February 1621998

 見にもどる雛の売場の雛の顔

                           岡田史乃

ういうことって、時々ありますね。買い求めたいというのではなく、もう一度よく見て、記憶にとどめておきたい衝動にかられることが……。このように、誰もが「思い当たる」世界を描くのは、俳句ならではの表現法でしょう。自由詩は多く説得する文学ですが、俳句は多くしゃらくさい説得など拒否する文学とも言えるかと思います。現実の事物や現象に取材して、自らの感性を読者の「心当たり」の方向に開いていくのですから、簡単にできることではありません。それこそしゃらくさい個性とやらを、いかに消すか。あるいは、いかに隠すか。誰にでも一応は可能な文学の、もっとも困難なポイントはここでしょう。妙なことを言うようですが、俳人は、その意味でジャーナリスト感覚がないと大成できないような気がします。たとえば正岡子規を「寝たきりジャーナリスト」、富田木歩を「座りっぱなしジャーナリスト」などと考えてみると、それこそ「心当たり」がいろいろと出てきそうです。あと半月ほどで雛祭。娘たちが小さかった頃は、テレビの上に学年雑誌の付録のお雛様を飾っていました。小学館よ、ありがとう。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます