January 1911998

 膝掛と天眼鏡と広辞苑

                           京極杞陽

輩の読者は苦笑されるのではあるまいか。1975(昭和50)年の作だから、杞陽は六十代後半だった。私はまだなんとか五十代だけれど、膝掛はともかくとして天眼鏡は手放せないし、広辞苑も時々引いている。広辞苑とはかぎらないが、辞書の文字の小さいのにはマイってしまう。もっとマイるのは、緊急に辞書を引く必要が生じたときに、天眼鏡が見当たらないことだ。さっきまでここにあったのにと、焦れば焦るほどに発見が遅れてしまう。ときには稼働中のモニターに向けて天眼鏡を必要とするから、マイったではすまないこともある。そんなわけで、この句の切実さはよくわかる。同時に、活動性には無頓着になってしまった年齢の人々の、諦めの果ての呑気な境地みたいなものも……。誰も、自分の年齢以上の老いを体験することはできない。書きながら、思い出した。数年前に放送局のエレベーターで串田孫一さんにお会いして、思わずも「お元気そうですね」と声をかけたことがある。降りてからの串田さんのご挨拶は、こうだった。「君ねえ、七十を過ぎた人間が元気そうだと言われても、なんと返事をしていいのか、わからないじゃないか」。遺句集『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)




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