February 0321998

 豆をうつ声のうちなる笑ひかな

                           宝井其角

撒きは、奈良時代から行われていた厄払いの行事だ。もともとは中国周時代の宮廷の風習であったという。まあ「鬼は外、福は内」などムシのよい話で、宮中などではともかく、庶民には「笑ひ」をふくむ一種の娯楽性の強い行事として行われてきたようだ。戸板康二が書いている。「私の祖父は仙台の人だが、節分の豆撒きに『鬼は外福は内』と言ったら、そばで『ごもっとも』といえと孫の私に命じた。いわれた通りにしていたが、あとで考えると、私はそういって逃げだす鬼の役だったのである」。まさに笑いをふくんでいる。ごもっとも、である。江戸の其角もまた、この光景には「ごもっとも」と言うにちがいない。撒いたあとで、年の数だけ豆を食べる風習もある。私のような年齢になってくると、こればかりは「ごもっとも」と言うわけにはいかない。豆に歯が立たないからだ。いや、もはやガリリと歯を立てる勇気に欠けているからである。うろ覚えで申し訳ないが、たしか小寺正三にこんな句があった。「もうあかん追儺の豆に歯がたたず」。ごもっとも。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます