られるように、どうにもならないのである。春爛漫。誰もが自分の感じるように花を見ているわけではない。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます