March 1031998

 橋姫やありのとわたりのひるさがり

                           夏石番矢

説によると「橋姫」は橋を守る女神であり、非常に嫉妬深いと伝えられている。そして、蟻が一列の細い筋になって進むことを「ありのとわたり」と言うが、転じて会陰部を指すこともある。……というわけで、この句はいろいろに解釈でき、それはそれで構わないというのが作者の意図だろう。有季定型句に慣らされた目には、これが「俳句」なのかと写るはずだが、好き嫌いは別にして、これも「俳句」なのだと私は思う。正岡子規が俳諧連句から冒頭の「発句」だけを独立させて「俳句」にしようと言い出したとき、べつに子規路線はこのような句の登場を禁じてはいなかった。いや、子規の思惑がどうであれ、吉本隆明が「俳句は日本文学の家庭内暴力みたいだ」と言ったように、俳句は和歌と違って、いまだに言語的な荒々しさ(冒険性)をそなえた表現様式だと思う。何でもありの混沌のなかにあるのだから、作者は当然のことに苦しいだろうが、読み手としてはこんなに楽しくてスリリングなジャンルが他にあるとは思えないほどだ。『人体オペラ』(1990)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます