March 2831998

 出し穴を離れずにゐる地虫かな

                           粟津松彩子

阪から出ている「俳句文芸」というユニークな雑誌があって(残念ながら直接購読制なので、書店にはない)、ここに延々と連載されているのが「私の俳句人生」という、この句の作者への聞き書きだ(聞き手は、福本めぐみ)。それによると、揚句は作者が二十歳にしてはじめて「ホトトギス」の選句集に入った記念すべき作品である。句意は明瞭だから、解説の要はないだろう。二十歳の若者にしては、老成しすぎたような感覚にいささかの不満は残るけれど……。ところで、この連載の面白さは、松彩子の抜群の記憶力にある。その一端をお裾分けしておこう。「私は昭和五年から、ずっとホトトギス関係の句会には出席していたけど、その時分の句会費というと二十銭やった。うどん一杯、五銭の頃や、映画の一番高い大阪の松竹座が五十銭。僕は他には何にも使わないんやけど、月に何回かの句会と、たまの映画で、小遣はいつも使い果たしていたな。……」といった具合だ。松彩子は、今年で八十六歳。尊敬の念をこめて言うのだが、まさに「俳句極道」ここにありの感がある。颯爽たるものである。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)




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