February 1721998

 ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道

                           中村草田男

吹きはじめた木々の道に早い春を楽しみながら歩いていると、向こうから犬がやってきた。なにやら真剣な顔つきで、作者には目もくれずに急ぎ足のまますれちがって行ってしまった。それだけのことだが、余程の事情がありそうな犬だと思わせているところがユニークで面白い。そういえば、昔は犬が単独で歩いていた。大きな犬がやってくると、たじろいだりしたものだ。目を合わせないようにして、平気な振りをしてすれちがうのがコツで、決して元来た道を走って逃げたりしてはいけない。そう、親たちから教えられていた。いまの犬はみな飼い主と一緒だから、怖そうな犬でも飼い主の制御力を信頼して平気ですれちがえる。犬なりの事情や感情を読み取らなくてもよくなってしまった。安心になった。それにきっと犬の側にも、いまでは「ひた急ぐ」事情など発生しなくなってしまっているのだろう。完全に飼育されきってしまわないと、犬も生きられない時代になったということだろう。やれやれ……。『中村草田男句集』(1952)所収。(清水哲男)




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