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March 2331998

 はなはみないのちのかてとなりにけり

                           森アキ子

者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)


March 0432001

 瞼の裏朱一色に春疾風

                           杉本 寛

の強風、突風である。とても、目を開けていられないときがある。思わずも顔をそらして目を閉じると、陽光はあくまでも明るいので、「瞼の裏」は「朱(あけ)一色」だ。街中でのなんでもない身のこなしのうちに、くっきりと「春疾風(はるはやて)」のありようを射止めている。簡単に作れそうだが、簡単ではない。相当の句歴を積むうちに、パッとそれこそ疾風のように閃いた一句だ。ちなみに天気予報などで使われる気象用語では、風速7メートル以上を「やや強い風」と言い、12メートル以上を「強い風」と言っている。コンタクトを装着していると、7メートル程度の「やや強い風」でも、もうアカん(笑)。その場でうずくまりたくなるほどに、目が痛む。だからこの時季、街角で立ち止まって泣いているお嬢さんに「どうしましたか」などと迂闊に声をかけてはいけない。おわかりですね。この春疾風に雨が混じると、春の嵐となる。大荒れだ。ところで私事ながら、今日は河出書房で同じ釜の飯を食い、三十年以上もの飲み仲間であった飯田貴司君の告別式である。享年六十一歳。1960年代の数少ない慶応ブントの一員にして、流行歌をこよなく愛した心優しき男。ドイツ語で喧嘩のできた一世の快男子よ、さらば。……だね。天気予報は、折しも「春の嵐」を告げている。すぐに思い出すのは石田波郷の「春嵐屍は敢て出でゆくも」であるが、とうていこの句をいま、みつめる心境にはなれない。まともに、目を開けてはいられない。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 2732003

 春荒や封書は二十四グラム

                           櫂未知子

語は「春荒(はるあれ)」。春の強風、突風を言う。春疾風(はるはやて)に分類。静と動の対比は、俳句の得意とするところだ。句の出来は、対比の妙にかかってくる。あまりに突飛な物同士の対比では句意が不明瞭となるし、付きすぎては面白くない。そこらへんの案配が、なかなかに難しいのだ。その点、掲句にはほどよい配慮がなされていると読めた。これから手紙を出しに行く外は、春の嵐だ。少し長い手紙を書いたのだろう。封をして手に持ってみると、かなり重い。80円切手では、料金不足になるかもしれない。そこで、計ってみた。私も持っているが、郵便料金を調べるための小さな計量器がある。慎重に乗せてみると、針は「二十四グラム」を指した。ちなみに定型封書は、25グラムまでの料金が80円である。リミットすれすれの重さだったわけだが、表の吹き放題に荒れている風に対比して、なんという細やかな情景だろうか。すれすれの重さだったので、作者は何度か計り直したことだろう。日常的な行為と現象の、なんの衒いも感じさせない対比であるだけに、読者には格別な「発見」とは思えないかもしれないが、なかなかどうして、これはたいした「発見」だと思った。頭だけでは書けない句だとも……。「俳句」(2003年4月号)所載。(清水哲男)


March 3032003

 春北風楽聖の絵のひとならび

                           須佐薫子

句で「春北風」とあれば「はるきた」と読むのが普通なのですが、掲句は「はるきたかぜ」と普通に読ませています。ああ、ややこしい(笑)。春疾風のひとつ。春の風といえば南風が普通だろうと思うのは素人で(失礼)、北風もごく普通によく吹いています。何年も天気概況を放送してきた私が言うのですから、嘘ではありません。それはともかく、句の情感はよくわかりますね。春休みの学校の様子でしょうか。あるいは普通の休日の音楽教室なのかもしれませんが、何かの用事でひとり教室に入ったのでしょう。外は春の嵐ですから窓を開けるわけにもいかず、普通の日ならにぎやかな教室も、しいんと静まり返っています。ピアノの蓋はしめられており、ガランとした室内を見渡していると、自然に目に入ってくるのは壁に貼られた「楽聖のひとならび」の肖像画です。普通の音楽の時間であれば、あまり気にも止めない彼らの顔が、いやにリアルに迫ってくる感じ……。私は小中学校を六回転校しましたが、どの学校の音楽室にも、ベートーベンやモーツアルトの同じ複製の肖像画が、普通に掲示されていました。あれはいったい、いかなる教育的根拠にもとづいていたのでしょうか。顔と音楽って、そんなに深い関係があるのかしらん。なかで私が何故か気になっていた一枚は、「魔笛」を作曲しているモーツアルトの姿でした。つまり、晩年の肖像ですね。苦悩する楽聖の背後にはオペラの一情景が描かれていて、いやにおどろおどろしく、一目見た誰でもが、モーツアルトを嫌いになっても普通だというような代物でした。あの暗い絵のせいで、クラシックはどれほど近未来のファンを失ったことでしょうか。「魔笛」は、しごく普通の感覚からすると、こんな作品です。「あらすじだけ見れば史上最低のハチャメチャ作品。モーツァルトの他の作品と違って、大衆劇場の興行師であるシカネーダーが自分の劇団のために作ってもらったもので、もちろん台本もオリジナル。団員が、何人かよってたかって台本を作ったためか、途中で善者と悪者の大逆転なんか朝飯前、ストーリーの矛盾点をつつけば、本が一冊できるくらいひどいものです」*。あの苦悩する肖像の意味を、教室に掲示した先生がたはご存知だったのでしょうか。……とは、つまらない皮肉です。ごめんなさい。「俳句」(2003年4月号)所載。(清水哲男)

[「春北風」の読みについて ] 読者より、メールをいただきました。「ハルナライと読ませるのだと思います。ナライは関東で冬の季節風をいうとして、春北風にハルナライ(ヒ)とルビがあり見出し語になっています。最新俳句歳時記・春(山本健吉編・文藝春秋)」。K.Y.様。ありがとうございました。私が定本としている角川版歳時記には載っていませんが、その他の歳時記でも確認されました。またまた私のミステイクですが、自戒のため、このままにしておきます。


April 2542005

 暗算の指動きたる春疾風

                           横山香代子

語は「春疾風(はるはやて)」。春の強風、突風のこと。私はコンタクトをしているので、毎春のように泣かされている。目に微小なゴミが入るために、痛くて涙が出てくる。泣きたくはないのだけれど、周囲の人が見て泣いているように見えるのは、不本意だが仕方がない。格好悪い。掲句を読んだとき、もしかすると作者もコンタクトをしているのではないかと思った。そして暗算が得意な人だろうとも。結論から言えば、この句は突風に身構える句だ。その身構えが、決してやり過ごすことのできない相手に対してのように写るので、原因はコンタクトかもしれないと思った次第である。もちろん「春疾風」と「暗算」とには、何の関係もない。が、コンタクトをしていると、歩きながらでも瞬間的意識的に目を閉じることもあるわけで、その状態がかつて得意とした潜在的な暗算の世界につながったとしても不思議ではない。暗算は、目を閉じたほうが雑念が減ってやりやすい。目を閉じて、読み上げられる数字を頭の中にイメージした算盤(そろばん)に置いていく。そして、指は算盤玉を弾くように実際に動かすのである。容赦なく、まさに疾風のように読み上げられ襲いかかる数字をしのいでいたかつての経験が、なかば本能的に春の突風に対しても頭をもたげてきてしまった。他人には理解不能でも、当人にだけはよくわかるとても自然で「不自然な行為」なのだ。そのことに気がついて、思わず苦笑いをして……。そんな諧謔の句であり、局面は違っても、誰にもそうした種類の行為には覚えがあるだろうから、読者の微苦笑を誘うというわけだろう。「俳句界」(2005年5月号)所載。(清水哲男)


March 3132009

 春荒や水車は水を翼とし

                           菅 美緒

書のうえでは春の嵐と同義にされる「春荒(はるあれ)」だが、心情的には「嵐」とひとくくりにされるより、もっと春の持つ爆発的なエネルギーを感じさせる独特な荒々しさを持っているように思う。掲句では、激しい風にあおられながら、水車のこぼす水がまるで白い翼を持つ生きもののようだという。村上春樹の小説『納屋を焼く』(新潮文庫)に「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がする」という印象的な文章があった。そこにはあらゆる種類の暗闇が立ちこめていたが、掲句では水車が能動的に羽ばたくことを選び、大空へ飛ぶチャンスをうかがっているように見える。それは人をやすやすと近づけることを許さない「春荒」という季題が、水車に雄々しい自由と自尊心を与えているのだろう。〈子のごとく母を洗へり春の暮〉〈交みゐて蛙しづかに四つの目〉『洛北』(2009)所収。(土肥あき子)


March 1732011

 時刻表レレレレレレレ春嵐

                           渡辺テル

車が通過するのを表す「レ」記号は片仮名のレに見える。通過駅を表すこの記号がいつから使われているのか鉄道に詳しい人ならわかるかもしれない。掲句は特急が警笛を鳴らしながら風を巻き起こして通過していく様子から嵐を想像したのか、レレレレと口ずさんでみれば特急に乗って旅している気分にもなる。昨年の7月時刻表を片手にローカル線を乗り継いで気仙沼、釜石を廻り遠野を旅した。先週の金曜日に強い揺れがおさまった直後、職場でつけたテレビで海鮮丼を食べた桟橋や宿泊したホテルが津波に飲み込まれてゆく映像を見て息をのんだ。海を見下ろす駅で、美しい景色を楽しむ観光客のために長めに停車してくれた三陸鉄道の運転士さん。旅先で出会った方々、どうかご無事でと祈るばかりだ。金曜日の午後を境にあのプラットホームから眺めた景色が消え心の冷える現実が残ったことが未だに信じられずにいる。「つぐみ」(2010.No103 10周年記念号)所載。(三宅やよい)


February 1322014

 春疾風聞き間違へて撃つてしまふ

                           野口る理

の突風はかなりのものだ。気象協会が出している『季節と暮らす365日』によると「初春は春と冬がせめぎあい、日本付近を通る低気圧は発達しやすく、風が強まる」とある。春疾風は寒冷前線による嵐で、このあとは日本海側は大雪や海難、太平洋側は乾燥や強風による大火事に警戒が必要、と記述されている。春疾風そのものが不吉な予感を含んだ季語なのだ。何を聞き間違えて引き金をひいてしまったのかわからないが、撃たれたのは人間だろうか獣だろうか。それにしたって「聞き間違へて」撃たれたらたまらない。撃たれた側は悲劇だけど、この言葉に、何とも言えない諧謔が含まれている。耳元で逆巻く春疾風の雰囲気も十分で、季語の本意を捉えつつ今までに見たことのない面白さを持った句だと思う。『しやりり』(2013)所収。(三宅やよい)


April 1542016

 よく遊ぶ目白やわが影置き忘れ

                           谷中隆子

の周りが白い輪っかになっているので目白。体は鶯色を少し明るくした感じの緑色である。留鳥で市街地でも普通に見かける。雀より心持小さ目な体でちょこまかと枝から枝へ遊んでいる。今いたと思うとそこにはもう居ない。いないのだが移動が速いので残像だけが残されている。よくこう夢中で遊べるなと感心する、とともにふと自分がこれほど夢中に遊べたのは最後はいつだったかと遠い目になる。この目白のように影諸共に自分を忘れて遊んでみたいものだとも思う。もう一度一心不乱遊べるようになれるだろうか、なりたいがなれそうもない。その他<梅を見に爆弾おにぎりひとつ持ち><桃の昼空の無辺をふと怖る><貝の殻壜に眠らす春嵐>などなど。「俳壇」(2013年5月号)所載。(藤嶋 務)


April 2242016

 海猫低く翔べる羽風や春北風

                           藤木倶子

猫は、日本近海のカモメ類で最も多く、別称「ごめ」。本州で繁殖するただ一種のカモメである。春先にそれぞれの越冬地から繁殖地である近海の島にわたる。これが「海猫(ごめ)渡る」という春の季語である。青森県の蕪島、山形県の飛島、島根県の経島(ふみしま)が有名で、これらの場所では天然記念物に指定されている。春のまだ寒い季節に吹く渡る春北風(はるならひ)の中を風を切って低く飛翔している。人間の目線に近い低さでその風を切る音も聞こえそうである。今を生きる為に餌を求め、鳴きながらも、寒さに耐えて野生の命はみんな逞しく生きて行く。他に<一斉に光集めて福寿草><闇はじく争ひの目や恋の猫><侘しさを頒ちて傾ぐ春北斗>などが並ぶ。俳誌「俳句」(2015年4月号)所載。(藤嶋 務)




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