March 2931998

 浜近き社宅去る日のさくらかな

                           芦澤一醒

勤の季節。住み慣れた土地を離れるのは、なかなかにつらいものがある。職場を変わることよりも、生活の場が変わることのほうが数倍もしんどい。新しい土地への期待もなくはないけれど、もうこの潮騒ともお別れだし、折しも咲きはじめた桜の花も再び見ることはないだろうと、引っ越しの忙しい最中に、作者が感傷的になっている気持ちはよくわかる。サラリーマンの宿命といえばそれまでだが、しかし、この宿命は人為的なそれであるがゆえに、どこかに「理不尽」の感覚がつきまとってしまう。妻帯者ならば、なおさらだろう。セコい話になるが、私は転勤を恐れて、全国にネットを張っている会社には初手から入ろうとしなかった。そして、その考えは正解だった。……のだが、はじめて入った東京にしかオフィスのない理想の会社が、あえなく潰れてしまったのだから、正解はすぐに誤解となった。やっと次に入った会社も倒産の憂き目を見たし、いまではもう、この句の作者をむしろ羨ましいとさえ思う心境も、半分くらいはあるのである。俳誌「百鳥」(1997年7月号)所載。(清水哲男)




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