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February 1321998

 庭石を子の字はみだし春の昼

                           杉本 寛

者の自註がある。「父が好きで庭の処処に石が置いてある。悪戯ざかりの長男が、よく楽書きをする。見て見ぬ振りをする父の姿が面白かった」。幼子が持っているのはローセキだろうか。子供の書く字は大きいから、庭石からもはみ出してしまう。春昼のスナップ写真のような句だ。落書きといえば、最近はとんとお目にかからなくなった。たまに見かけるのは、若者達がスプレーを吹きつけて「三多摩喧嘩連合只今参上」(これは実際に我が家の近所に書いてある)などと書くアレくらいなもので、幼児のソレを見ることがない。路上で遊べなくなったせいだ。昔はよく、アスファルトの道に延々とつづく列車の絵などが書いてあったものだ。それを踏み付けにすることがはばかられて、踏まないように歩いた経験を持つ読者も多いのではあるまいか。いまどきの子供向きの施設には「落書きコーナー」があったりするが、そんなサービスは落書き精神に反している。第一、よい子の落書きだなんて面白くも何ともないのである。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)


April 1741998

 この部屋に何用だつけ春の昼

                           渡辺善夫

しもが心当りのある体験だろう。老化現象ではないかという人もいるが、どうであろうか。だとすれば、私には小学生の頃から、よくこういうことが起きたので、物忘れに関しては天才的に早熟だった(笑)ことになる。何をしにこの部屋に来たのか。忘れてしまったときの対策は、私の場合、ひとつしかない。もう一度、元いた場所に戻ってみることである。双六の振り出しに戻るようにしてみると、たいがい思いだすことができる。最近は、それでも思いだせないときもままあるが、この場合はやはり老化現象かもしれない。でも、何かを忘れてしまうことも、たまには必要だ。というよりも、人間は常に何かを忘れつづけていないと生きていけない動物ではあるまいか。誰が言ったのか、それこそ忘れたけれど、ニワトリは三歩歩くと何もかも忘れてしまうのだそうだ。時々、ニワトリになりたくなる。「俳句文芸」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


March 2832001

 春昼の指とどまれば琴も止む

                           野沢節子

とに知られた句。あったりまえじゃん。若年のころは、この句の良さがわからなかった。琴はおろか、何の楽器も弾けないせいもあって、楽曲を演奏する楽しさや充実感がわからなかったからだ。句は、演奏を終えた直後の気持ちを詠んでいる。まだ弾き終えた曲の余韻が身体や周辺に漂っており、その余韻が暖かい春の午後のなかに溶け出していくような気持ち……。琴の音は血をざわめかすようなところがあり、終わると、そのざわめきが静かに波が引くようにおさまっていく。弾いているときとは別に、弾き終えた後の血のおさまりにも、演奏者にはまた新しい充実感が涌くのだろう。まことに「春昼」のおぼろな雰囲気にフィットする句だ。ちなみに、このとき作者が弾いたのは「千鳥の曲」後段だった。三十代のころに住んでいたマンションの近所に、琴を教える家があった。坂の途中に石垣を組んで建てられたその家は、うっそうたる樹木に覆われていて、見上げてもほとんど家のかたちも見えないほどであった。日曜日などに通りかかると、よく音色が聞こえてきたものだ。どういう人が教えていて、どういう人が習っているのか。一度も、出入りする人を見たことはない。そのあたりも神秘的で、私は勝手に弾いている人を想像しては楽しんでいた。上手いか下手かは、問題じゃない。ピアノ全盛時代にあって、琴の音が流れてくるだけで新鮮な感じがした。「深窓の令嬢」なんて言葉を思い出したりもした。掲句から誰もが容易に連想するのは、これまたつとに知られた蕪村の「ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ」だろう。こちらは、これから弾くところだろうか。なんとなくだが、蕪村は琵琶を弾けない人だったような気がする。演奏云々よりも、気持ちが楽器の質感に傾き過ぎている。それはよいとしても、演奏者なら楽器を取り上げたとき、こんな気持ちにならないのではないだろうか。つまり、想像句だということ。『未明音』(1955)所収。(清水哲男)


March 0432004

 春昼や腑分けして来したゞの顔

                           平畑静塔

た「腑分け(ふわけ)」とは古風な言葉だが、しかし実際に「解剖」をする人には、腑分けのほうが実感的にぴたりと来るのかもしれない。掲句は、最近清水貴久彦(岐阜大学医学部教授)さんから送っていただいたエッセイ集『病窓歳時記』(2001・まつお出版)で知った。医者の目で俳句を眺めると、なるほど私などには見えない佳句が数々あることに気づかされる。この句もそうだ。ただ、この句の良さは、間接的にではあるけれど、多少はわかる。大学の友人に医学部の男がいたからである。エッセイ集から少し引いておく。「すべての医学生が実習として行う解剖は、系統解剖という。屍体を切り開いてあらゆる臓器、血管、神経などを確認していく作業が毎日続くと、気が滅入るのも当たり前。実際、この解剖をきっかけにして人生に悩みはじめ、学校に出てこなくなった同級生がいた」。しかし多くの学生は日がたつにつれて何も気にならなくなり、「白衣だけ脱いですました顔で食堂へ行き、肉でも何でも食べられるようになる」。句はまさにこの時期の学生の様子を言ったものであり、作者も医者だったから、自分の若き日の像と重なり合って見えているのだろう。のんびりとした「春昼」の気分には「たゞの顔」が、よく似合う。その「たゞの顔」になるまでのプロセスを体験している人にとっては、見落とすことのできない句になっている。実際、私の友人もひどい状態の時期があった。はじめての解剖実習の後で、たまたまいっしょに食堂に行ったのだが、真っ青な顔をして、何ひとつ食べられなかったことをよく覚えている。それが、いつしか句のように「たゞの顔」になり一本立ちしたのだから、人間という奴はたいしたものだと言うべきだろう。(清水哲男)


April 2642005

 煙草すう男に寒き春の昼

                           大井雅人

語は「春(の)昼」。のどやかで、ちょっと眠りを誘われるような春の昼だ。男が煙草をすっている。すっているのは、もしかすると作者当人かもしれない。すっている場所は、屋外でも室内でもかまわない。句の背景には、最近の声高な嫌煙権の主張があるのだと思う。愛煙家はどこに行っても、禁煙を強いられる。だからすうとなると、申し訳程度に設置された喫煙所ですわざるを得ないわけだ。なかには、その一画だけを透明なビニールのシートで覆った喫煙所さえある。中ですっていると、なんだかさらし者になっているようで、愉快ではない。が、喫煙所が建物のなかにあればまだよいほうで、ビルの裏口に灰皿一個なんてところまである。すいたい連中は、高い階からでも降りてきてすうのだが、これまた哀れな気分もいいところだ。だから「男に寒き」とは、気温の問題ではなく、そうした肩身の狭い思いを言っているのだ。暖かい春の昼ですら、たばこをすうときは「(うそ)寒い」のである。私は「キャスター・マイルド」を日に一箱くらいすうから、掲句はこう解釈するしかないのだが、何か別の解釈ができるのだろうか。それにつけても不思議に思うのは、煙草は身体に毒だという人が、車には平気で乗って所構わず排気ガスを蒔き散らしている現実だ。排気ガスは、ニコチンなどよりもよほど毒性が少ないとみえる。いまの私は、いささか不機嫌である。「俳句」(2005年5月号)所載。(清水哲男)


March 1032006

 春昼のわれを包むに足りる紙

                           ふけとしこ

語は「春昼」。春の昼は、のんびりと明るい。それにしても大きな「紙」だなと思い、句だけを見て誇張表現だろうと受け取りかけたが、作者の弁を読んだら実物大であった。「この句は解いた包装紙のあまりの大きさに呆れて眺めていてできたものだった……」。いったい、何が包まれていたのだろうか。包まれている物を知っている作者が驚いているくらいだから、過剰包装ならぬ余剰包装ということになるのか、あるいは包んだ側の親切丁寧さの表れであるのか。それはともかく掲句の面白さは、この途方もない大きさの紙を前にした作者が、呆れ返りつつも「われを包む」と発想したところにある。これが自分ならどう反応するだろうかと想像してみて、私には自分を包むという考えはまったく閃かないだろうと思った。そしておそらく、このいわば咄嗟の発想は女性独特の感性から来ているのではないのかとも。物が包装紙だから言うのではないけれど、女性が衣服を身に着けるときの根底には、半ば無意識にせよ、身体を「包んで装う」ことにあるように思われるからだ。男の場合には、まずそれがない。男は「包む」というよりも「纏(まと)う」のである。たとえネクタイで首を締め付けようとも、身体を包んでいるという意識は皆無だ。むしろ身体を外界に曝している無意識の意識が強いので、着ている物がバラバラにならぬよう、とりあえず喉元でひと纏めにしているとでも言えば良いであろうか。それこそ誇張した言い方をしてしまったが、何気ないところに男女の違いが現れる例としても、興味深い一句であった。俳誌「船団」(第68号・2006年3月)所載。(清水哲男)


March 2332006

 春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ

                           鷹羽狩行

語は「春昼」。「嘴」は「はし」と読ませている。なるほど、魔法瓶の注ぎ口は鳥の「くちばし」に似ている。「囀り(さえずり)」という春の季語もあるように、折から小鳥たちがいっせいに啼きはじめる時候になってきた。そんな小鳥たちの愛らしい声の聞こえる部屋の中では、ずんぐりとした魔法瓶がいっちょまえに「嘴」を突き出して、こちらはピーとも啼きもせず、むっつりと座り込んでいるのだ。それが春の昼間のとろとろとした雰囲気によく溶け込んでいて、暢気で楽しい気分を醸し出している。魔法瓶の注ぎ口に嘴を思うのは、べつに新鮮な発見というわけではないけれど、春昼とのさりげない取り合わせの妙は、さすがに俳句巧者の作者ならではである。ところで、この魔法瓶という言葉だが、現在の日常会話ではあまり使われなくなってきた。魔法瓶で通じなくはないが、「ポット」とか「ジャー」と言うのが一般的だろう。考えてみれば、「魔法」の瓶とはまあ何とも大袈裟な名前である。登場したころにはその原理もよくわからず、文字通り「魔法」のように感じられたのかもしれないけれど、いまや魔法瓶よりももっと魔法的な商品は沢山あるので、魔法を名乗るのはおこがましいような気もする。西欧語からの翻訳かなと調べてみたら、どうやら日本語らしい。1904年に、ドイツのテルモス社が商品化に成功したことから、欧米ではこの商品名テルモス(サーモス)が現在でも一般的であるという。「俳句研究」(2006年4月号)所載。(清水哲男)


April 0342007

 保育器の足裏に墨春の昼

                           瀧 洋子

院で新生児の取り違えがないように足の裏に名前を書くというのは、ずいぶんアナログなことで、過去の話しだとばかりと思っていたのだが、デジタル社会の現在でも行われているところがあるらしい。「一番大切なことは機械まかせにできません」という、あたたかみのある気概をなんとも微笑ましく思いつつ、小さな足裏に黒々と名前を書かれ、並べられている赤ん坊の姿を思い浮かべる。そこでふと、まだ名があるとは思えない新生児に書かれる名とは名字なのだと思い当たり、生まれ落ちてすぐに名字があることの不思議に思い当たる。それは、目の前にある命に行き着くまでの歴史を思わせ、その名が書かれたことにより霊験あらたかなる護符のように、足裏から一族の愛情のかたまりが強く浸透していくように思えてくるのだった。そして掲句は保育器のなかのできごと。かたわらに寝息を感じ、胸に抱くことが叶わぬわが子である。小さなカプセルのなかで動く、真っ白な足裏に書かれている名前は、確かにここに存在する命の証のように、黒々とした墨色はさぞかし目に沁み、胸を塞ぐことだろう。保育器を囲む眼差しはみな、このやわらかな足裏が、大地に触れ、力強く跳ね回る日を願っている。だんだん欲張りになってしまう子育てだが、「元気に育て」と切なる祈りが育児のスタートなのだと、あらためて思うのだった。『背景』(2006)所収。(土肥あき子)


March 0732008

 春昼の背後に誰か来て祈る

                           横山房子

から下に向かって書かれたものは上から読まれる。「春昼の背後に」と読み下していくと、そこにまず時間と場所の設定を思う。次に「誰か来て」。ここまでなら読み手の琴線を揺さぶるものはない。これは春昼という季題の本意を意識した上で背後に人の気配を感じる内容だろうと。それだけなら陳腐平凡だなあと予想するわけである。ところが最後の二文字で様相は一変する。「祈る」とあることで教会という空間が特定され「春昼の背後」が大きく包みこまれる。神社なら内容の静かさにそぐわないし、墓前なら「誰か」とは言わない。教会での静かな祈りのつぶやきが聞こえてくる。祈りの静謐の中での聴覚のリアル。「祈る」は空間のみならず行為も特定する。この二文字がこの句のテーマになるのである。叙述の最後の最後に来て作品が蘇る。逆転満塁ホームランのような句だ。縦書き表記の効用も思う。横書きだと左から右へ読んで行くが、横一列全体がなめらかに眼に入る。読み下して「祈る」に出会う衝撃力はやはり縦書きでこそ得られるものだ。『平成俳句選集』(1998)所収。(今井 聖)


March 1632008

 春昼の角を曲がれば探偵社

                           坂本宮尾

語の春昼は、「しゅんちゅう」と読みます。のんびりした春の昼間の意味ですから、「はるひる」と訓で読んだほうが、雰囲気が出るようにも感じます。しかし、日々の会話の中で、「しゅんちゅう」にしろ「はるひる」にしろ、この言葉を使っているのを聞いたことがありません。俳句独特の言葉なのでしょう。句の意味は明解です。書かれていることのほかに、隠された意味があるわけでもなさそうです。それでもこの句が気になったのは、「角を曲がる」という行為と、「探偵社」の組み合わせが、ノスタルジーを感じさせてくれるからです。先の見えない世界へ体をよじって進んで行く。「角」という言葉には、どこか謎めいていて、心を震わせるものがあります。そんな心の震えの後に、「探偵社」という古風な言い方の建物が出てきます。どことなし、怪しげな雰囲気が感じられます。古びたビルの一角に、昔の映画で見たような探偵が、めったに開くことのない扉を見ながら、ひたすら仕事の依頼を待っているのでしょうか。本来は抜きさしならない状況で、人の行為を密かに調べる職業ではありますが、この言葉にはどこか、ほっとするものを感じます。春の昼、のんびりと角を曲がったわたしは、どこかの探偵にそっとつけられている。と、罪のない想像をしながら、わたしは角を、すばやく曲がるのです。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)


April 1942008

 春昼ややがてペン置く音のして

                           武原はん女

句の前に、小さく書かれている前書き。一句をなして作者の手を離れれば、句は読み手が自由に読めばよいのだが、前書きによって、作句の背景や心情がより伝わりやすい、ということはある。この句の場合、前書きなしだとどんな風に受け止められるのだろう。うらうらとした春の昼。しんとした時間が流れている。そこに、ことり、とペンを置く音。下五の連用止めが、この後に続く物語を示唆しているように感じられるのだろうか。ペンを置いたのは、作家大佛次郎。この句の作者、地唄舞の名手であった武原はん(はん女は俳号)の、よき理解者、自称プロデューサーであった。昨年、縁あってはん女の句集をすべて読む機会を得た。句集を年代を追って読んでいくというのは、その人の人生を目の当たりにすることなのだ、とあらためて知ったが、そうして追った俳人はん女の人生は、舞ひとすじに貫かれ、俳句と共にあった。日記のように綴られている句の数々。そんな中、「大佛先生をお偲びして 九句」という前書きがついているうちの最初の一句がこの句である。春昼の明るさが思い出として蘇る時、そこには切なさと共に、今は亡き大切な人への慈しみと感謝の心がしみわたる。〈通夜の座の浮き出て白し庭牡丹〉〈藤散るや人追憶の中にあり〉と読みながら、鼻の奥がつんとし、九句目の〈えごの花散るはすがしき大佛忌〉に、はん女の凛とした生き方をあらためて思った。『はん寿』(1982)所収。(今井肖子)


April 2942008

 春昼や魔法の利かぬ魔法瓶

                           安住 敦

空状態を作って保温するという論理的な英語「vaccum bottle」に対し、何時間でもお湯が冷めない現象に着目し、日本では「魔法瓶」と命名された。どんなものにもよく書けるマジックインキ、愛犬に付いた草の実(おなもみ)がヒントとなったマジックテープなども、従来にない不思議な力を強調した「魔法/マジック」の用法だが、「魔法瓶」はなかでも突出して絶妙なネーミングである。他にも、来週に控える「黄金週間」やめくるめく「万華鏡」なども腕の立つ日本語職人の手になるものと思われる。掲句は、茶の間に鎮座するポットの仰々しいネーミングにくすりと笑う大人の視線だが、いかにもうららかな春の昼であることが、笑いを冷笑から、ユニークな名称の背景にある人間の体温を感じさせている。希代の発明でもあった魔法瓶だが、落とすと割れてしまうという頑丈さに欠ける一面と、1980年代の水を入れると自動的に沸かし、そのまま保温できる電気ポットの登場で、またたく間に姿す。わずか後十数年で「魔法」の名を返上することになろうとは作者にも思いもよらぬことだったろう。しかも最近では、自販機で「あたたかい天然水」が売られている。飲料水を持ち歩くのがごく普通になった現代ではことさら驚くことではないのかもしれないが、白湯の出現にはいささかびっくりした。『柿の木坂だより』(2007)所収。(土肥あき子)


April 0442012

 春昼や細く脱がれて女靴

                           永井龍男

かにも龍男らしいこまやかな目のつけどころに、感服するほかない。きれいでスマートな女靴が、掃除のゆき届いた玄関にきちんと脱いである。素直な着眼が気持ち良いし、少しもむずかしい句ではない。また、ここは「春昼」がぴったり決まっていて、「細(ほそ)く脱がれて」にさりげないうまさが感じられる。「小さく」ではなく「細く」にリアリティーがある。なかなかこうは詠えない。靴を脱いだ女性の物腰から品格までが、快く想像されるではないか。足ばかりでかくてドタ靴専門の当方などは、身の置きどころに困ってしまう名句である。脱線ついでに……当方がよく見る靴探しの夢がある。何かの集会に参加して、さて、帰る時になって気に入っている自分の靴を探すけれども、脱ぎ捨てられたおびただしい靴のどこをどう探しても見つからず、困り果てているという夢。これ、何のタタリなのか! 同じような夢に悩まされる御仁は、ござらぬか? 龍男の春の句には「あたたかに江の島電車めぐりくる」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 1232013

 春昼の口のあかない貝ふたつ

                           滝本結女

の砂抜きは3%の食塩水に数時間浸しておく。密閉しない程度に蓋をして暗くしておく。夜中に砂抜きしているシジミに「ドレモコレモミンナクッテヤル」という鬼ババの笑いを浮かべた石垣りんは、おそらく暗闇のなかでシジミのうごめく様子に、わずかな戦慄を覚えたのだと思うが、個人的には、チューチュー音を立てたり、ぴゅっと水を吐いたり、にょろにょろと舌を出したり、固く閉まった貝たちがほどけていく様子を覗き見するのは時間を忘れるほど楽しい。掲句はその後の調理した貝の姿であろう。加熱後、口が開かないのは「元から死んでいた貝だから食べてはいけない」と教わったけれど、まるでこのふたつがぼんやり昼寝でもしているように見えてくる。作者も、すぐさま取り除くことはしないで、そのうち開くんじゃないか、とのんきに眺めている様子もある。春の昼餉のひとときは穏やかに過ぎていく。そうそう、あまりの可愛らしさにこちらも(^^)〈豚の子の白き睫毛に春来たり〉『松山ミクロン』(2013)所収。(土肥あき子)


March 2132013

 春昼や魔法の利かぬ魔法壜

                           安住 敦

法壜とは懐かしい言葉だ。「タイガー魔法瓶」などは会社の正式名に入っているところはともかくも日常生活で魔法壜という言葉にお目にかかる機会はほとんどない。今は「瓶」と「壜」の漢字の使い分けに正確な違いはないようだが、ガラスとの連想で言うなら「曇る」という字を含んだ「壜」がより好ましく感じられる。湯沸かしポットが登場して以来卓上に置いてあった魔法壜は姿を消してしまった。昔の魔法壜は内側がガラスで割れやすく、遠足で友達の魔法壜仕様の水筒を落として割ってしまった苦い思い出がある。昭和30年代当時は小学生が持つ水筒としては高級品だった。お湯が長い間冷めないからと「魔法壜」なんだろうが掲句の魔法壜はすぐお湯が冷めてしまうのか?リフレインを含んだ言回しと、ちょっと間延びしたなまぬるい春昼の雰囲気とがよく馴染んでいる。「日本大歳時記」(1983)所載。(三宅やよい)


February 1522015

 けふよりの妻と泊るや宵の春

                           日野草城

和九年。「ミヤコ ホテル」連作の第一句です。私は、学生時代に俳句好きの後輩に教わり、何人かで回し読みをしました。性に疎い青年たちが、貴重な情報を共有し合い、想像力を補完し合いながら来るべき日を夢想していました。実行が伴わず、それを想像力あるいは妄想で埋めようとする時期を思春期というのでしょう。昭和の終わり頃までの青年たちにとって、性的な情報は、活字、写真、体験談が中心で、動画情報はポルノ映画と深夜テレビに限られていました。しかし、パソコンを個人 所有できる現在、リアルな動画情報が、青年たちから妄想する力を奪い、共通の謎を語り合える場を奪っているのかもしれません。掲句は、新婚旅行の宵。「春の宵なほをとめなる妻と居り」貞操観念が確固としていた時代です。「枕辺の春の灯は妻が消しぬ」「をみなとはかかるものかも春の闇」こういうところに想像の余地があり、青年たちは口角泡を飛ばし議論します。「薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ」「妻の額に春の曙はやかりき」闇から光へと明るさが変化して、時の経過をたどれます。「うららかな朝の焼麵麭(トースト)はづかしく」連作の中で、唯一、音が存在しています。トーストを噛む音も恥ずかしい。青年たちの間で最も評判のよかった句です。「湯あがりの素顔したしも春の昼」「永き日や相触れし手は触れしまま」青年たちは、ここに理想を読みます。「うしなひしものをおもへり花ぐもり」この連作、若い世代に読み継がれたい。『日野草城句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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