January 0311998

 まつかれてたけたくひなきあしたかな

                           作者不詳

年早々、頭の体操です。この句は、どう読んだらよいのでしょうか。時は戦国時代。元亀四年正月。浜松北方の三方ケ原で武田軍との合戦に破れ、浜松城に逃げ帰りシュンとしていた徳川家康のもとに、武田方よりこれみよがしに上掲の句が届けられた(昔の戦さは呑気なところがあった)。読んでみると、「松(松平=徳川)枯れて竹(武田)類なきあしたかな」とあり、要するに、これからは武田の天下なんだぞと書いてあった。家康にしてみれば、結局はこの敗戦が生涯唯一のものになるわけだから、その意気消沈ぶりもすさまじかったに違いない。そんな心境の彼に、句の追い討ちである。まいったなあ。落ち込んでいると、徳川方にも知恵者がいた。「殿、おそれながら……」と、彼は独自の読み方を披露してみせたのである。すなわち、「松枯れで武田首無きあしたかな」と。これで家康も元気になった。で、ここからが本題。いまだに東京などで門松の竹を槍のように尖らせているのは、このときの「武田首無き」という徳川方の解釈に由来している。武田の地元である山梨県や外様大名の支配下にあった土地では、門松の竹は節のところから水平に切り落として飾るのが普通だ。お宅は、どちらでしょうか。(清水哲男)




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