G黷ェ句

March 2131998

 前略と書いてより先囀れり

                           岡田史乃

無精なので、私にはこういうことがよく起きる。「前略」と書きはじめたまではよいのだが、さて中身をどう書いたらよいものか。「前略」なのだから、簡潔な用向きだけを書けばすむ。しかし、この簡潔が曲者であって、なかなかまとまらない。思案しているうちに、春の鳥たちの囀(さえず)りが耳に入ってきた。で、しばし、手紙のつづきは思案の外に出てしまうのである。この句では、気に染まぬ相手宛の手紙だったのかもしれない。ところで手紙の作法では、「前略」と書きだした場合、男は「早々」などと締め、女は「かしこ」ないしは「あらあらかしこ」と挨拶して終る。最近まで知らなかったのだが、この「あらあら」とは「粗粗」、つまり「十分に意を尽くせませんで……」という意味なのだそうである。手紙の粗略を詫びているのだ。私はまた、女性らしい間投詞か何かの転用かと思っていた。もっとも、これまでに「かしこ」つきの手紙はもらったことがあるが、残念なことに「あらあらかしこ」はない。当方が、粗略な性質の故であろうか。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)


April 0841998

 囀やにんげんに牛集まつて

                           中田尚子

々とした牧場の光景だ。空には鳥(雲雀だろうか)の声があり、草の上には人なつこく寄ってくる牛たちがいる。すべて世はこともなし。のどかな光景だ。私に牧場体験はないけれど、「にんげんに牛集まつて」の描写のやわらかさにホッとさせられる、とてもよい気分になれた。鳥も牛たちも、そして「にんげん」も、ここでは大きな自然のなかに平等に溶けてしまっている。そこが句の眼目だ。だからこそ「人間」ではなくて、この場合はあえて「にんげん」なのである。それこそ、この句は作者の「にんげん」性の良質さに支えられた表現にちがいなく、読後すぐに格別の好感を抱いたというわけ……。ところで、牛といえば、以前から気になっている別の句がある。「さびしさに牛をあつめて手品せり」というのだが、どなたの作品なのでしょうか。数年前に雑誌かなにかで読んで、大いに気に入っているのだけれど、迂闊にも作者の名前を忘れてしまいました。作風からしてまだ若い俳人だと思いますが、ご存じの方がありましたら、ぜひともご教示くださいますように。「俳句界」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


April 1041999

 囀を聞き分けてゐる鳥博士

                           大串 章

の鳴き声は、地鳴きと囀り(さえずり)とに分けられる。地鳴きは仲間との合図のためなどの普通の鳴き声であり、囀りは繁殖期の求愛や縄張り宣言のための声だ。したがって、囀りは春の季語。句は、山中での所産だろうか。騒々しいほどに鳴く鳥たちの声を、一つ一つ厳密に聞き分けている「鳥博士」がいる。「博士」は鳥類専門の研究者かもしれないが、ここでは「素人博士」と読んだほうが面白い。鳴き声の種類をとてつもなくたくさん知っている人で、そのことをちょっと自慢に思っている。「鳥博士」にかぎらず、こうした「博士」はどこにも必ずいるものだ。「花博士」であったり「魚博士」であったり、はたまた「酒博士」や「異性博士」等々。当ページの協力者である詩人の井川博年君などは、さしずめ「俳句博士」だろう。この「鳥博士」は、いまのところ大人しい。しかし、こういう人にみだりに質問を発してはいけない。発した途端に、人にもよるが、堰を切ったようにあれこれと説明をしはじめる人もいるからだ。そうなると、辟易させられることも多く、やはり「博士」はひとり静かにそっとしておくべきだということを思い知らされたりする。もとより、それもまた楽しからずや、ではあるのだけれど。俳誌「百鳥」(1999年4月号)所載。(清水哲男)


March 1632001

 母に抱かれてわれまつさきに囀れり

                           八田木枯

恋の句。赤ん坊が小鳥のように「囀る(さえずる)」わけもないが、若き母親の期待に応えて、あのときに僕は一生懸命に言葉を発していたのですよと、いまは亡き母に訴え、賛意を求めている。でも、僕の声は人間の言葉にはならず、単なる囀りのようでしかなかったかもしれない。でも、とにかく僕が「まつさき」でしたよね、お母さん……。僕は、いまでもそのことを誇りに思っています。と、この心情にはいささかの狂気も感じられるが、しかし、亡き母を偲ぶ人の気持ちには、狂気があって当然だろう。狂気が言い過ぎならば、通常の世間とのつきあいでは成立せぬ感情が、母との関係においては、楽々と発生するということだ。母親とは、なにしろ世間を知るずっとずっと前からのつきあいだもの……。このときに、一方の親である父親は、いわば「最初の世間」として立ち現れるのだろう。そこが、母親と子供との濃密な関係を持続させる理屈抜きの要因だ。だから、同じ作者の「両手あげて母と溺るる春の川」の句にしても、よくわかる。母親とであれば、ともに溺れたってよいのである。両手をあげているのは、嬉々として溺れている狂気の世界を積極的に象徴してみたまでだ。「春の川」が、その心情に拍車をかけている。私の場合は母が存命なので、作者の狂気を十分に汲みとるわけにはいかない。でも、年齢のせいか、母への思いがこのように純化されていく心理的プロセスだけはわかるような気もしてきた。同じ作者に、こういう句もある。「井戸のぞく母に重なり夏のくれ」。妖しい狂気が漂っていて、三句のなかではいちばん印象深い。『於母影帖』(1995)所収。(清水哲男)


March 0232002

 囀りにきき耳立てるごはん粒

                           寺田良治

語は「囀り(さえずり)」で春。繁殖期の鳥の雄の縄張り宣言と雌への呼びかけを兼ねた鳴き声のこと。いわゆる「地鳴き」とは区別して用いる。これから、だんだん盛んになってくる。さて、掲句で「きき耳」を立てているのは「ごはん粒」だと書いてある。そのままに受け取って、ちっぽけなごはん粒が、いっちょまえなしたり顔をして囀りを聞いている可笑しさ。それだけでも可笑しいけれど、このごはん粒が、実は人の頬っぺたにぽつんとくっついていると読むと、なお可笑しい。だから、実際にきき耳を立てているのは人なのだが、頬っぺたのごはん粒は目立つから、まるでその人といっしょになって一心に聞いているように見えたというわけだ。きき耳を立てるとは注意深く聞くことだけど、その前にもっと注意深くすることがあるでしょう……。何か忘れちゃいませんか。そんな含みもありそうだ。楽しい句だ。子供のころ、ごはん粒をつけている子を見かけると、歌うように「○○ちゃん、お弁当つけてどこ行くの」と言った。見なかったふりをして小声で、遠回しに注意したものだ。「ついてるよ」とストレートに言って恥をかかせるよりも、笑いに溶かしてしまう情のある注意の仕方である。子供にも、粋なところがあった。『ぷらんくとん』(2001)所収。(清水哲男)


April 2342002

 囀りや少女は走る三塁へ

                           つぶやく堂やんま

ベアーズ
語は「囀り(さえずり)」で春。早朝というほどではないが、午前中の野球のような気がする。そんな爽やかさが伝わってくる。鳥たちの明るい囀りの中で、全力で「三塁へ」と走る少女の姿が美しい。さながら子鹿のバンビのような肢体が、目に見えるようだ。「三塁へ」が、実によく効いている。「一塁へ」でもいけないし、「セカンドへ」「本塁へ」でもいけない。むろん状況にもよるけれど、野手と交錯する確率の割に低い「三塁へ」は、いちばん伸び伸びと弾みをつけて走れるラインだからだ。当人が気持ち良く走っていれば、見ている側も気持ちが良い。最近は男の子の野球好きは確実に減ってきたけれど、逆に女の子の野球人口は増えてきた。子供たちの野球大会を見に行けば、句のような情景にはよくお目にかかる。しかも、活発な女の子にはユニフォームが似合うのですね。女の子と野球といえば、すぐに思い出すのが映画『がんばれ! ベアーズ(The Bad News Bears)』(1976/米)。常々野球映画を撮りたいと言っていた松竹の前田陽一監督が、悔しそうに「しまった、こんなテがあったのか」と天を仰いでおりました。飲んだくれ監督の率いるどうしようもない弱小チーム「ベアーズ」に、助っ人として誘われた女の子・テータム・オニールの凛々しくも可愛らしかったこと。投球フォームも堂に入っていて、日頃から野球に熱心な子かと思っていたら、後にまったく野球をやったことがないと知った。映画の話が来てから、父親のライアン・オニールが猛特訓したんだそうな。相当に運動神経と勘の良い子だったのだろう。さあ、がんばれ! 全国の野球少女たちよ。BBS「つぶやく堂」(NO.2311)所載。(清水哲男)


April 2442003

 囀りや良寛の寺手鞠売る

                           山田春生

敷市玉島にある円通寺での句だと、作者の弁にあった(「俳句」2002年10月号)。若き日の良寛が修業をした寺として知られる。近くの茶店では五色の糸でかがった美しい「手鞠(てまり)」が売っていて、折りからの鳥たちの「囀(さえず)り」と見事に明るく調和している。旅の春を満喫している句だ。良寛は子供たちと遊ぶために、いつも手鞠とおはじきを持っていたと伝えられてはいる。が、それは越後に戻ってからのことで、円通寺で鞠つきなどはしなかったろう。だから、ここの茶店で手鞠を売るのも変な話なのだが、ま、これ以上は言うだけヤボか。さて、幕が上がると、舞台ではひとり良寛が竹箒でそこらへんを掃いている。そこへ四、五人の女の子がばらばらっと登場して「良寛さん、遊ぼうよ」と口々に言う。と、すぐに箒の手を止めた良寛が「よしよし」と言いながら袂から手鞠を取りだした……。その良寛は小学四年生の私であり、女の子は同級生だった。懐しくも恥ずかしい学芸会の一齣だ。忘れたけれど、五色の手鞠などあるはずもないから、取りだしたのはゴムマリだったのだろう。むろん良寛の何たるかを知るはずもなく、先生の言うとおりに演じただけで、もう全体のストーリーも覚えていない。放課後に残されての練習のおかげで、上手くなったのはマリつきくらいだ。ところで、実は明日、その良寛の故郷を余白句会の仲間と訪ねることになっている。かつての子供良寛の目に、何が見えるのだろうか。楽しみだ。(清水哲男)


March 2932004

 さへづりや馬穴で運ぶ御御御付

                           馬場龍吉

語は「さへづり(囀)」で春。まず、字面が目を引く。「馬穴」は「バケツ」と容易に読めるが、「御御御付」とは、はてな何と読むのだろう。と、読者を立ち止まらせたら、作者の勝ちである。正解は「おみおつけ」で、味噌汁のことだ。たいていの辞書には、この漢字表記も載っている。語源には大きく分けて二説あるようで、一つは主食に付ける汁椀だから「御付」と言っていたのが、どんどん丁寧に「御」「御」を付けるようになったという女房言葉説。もう一つは、「御御」は本来「御実」と書くのが正しく、「御実」は味噌汁の具を意味するという説だ。私にはどちらでもよろしいが、わざわざこうした漢字を使うのも、面白く読んでもらうための工夫には違いない。といって、句全がべつに奇を衒っているのではないところに、作者の二重の工夫が見られる。学校給食を教室に運ぶ様子だろう。そうイメージして句をよく見ると、ぎくしゃくした「御御御付」の文字にえっちらおっちら感が滲んでいるようで微笑を誘われる。今では食べ物を運ぶための専用バケツ(「バケツ」とは言わないのかな)があるが、私が子どもだったころには、掃除などに使うごく普通のバケツで味噌汁を運んでいた。むろん、後で雑巾を漬けたりしたわけではないけれど、最初のうちは違和感を感じたものだ。しかし、だんだん何とも思わなくなり、逆にそこらへんで大きなバケツを見かけると食欲すら湧いてきたのだから、慣れとは恐ろしい。それはともかく、句の「さへづり」は実に良く効いている。さして採光のよくない学校の廊下が、周辺の鳥たちの囀りによってパアッと明るくなり、いかにも春到来の気分にさせられる。そしてこの「さへづり」は、給食を待つ子どもたちの賑やかな声をも同時に含んでいる。春や春、どこからか味噌汁のおいしそうな香りが漂ってくるような佳句ではないか。句歌詩帖「草藏」(第14號・2004年3月)所載。(清水哲男)


March 1832005

 小腹とは常に空くものももちどり

                           中原道夫

語は「ももちどり(百千鳥)」で春。春の朝,さまざまな鳥が群れてさえずっている姿を指す。この様子の鳴き声だけに重点を置いた季語が「囀(さえずり)」で、当歳時記では「百千鳥」を「囀」の項に分類しておく。「小腹(こばら)」は、中国語では妊婦の腹など具体的な形状を指すようだが、日本語では抽象的に使う。ちょっと空腹を覚えることを「小腹が空く」、少々むかつくことを「小腹が立つ」など。ただ、現在ではどうだろうか。「小腹が空く」は聞くが,「小腹が立つ」とはすっかり耳にしなくなった。したがってか、作者は「小腹とは常に空くもの」と断定している。しかしこれは一種の決めつけ、ドグマである。なぜなら、「常に」そうなのかという素朴な疑問に耳をかそうとしない物言いだからだ。だから作者の腕の見せどころは、このドグマを如何に普遍化するか,誰をもなるほどと納得させるるかにかかってくる。そこで、下五にもってきたのが「ももちどり」。上手いっと、私は唸りましたね。この下五で「小腹」は小鳥の腹の形状へと可視的に転化され,しかも小鳥が早起きしてさえずるのは空腹のためだから、生態的にもぴしゃりと合っている。先のドグマは、見事に「ももちどり」の愛らしい姿に吸引されてしまったというわけだ。普通の写生句は具体を言葉にするのだが、掲句は逆に言葉から出て具体を呼び込んでいる。ただし、この作り方は下手をすると、ついに具体に及ばない危険も伴うので,あまり人に薦める気にはなれないけれど。「俳句研究」(2005年4月号)所載。(清水哲男)


March 2532008

 爪先の方向音痴蝶の昼

                           高橋青塢

在では自他ともに認める方向音痴だが、それを確信したのは多摩川の土手に立ち、川下が分からなかったときだ。ゆるやかな流れの大きな川を目の前に、さて右手と左手、どちら側に海があるのかが分からない。なにか浮いたものが流れてはいないかと目を凝らしていると、「そんなことも分からないのか」とどっと笑われた。一斉に笑ってはいたが、おそらくその中の二、三人はわたし同様、風の匂いをくんくん嗅いでみたり、わけもわからず鳥の飛ぶ方角を眺めたりしていたと思うのだが。最近は携帯電話で現在位置を指示し、目的地をナビゲートしてくれる至れり尽くせりのサービスもあるが、表示された地図までもぐるぐると回して見ているのだからひどいものだ。そこを掲句では、下五の「蝶の昼」で、舞う蝶に惑わされたかのようにぴたりと作用させた。英語でぎっくり腰を「魔女の一撃」と呼ぶように、救いがたい方向音痴を「蝶を追う爪先」と、どこかの国では呼んでいるのかとさえ思うほどである。たびたび幻の蝶を追いかける我が爪先が、掲句によって愚かしくも愛おしく感じるのだった。〈青き踏む名を呼ぶほどに離れては〉〈このあたり源流ならむ囀れる〉『双沼』(2008)所収。(土肥あき子)


April 0542008

 囀や真白き葉書来てゐたる

                           浦川聡子

聞やダイレクトメール、事務連絡の茶封筒などに混ざって、葉書が一枚。白く光沢のある絵はがきの裏、宛名の文字は見慣れた友人のもので、旅先からの便りだろうか。白は、すべての波長の光線を反射することによって見える色というが、人間が色彩を感知するメカニズムについて、今さらのように不思議に思うことがある。数学をやりながら、数式や定理がさまざまな色合いをもって頭の中に浮かぶ、と言う知人がいた。どんな感覚なのか、残念ながら、私は色のついた数式を思い浮かべることはできない。どちらかといえば視覚人間、コンサートに行くより絵画展へ、句作の時もまず色彩へ視線がいくのだけれど。この句の作者は、音楽に造詣が深く、音楽にかかわる秀句が多いことでも知られており、視覚と聴覚がバランスよく句に働いている。メールが通信手段の主流となりつつある中、春風に運ばれてきたような気さえするその葉書に反射する光と、きらきらと降ってくる囀に包まれて、作者の中に新しいメロディーが生まれているのかもしれない。『水の宅急便』(2002)所収。(今井肖子)


April 1442008

 囀や島の少年野球団

                           下川冨士子

語は「囀(さえずり)」。繁殖期の鳥の雄の鳴き声を言い、いわゆる地鳴きとは区別して使う。ゴールデン・ウイークのころに、盛んに聞かれる鳴き声だ。そんな囀りのなかで、子供たちが野球の練習に励んでいる。休日のグラウンドだろう。目に染みるような青葉若葉の下で、子供たちの元気な姿もまた眩しく感じられる。ましてや、みんな「島」の子だ。過疎化と少子化が進んできているのに、まだ野球ができるほどの数の子供たちがいることだけでも、作者にとっては喜びなのである。とある日に目撃した、とある平凡な情景。それをそのまま詠んでいるだけだが、作者の弾む心がよく伝わってくる。一読、阿久悠の小説『瀬戸内少年野球団』を思い出したけれど、こちらは戦後間もなくの淡路島が舞台だった。句の作者は熊本県玉名市在住なので、おそらく有明海に浮かぶどこかの島なのだろう。そういうことも考え合わせると、いま目の前でいっしょに野球をやっている子供たちのうち、何人が将来も島に残るのかといった一抹の心配の念が、同時に作者の心の片隅をよぎったかもしれない。『母郷』(2008)所収。(清水哲男)


March 2032010

 万華鏡廻すごとくに囀れり

                           岡田日郎

の句とは『俳句・俳景 山の四季』(1997)という本で出会った。作者は、四十年かけて「日本百名山」を踏破されたという。この句に並んで〈囀りの中絶叫の鳥ありし〉。囀りと絶叫、意表をつかれやや驚きながらも、そこには圧倒的な生きものの音が感じられる。その迫力とはまた違った掲出句。鮮やな万華鏡から連想される囀りは、春の輝きに満ちている。万華鏡収集が趣味、という友人が、「万華鏡って、二度と同じ模様が見られないところが好き」と言っていた。確かになあ、と思って覗いていると、その美しさは不思議で儚い。まして命あるものは、音となり形となって存在しているこの瞬間、突然消えてしまってもなんの不思議もない。あたりまえのように廻ってくる春も、二度と同じ春はなく、春が廻ってくることが、いつかあたりまえのことではなくなるのかもしれない、などと思いながら、ガラスの万華鏡で久しぶりに窓の外を覗いてみた。(今井肖子)


October 26102010

 日おもてに釣船草の帆の静か

                           上田日差子

釣船草
細い茎からモビールのように下がる花が船のかたちに見えるということから釣船草という名がついたという。先日、姨捨の棚田を歩いたおり、日当りのよい斜面にキツリフネが一面に咲いていた。花を支える茎があまりに細いため、強い風が吹いたら、ちぎれてしまうのではないかという風情は、壊れやすい玩具のように見える。また、あやういバランスであることが一層あたりの静けさを引き寄せていた。掲句の景色は、日射しのさざ波に浮く船溜まりのように、釣船草の立てた華奢な帆になによりの静寂を感じているのだろう。花の魅力は後方にもある。写真を見ていただければわかるが、どの花にもくるんとしたくせっ毛みたいな部分があって、これが可愛くてしかたがない。種は鳳仙花のように四散するという。静かな花の最後にはじけるような賑やかさがあることに、ほんの少しほっとする。〈寒暮かな人の凭る木と凭らぬ木と〉〈囀りの一樹ふるへてゐたるかな〉『和音』(2010)所収。(土肥あき子)


February 2822012

 囀りの裏山へ向く仏足石

                           松原 南

足石とは、釈迦の足裏の形を刻んだ石である。インドから伝わり、日本では奈良の薬師寺にあるものがもっとも古く、天平勝宝5年(753年)の銘がある。釈迦を象徴するものとして礼拝の対象とされ、比較的方々の寺社に見られるというが、わたしが実際に仏足石を認識したのは俳句を始めてからだった。同行者は皆、さして興味を引くでもなく、石灯籠や五輪塔を見るのと同様の反応だったが、その巨大な造形は寺の庭にあっていかにも風変わりに映った。ひとつひとつの足指には丹念に渦が刻まれ、前日の雨がわずかに溜ったそれは、宮澤賢治の「祭の晩」に出て来る大男の姿が重なるような深々としたあたたかさが感じられた。掲句は大きな仏足石が爪先を揃えて裏山に向けられているという。山は今、若葉が芽吹き、鳥たちの囀りであふれている。やはりうっかり里に下りて、助けられた少年に「薪を百把あとで返すぞ、栗を八斗あとで返すぞ」と言い残し、山へと去っていった金色の目をした男の足跡に思えてならない。〈薄氷を動かしてゐる猫の舌〉〈雫より生れし氷柱の雫かな〉『雫より』(2011)所収。(土肥あき子)


April 0942013

 雨音を連れ恋猫のもどりけり

                           永瀬十梧

と雨とはゆかりが深い。よくいわれる「猫が顔を洗うと雨」は、湿り気を嫌う猫がヒゲをしごく動作で、個体差はあるものの実際に湿度が高い日や低気圧が近づいているときに頻繁に見られる。確かにわが家で飼っていた猫も、雨の日にぐいぐいと顔をこすりつけにくることがあった。あれはきっと人間の衣服で湿気を拭っていたのだろう。掲句では、下り坂となる天気の気配を感じつつも、いさましく出かけていった猫が、いよいよ雨がぱらつき始めたとき、やむをえず志半ばで引き上げてきたのだ。ガラスに伝う雨粒を恨みがましく眺めながら、いかにも不満気な様子が続いて見えるようだ。さらには恋の首尾さえ愚痴っているようにも思えてくる。それにしても、本能にまかせながら、人間と折り合って暮らす猫とは面白い生きものだ。先週末は西日本、東日本ともに大荒れの天気となり、すっかり桜も散ってしまった。きっと日本中の猫が一斉に顔を洗っていたことだろう。〈花過ぎのしづかな空を川流れ〉〈さへづりのあたりきらきらしてゐたり〉『橋朧ーふくしま記』(2013)所収。(土肥あき子)


April 2042014

 さへづりのさざなみ湖の彼方より

                           青柳志解樹

にいると、何種類もの鳥のさえずりを耳にする季節になりました。同時に、カラスと鴬の鳴き声くらいしか判別できない我が身のふがいなさを反省するこの頃です。受験勉強や試験を人よりも多く経験してきた身にとって、(浪人、留年が永かったので)雑多な知識は人並みに備えたものの肝心の花の名、鳥の鳴き声の判別はいまだおぼつかないままです。ただ、野山を一人歩くとき、尺八を持参して吹くとそれに呼応してくれる鳥たちもいて、しかし、その鳥の名がわからないジレンマを抱えつつ吹き続けるのみです。最近の大学入試では英語のヒアリングが導入されていますが、いっそのこと、鳥のさえずりの判別を試験にするような粋な入試が始められてもいいのではないでしょうか。少なくとも、生物や環境を専攻する人たちにとっては有効と思われます。掲句は実景のようでもあり、虚構のようでもあります。そのすれすれのところ、虚実皮膜之間(近松門左衛門)の面白みがあります。実景として考えるなら、湖の向こうの森から様々な鳥のさえずりが聞こえています。そのさえずりが湖面にさざ波を立てているように見えるわけで、一見写生句です。しかし、実際のさざ波は風によって立った波で、さえずりがさざ波を立てるはずがありません。ここに、作者の想念の中で起こる跳躍がありました。さえずりがさざ波を立てている。実景を目の前にしながら俳句を虚構化することで、彼方よりやって来た春の広がりを耳から目に伝えています。『楢山』(1984)所収。(小笠原高志)


October 14102014

 小鳥来るひとさじからの離乳食

                           鶴岡加苗

間暇かけて作った離乳食がまったく無駄になってしまったという嘆きは多い。ミルクだけを飲んできた小さな口には、味覚以前にスプーンの材質まで気にさわるものらしい。いかに気に入らなくても、言葉にできぬもどかしさに身をよじる赤ちゃんサイドと、せっかくの力作を無駄にしたくない母心が入り乱れ、ときには絶望に声を荒げてしまうこともあるだろう。しかし、その小さな口がひとさじを受け入れてくれてたとき、母の苦労はむくわれる。今日のひと口が明日のふた口に続くかどうかは赤ちゃん次第。乳児から幼児へと変身する時間はゆっくりと流れる。小さな翼を揃えて渡ってくる鳥たちを思いながら、母は子へひとさじずつスプーンを運ぶ。母と子の蜜月の日々がおだやかに過ぎてゆく。〈さへづりや寝かせて量る赤ん坊〉〈子育ての一日長し天の川〉『青鳥』(2014)所収。(土肥あき子)


April 0342015

 吉野よき人ら起きよと百千鳥

                           川崎展宏

野は佳いな・みなさん目を覚まして見てごらんと・百千鳥が鳴いて知らせた、と言うところか。吉野は奈良県の吉野山、桜の名所で知られている。いま吉野山は霞か雲かと見紛う桜爛漫の季節である。そんな中を百とも千とも沢山の鳥たちが囀っている。喜びに満ちた囀りの只中に身を置けば誰でも吉野を讃歌したくなる。時は今、鳥も人も一様に桜に魅せられて寝ているどころではない。他に<桃畠へ帽子を忘れきて遠し><「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク><壊れやすきもののはじめの桜貝>など。「俳壇」(2013年4月号)所載。(藤嶋 務)


May 0152015

 囀りや野を絢爛と織るごとく

                           小沢昭一

鳥たちは春が来ると冬を越した喜びの歌を一斉に唄う。それぞれの様々な声は明るく和やかである。折しも芽生えた若葉の色彩と相まって野は誠に錦織なす絢爛さを醸しだす。こうした雰囲気に満ちた山野に身を置けばとつぷりと後姿が暮れていたお父さんの心にも春がやって来てしまう。お父さんもまた織り込まれた天然の一部となって「あは」と両手を広げる。本誌では小沢昭一100句としての特集であるが、所属した東京やなぎ句会では俳号を変哲という。他に<父子ありて日光写真の廊下かな><春の夜の迷宮入りの女かな><ステテコや彼にも昭和立志伝>など小沢節が並ぶ。「俳壇」(2013年5月号)所載。(藤嶋 務)


July 1772015

 みづうみは光の器夏つばめ

                           比田誠子

段から湖畔に住む人は別として、湖へは避暑に行く場合が多い。湖畔のキャンプやロッジでの宿泊は一夏のバケーションの良き思い出となる。ボートや水遊び釣りなどで楽しき時を過ごす。青春の乙女らが歌声高らかに通り過ぎて行く。来し方行く末に馳せる思念もいつしか茫々と景色の中に消滅してゆく。そんな至福の時の中でふと眼前を眺めれば、きらきらとした光の反射の中を燕がすいすいと飛んでいる。眼前の湖水も眺めている内に圧倒的に輝く光の固まりとなってゆく。何を見ても今は眩しい。眩しい湖水を前に佇めばなるほど湖は光りの器かも知れぬ。その中を切れ味良く横切ってゆく黒い一線は燕である。現実の中の非日常。非日常の心の安らぎと眩しさ、そっくりと記憶の器へぽいと放り込んで持帰ろう。<うぐひすや創刊号を発送す><囀へ大道芸の荷をおろす><海光に飾り冑の朱房かな>が所載されている。『朱房』(2004)所載。(藤嶋 務)


April 0242016

 囀や只切株の海とのみ

                           佐藤念腹

ろぼろだった昭和八年発行の『俳諧歳時記』〈改造社〉が修復されて戻ってきた。個人の修復家にお願いしたのだが、表紙から中身の一枚一枚まで色合いや手触りを残しつつすっかりきれいになり、高度な技術にあらためて感服した。その春の部にあった掲出句の作者、佐藤念腹は〈雷や四方の樹海の子雷〉の句で知られ、移住したブラジルで俳句創世記を支えたと言われている。雷の句のスケールの大きさと写生の力にも感服するが掲出句もまた、どこまでも続く開拓地の伐採跡を見渡す作者に、広々とした空から降ってくる囀りが大きい景を生んでいる。囀りは明るいが、目の前の広大な景色が作者の心にかすかな影を落としているようにも感じられ、簡単に言えない何かが十七音には滲むのだとあらためて思う。(今井肖子)




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