March 0231998

 我も夢か巨勢の春野に腹這へば

                           河原枇杷男

養がないとは哀しいもので、句の「巨勢」を、はじめは作者の造語だと思い、春の野の圧倒的な生命感を暗示した言葉だと思っていた。結果的にはそのように読んでもさして間違いではなかったのだが、念のために辞書を引いてみたところ、「巨勢」は「こせ」と読み、現在の奈良県御所市古瀬あたりの古い地名だとあった。古代大和の豪族であった巨勢氏に由来するらしい。いずれにしても、作者は圧倒的な生命力もまた夢に終ることを、我と我が身で実感している。古代に君臨した豪族の存在が夢のようであったからには、私自身もまた夢のようなそれなのだろうと達観しかかって(!)いる。この句に接してすぐに思いだしたのは、啄木の「不来方ののお城のあとの草に臥て/空に吸はれし/十五のこころ」だった。枇杷男の句は六十歳を過ぎてのそれで、同じように「野に腹這」っても「草に臥て」も、ずいぶんと心持ちが違うところが切ない。栄枯盛衰は権力の常だと歴史は教えている。が、権力にかかわらぬ個々人は、歴史にしめくくってもらうわけにもいかないから、このように自分自身でしめくくりにかかったりするのだろう。『河原枇杷男句集』(1997)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます