March 1231998

 先代の顔になりたる種物屋

                           能村研三

物は、野菜や草花の種のこと。それを売るのが種物屋。花屋とはちがって、種物屋は小さくて薄暗い店が多い。作者は毎春、決まった店で種を求めてきたのだろう。主人が代替わりしたほどだから、店との付き合いもずいぶんと長い。気がつくと、二代目の顔が先代とそっくりになってきた。ときに、先代と向き合っているような錯覚さえ覚えてしまう。対象が命の種を商う人だけに、生命の連続性に着目したところが冴えている。そっくりといえば、谷川俊太郎さんが亡き谷川徹三氏に間違えられたことがあった。二年ほど前だったか、句会の後である庭園を歩いていたら、いかにも懐しそうに詩人に声をかけてきた老人がいた。詩人としては記憶にない人なので曖昧な応答をしているうちに、父親と間違えられていることに気がついた。で、そのことを相手に告げようとしたのだが、少々ボケ加減のその人には通じない。ついには記念に一緒に写真に写ってほしいと言いだし、老人は満足化に「谷川徹三」氏とのツー・ショット写真に収まったのだった。見ていたら、詩人のほうはまことに生真面目な表情で撮されていた。そういえば、句の作者も俳人・能村登四郎氏の三男だ。「春の暮老人と逢ふそれが父」という、息子(!)としての作品がある。(清水哲男)




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