March 2031998

 鴬やかまどは焔をしみなく

                           橋本多佳子

は春。鴬が鳴いている。竃の火はごうごうと焔をあげている。この他に何を望むことがあろうか。身心ともに充実した感じが、心地よく伝わってくる。日常生活のなかの充足感を、このように具象的にうたった句は意外に少ない。というよりも、たぶん幸福な感情をそのまま直截にうたうこと、それ自体が「文芸」には至難の業なのである。不得意なのだ。だからこそ、この句は際立つ。まぶしいほどだ。敗戦一年前の1944年(昭和19年)の作品。このとき、作者は大阪から奈良西大寺近くの菅原へ疎開していた。夫をなくしてから病気がちであった作者も、ここ菅原の地で健康を回復している。それゆえの掲出句の元気のよさなのだが、そんなことは知らなくても、十分にこの句の幸福感は読者のものとなるはずである。『信濃』(1947)所収。(清水哲男)




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