February 1921998

 たたずみてやがてかがみぬ水草生ふ

                           木下夕爾

りかかった小川か池か、ふとのぞくと今年ももう水草が生えてきている。しばらくたたずんで見ていたが、美しさに魅かれていつしかかがみこんで眺めることになった。いかにも早春らしい明るい句だ。私の田園生活は子供のときだけだったから、まさかかがみこむようなことはなかったが、明るい水面を通して水草が揺れている様子を見るのは好きだった。唱歌の「ハルノオガワハサラサラナガル(戦後になって「サラサラいくよ」に改訂)」はフィクションではなく、実感の世界であった。岸辺では猫柳のつぼみがふくらみかけ、幼さの残る青い草たちが風に揺れていた。この季節が訪れると、農家も、そして農家の子もそろそろ忙しくなってくるのだが、それでも本格的な春がそこまで来ている気分は格別だった。夕爾は早稲田に学んだが、家業の薬局を継いで福山市に居住して以来、生涯故郷を離れることはなかった。『遠雷』(1959)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます