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January 0111998

 霞さへまだらに立つやとらの年

                           松永貞徳

年にちなんだ句はないものかと必死に探していたら、貞徳にありました。貞徳は江戸初期の京の人。俳人にして歌人、歌学者。俳諧を文芸ジャンルとして確立した人です。エラい人なのですが、この句の出来はどうでしょうか。うーむ。かなり苦しい。おだやかな元日の朝、遠くの山々には霞がたなびいており、それが寅のまだら模様に見える。霞までが、寅の年を祝福しているようだ……。というわけですが、かなり無理をした比喩使いではないでしょうか。彼もまた、寅年にちなんだ句を必死に作ったのでしょう。必死と必死が三百年以上も経て偶会したのだと思うと、なんだか楽しい気分になってしまいました。季語は字面からいけば「霞」でしょうが、意味からすると「年立つ」で「新年」でよいと思います。(清水哲男)


January 1012007

 新年の山重なりて雪ばかり

                           室生犀星

句が多い犀星の俳句のなかで、掲出句はむしろ月並句の部類に属すると言っていいだろう。句会ではおそらく高点は望めない。はや正月も10日、サラリといきたくてここに取りあげた。新年も今日あたりともなれば、街には本当の意味での“正月気分”などもはや残ってはいない。年末のクリスマス商戦同様に、躍起の商戦が勝手な“正月”を演出し、それをただ利用しているだけである。ニッポンもここまで来ました、犀星さん。世間はせわしない日常にどっぷりつかっていて、今頃「明けましておめでとうございます」などと挨拶しているのは、場ちがいに感じられる。生まれた金沢というふるさとにこだわった犀星にとって、「新年」と言えば「雪」だったにちがいない。彼には新年の山の雪を詠んだ句が目につく。「新年の山見て居れば雪ばかり」「元日や山明けかかる雪の中」等々。雪国生まれの私としても、今頃はまだのんびりとして、しばし掲出句の山並みの雪を眺めていたい気持ちである。ここで犀星の目に見えているのは、もちろん雪をかぶった山々ばかりだけれど、山一つ一つの重なりのはざまには、雪のなかに住む人たちの諸々の息づかい、並々ならぬ生活があり、一律ではないドラマも新しい年を呼吸しているだろう。白一色のなかで、人はさまざまな色どりをもった暮しを生きている。そこでは赤い血も流され、黒いこころも蠢いているだろう。そうしたことにも十分に思いを及ばせながら、あえて「雪ばかり」と結んでいる。作者はうっとりと、重なっている雪の山々を眺めているだけではない。山の重なりは雪景色に映し出された作者の内面、その重なりのようにも私には思われる。「犀星は俳句にはじまり俳句に終った人である」と句集のあとがきで室生朝子は書いている。『室生犀星句集・魚眠洞全句』(1979)所収。(八木忠栄)


December 25122009

 点滴の滴々新年おめでたう

                           川崎展宏

宏さんが亡くなられた。僕は同じ加藤楸邨門下だったので、展宏さんに関する思い出はたくさんあるが、その中のひとつ。展宏さんが楸邨宅を訪ねた折、展宏さんが「僕はどうせ孫弟子ですから」と楸邨の前で少しいじけて見せた。展宏さんは森澄雄の薫陶を受け「杉」誌創刊以来中核の存在であったため、そのことを意識しての言葉だった。それに対し楸邨は「そんなことはありません。直弟子です」と笑って応じたという。酒豪の展宏さんは酔うと必ずこの話をされた。そういえば楸邨に川崎展宏君という前書のある句で「洋梨はうまし芯までありがたう」がある。「おめでたう」と「ありがたう」は呼応している。晩年の病床でのこの句の余裕と呼吸。やはり展宏さんはまぎれもない楸邨の直弟子であった。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)


January 0312010

 只の年またくるそれでよかりけり

                           星野麥丘人

あ、読んでの通りの句です。言っていることも、あるいは言わんとしていることも、実にわかりやすくできています。ありふれていることのありがたみを、あらためて、しみじみと感じている様子がよく表されています。正月3日。このところの深酒のせいで深く眠ったあとで、ゆっくりと目が覚めて、朝風呂にでも浸かっているのでしょうか。水面から立ち上る湯気の様子を、見るともなく見ながら、年が改まったことへの感慨を深めているようです。若い頃には、受験だ結婚だ出産だと、次から次へ予定が詰まっていた一年も、子供たちが独立してからは、年が新しくなったからといって、特に大きな予定も思い当たらなくなってきました。ただただ時の柔らかな流れのなかに、力をいれずに身をまかせているだけです。なんだが止め処もなく湧いてくる、この湯気のような月日だなと思いながら、ありふれた日々のありがたさに、肩深くまで浸かっています。よいことなんて特段起きなくていい。生きて何事もなくすごせることの奇跡を、じかに感じていたいのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


December 30122010

 明日より新年山頭火はゐるか

                           宮本佳世乃

年も余すところ一日となった。明日は朝から掃除、午後はおせち料理に頭を悩ませ、夜は近所の神社へ初詣に出かけることにしよう。平凡だけど毎年変わらぬやり方で年を迎えられるのを幸せに思う。それにしてもこの句「明日より新年」というフレーズに「山頭火はゐるか」と不思議な問いかけが続く。山頭火は放浪の人だからせわしない大晦日も、一人酒を飲んで過ごしていたかもしれない。だとすると家族と過ごす大晦日や正月に縁のない孤独な心が山頭火を探しているのだろうか。そんな寂しさと同時に「さて、どちらへ行かう風がふく」と常にここではない場所をさすらっていた山頭火のあてどない自由が「明日より新年」という不安を含んだ明るさに似つかわしく思える。『きざし』(2010)所収。(三宅やよい)


January 0112011

 新年や人に疲れて人恋ふる

                           梧 六和

けましておめでとうございます。お正月の句を、と思いながら探すうち出会ったこの句の作者は、集まった親戚やひっきりなしに訪れる賀客に疲れているのか、初詣に行った神社か初売りの人混みに疲れているのか。いずれにせよ、年が改まったら一番に会いたい人には会えずにいるのだ。それは友人か、家族か、それとももっと特別な人か。一人で居る時しみじみ思うよりも、たくさんの人に囲まれながら、今傍にいないその人を思う瞬間の方がより強く自分の思いを感じるものだろう。恋われているその人も、同じようにふと作者を思っているのかもしれない、などとあれこれ思いをめぐらせながら読んだ。『図説 俳句大歳時記 新年』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


January 0312011

 子規うさぎ虚子いぬ年や年巡る

                           矢島渚男

を折って数えてみると、ということは、子規と虚子とは七歳違いだ。二人の干支など思ったこともないけれど、こうして並べられてみると面白い。子規の柔軟さはたしかに「うさぎ」を思わせ、虚子の狷介さは「いぬ」に通じるところがあるような気がする。で、子規が年男ならば、今年は何巡目になるのだろうと、誰もがつい数えてみたくなる。これまた、俳句の妙味というものだろう。それぞれの人には干支があり、今年もまたそれぞれに年が巡ってきた。どんな年になるのだろうか。私が小学一年生くらいで干支を覚えたてのころ、家族や知人にそれぞれの干支を聞きまくったことがあった。自分は「とら」、父は「ねずみ」、母は「たつ」と、みな違っていた。で、遊びにきた叔父に聞いてみたら、「哲ちゃんと同じだよ。とらだよ」と答えた。私は覚えていないのだが、そのときとっさに口をとんがらせたらしい。「そんなことないよ。だって、おじさんはもう大人じゃないか。おんなじトシじゃないじゃないか」。後年、よく母が笑いながら話してくれたものだ。「俳句」(2011年1月号)所載。(清水哲男)


December 07122015

 俺たちと言ふ孫らきて婆抜きす

                           矢島渚男

しはやいが、新年の句を。このとき、お孫さんは小学校低学年くらいだろうか。まだ十分に幼く可愛らしい顔をしているのに、突然「俺たち」などといっちょまえの口をきいて、作者を驚かす。だが、いっしょに婆抜きをはじめてみると、そこはそれ、やっぱり手付きも考えも幼くて、勝負にはならない。というか、こちらが上手に負けてやるのに一苦労する羽目になってしまう。たいていの家庭での正月の孫とのつきあいはこのようであり、コミニュケーション・ツールとしてのカードや双六は、それなりの成果をあげてきた。かつての我が家でも、カードなどが引っ張り出されるのは、年に一度の正月だけだった。が、最近の孫たちとのつきあいはずいぶんと様変わりしていて、大変なようだ。第一にいまどきの子供たちは婆抜きなどには興味を示さない。彼らの得意はひたすらに電子的なゲームにへだたっており、老爺が相手になりたくても、まずは簡単な操作がままならない。上手に負けるなんて芸当はとてもできないから、弱過ぎてすぐに相手にならないと飽きられてしまう。そこで「俺たち」は俺たち同士で遊ぶようになり、年寄りはみじめにも仲間外れにされてしまうのだという。時代といえば時代だけれど、孫に限らず、世代間をつなぐ遊びのツールが失われたことは、大袈裟ではなく、世も末の兆候ではないか。「延年」所収。(清水哲男)




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