February 1321998

 庭石を子の字はみだし春の昼

                           杉本 寛

者の自註がある。「父が好きで庭の処処に石が置いてある。悪戯ざかりの長男が、よく楽書きをする。見て見ぬ振りをする父の姿が面白かった」。幼子が持っているのはローセキだろうか。子供の書く字は大きいから、庭石からもはみ出してしまう。春昼のスナップ写真のような句だ。落書きといえば、最近はとんとお目にかからなくなった。たまに見かけるのは、若者達がスプレーを吹きつけて「三多摩喧嘩連合只今参上」(これは実際に我が家の近所に書いてある)などと書くアレくらいなもので、幼児のソレを見ることがない。路上で遊べなくなったせいだ。昔はよく、アスファルトの道に延々とつづく列車の絵などが書いてあったものだ。それを踏み付けにすることがはばかられて、踏まないように歩いた経験を持つ読者も多いのではあるまいか。いまどきの子供向きの施設には「落書きコーナー」があったりするが、そんなサービスは落書き精神に反している。第一、よい子の落書きだなんて面白くも何ともないのである。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)




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