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December 15121997

 水鳥のしづかに己が身を流す

                           柴田白葉女

鳥、鴨、雁、百合鴎、鳰(かいつぶり)、鴛鴦(おしどり)など、水鳥たちはこの時期、雄はとくに美しい生殖羽になる。そんな水鳥がゆったりと水に浮かんで、我が身を流れのままにまかせている様子だ。つまり、見たままそのままの情景を詠んだ句であるが、ここには作者の、水鳥のそんな自然体での生活ぶりへの憧憬がこめられている。ごく普通の水鳥の生態を、あくせくした人間社会から眺めてみると、句のように、つい羨望の念にとらわれてしまうということだ。もちろんこのような羨望は筋違いなのだけれど、作者とてそれは承知なのだが、自然界の悠々自適を肌で感じると、このように無理な願いの心がわいてきてしまうのは「人情」というものなのだろう。暮の忙しい時期になると、決まってこの句を思い出す。(清水哲男)


October 05102006

 運動会の地面をむしろ多く見る

                           阿部青鞋

の頃は一学期のうちに終えてしまう学校も多いようだが、運動会といえば九月末から十月にかけて行われるのが相場。朝早くから学校に出向いて観客席を確保した経験を持つ人も多いのではないか。茣蓙やビニールシートをコーナーぎりぎりに広げたので、駆けて来る子が勢いあまって観客席に飛び込むハプニングもあった。地べたに座り込んで競技を追う目線を思うと「地面をむしろ多く見る」という捉え方はもっともで、そう言われて初めて土を蹴立てて走ってくる日焼けした脚や、スタートラインに並ぶ運動靴、競技と競技の合間のがらんとしたグラウンドなどが、現実味を帯びた記憶として甦ってくる。運動会を詠むのに運動会の高揚した気分や競技ではなく冷たい地面に着目する。「むしろ」という比較表現でその上に展開している情景を暗黙のうちに立ち上がらせる手腕。青鞋(せいあい)の句は固定観念にとらわれた見方をすっとずらし、在るがままの風景を見せてくれる。「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」「ゆびずもう親ゆびらしくたゝかえり」『俳句の魅力』(1995)所載。(三宅やよい)


December 01122007

 人間はぞろぞろ歩く浮寝鳥

                           田丸千種

えよう、と意識したわけではないのに、なんとなく口をついて出てしまう句というのがある。この句は私にとって、そんな一句。出会ったのは、昨年の十二月十七日、旧芝離宮恩賜庭園での吟行句会にて。芝離宮は、港区海岸一丁目に所在し、昔は海水を引き入れていたという池を中心とした庭園で、毎年水鳥が飛来する。十二月も半ばの冬日和の池の日溜りには、気持よさそうな浮寝鳥が、さほど長くはない首を、器用に羽根の間に埋めて漂っていた。日が動くと、眠っているはずの浮寝鳥達が、つかず離れずしながらいつのまにか、日向に移動。ほんとうに眠っているのか、どんな夢をみているのか、鳥たちを遠巻きにしつつ、それぞれ池の辺の時間を過ごしたのだった。たくさんあった浮寝鳥の句の中で、この句はひとつ離れていた。師走の街には足早な人の群。何がそんなに忙しいのか、どこに向かって歩いているのか。命をかけた長旅を経た水鳥は、今という時をゆっくり生きている。ぞろぞろとぷかぷか、動と静のおもしろさもあるかもしれないが、浮寝鳥に集中していた視線をふっとそらして、それにしてもいい天気だなあ、と空を仰いでいる作者が見えた。(今井肖子)


November 13112008

 正午すでに暮色の都浮寝鳥

                           田中裕明

京の夕暮れは早い。この地にずっと住んでいる人には違和感のあるセリフかもしれないが、鹿児島、山口、大阪、と移り住んできた身には4時を過ぎればたちまち日が落ちてしまう東のあっけない暮れ方は何ともさびしい。体感だけでなく、この時期の日の入りを調べてみると、東京は16時38分、大阪は16時57分、鹿児島は17時22分と40分以上の差がある。この都では3時を過ぎればもう日が傾きはじめる。関西に住み馴れた作者にとっても、たまに訪れる東京の日暮れの早さがとりわけさみしく思えたのかもしれない。この俳人の鋭い感受性は、太陽が天辺にある華やかな都会の真昼にはや夕暮れの気配を感じとっている。その物悲しい心持ちがおのが首をふところに差し入れ、波に漂いながら眠る水鳥に託されているようだ。すべてがはぎとられてゆく冬は自然の実相がこころにせまってくるし、自分の内側にある不安をのぞきこむ気分になる。この句を読んで、頼りなく感じていた日暮れの早さが、自分の人生の残り時間を映し出しているような、心持になってしまった。『夜の客人』(2005)所収。(三宅やよい)


January 2312010

 ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり

                           村上鞆彦

事は一年中起きてしまうものだが、空気が乾燥して風が強い冬に多いということで冬季。とはいえ、火事そのものは惨事であり、兼題に出たりすると、火事がどこかであったかしら、と思うのもなにやら後ろめたく、また季感もうすい。「この句はいかにも火事らしい」などと言っても言われても、なんだかなあという気も。その点この句にはまず冬の匂いがある。ひんやりと黒いガラス戸の向こうに見える小さく赤い炎に、思わず指を重ねたのだろうか。平凡な沈黙を破るかのような一点の火。見慣れた夜景が生々しく動きだし、その中に急に人の息づかいを感じてしまう。そして、ガラスから伝わってくる冷たさを指先で共有する時、読み手はまた作者の内なる熱さに触れるような心持ちになるのかもしれない。他に〈コート払ふ手の肌色の動きけり〉〈浮寝鳥よりも静かに画架置かれ〉など、衒わず新鮮な印象。「新撰21」(2009・邑書林)所載。(今井肖子)


January 2212011

 水鳥のいくつも浮かぶカプチーノ

                           彌榮浩樹

瞬、カプチーノのほわっとした泡の上に、鳥たちがのんびり浮かんでいるような気がしてしまう、浮かぶ、で切れるとわかっていても。作者は池を見渡せるティールームで、水に遊ぶ鳥たちを眺めながら、ゆっくりカプチーノを楽しんでいるのだろう。これが、白鳥の、とか、鴛鴦の、などと言われてしまうと、まずそれらの鳥の映像がはっきり浮かぶので、カプチーノの上には浮かばない。いくつも、という言葉も、具体的な鳥だったら逆に、何羽くらいなんだろう、などと考えてしまう。水鳥、という大づかみな表現が、いくつも、という言葉の曖昧さを広がりに変えて、カプチーノの泡とともに句全体から、冬日が漣となっている池の空気を感じさせている。『鶏』(2010)所収。(今井肖子)


October 28102011

 水鳥の月夜も道をつくりをり

                           吉田鴻司

和55年作のこの句には前書きがある。「樋本詩葉氏の絶句『ゆりかもめ山河のうねり京にいる』あり」と。いるは入るの意味だろう。樋本詩葉という名前から僕の極めて個人的な記憶が蘇った。44年に米子の高校を出て京都の予備校に入った僕は上賀茂の近くで寮生活をしていた。この頃すでに俳句を始めていた僕は上賀茂御園橋のたもとにある民家の開け放った玄関の中に見える草田男の掛け軸が気になってしかたがなかった。表札の詩葉という名前とその掛け軸から俳人のお宅だろうと推測した僕は突然無謀にも門を入って「俳句をやってらっしゃるんですか」と声を掛けた。細身の品のいいご主人が出ていらして「丸山海道先生の句会をやっていますから、いつでもどうぞ」とお誘いをいただいた。今から思うと汗顔の至りである。海道さんの句会に出た僕は講評までいただく幸運を得たが、詩葉氏宅での句会出席はその一度きりに終った。浪人という自分の立場を少しは考えたのである。その後の人生の俳句との関りの中でこの体験を時折思い出してはいた。このたび鴻司さんの句集を読んでこのお名前を見て詩葉さんがお亡くなりになられたこと。鴻司さんと交流があられたことを初めて知った。御園橋のお宅は京都市の北端にあるから「山河のうねり京にいる」の景もまさにそのまま。その絶句を踏まえた「道をつくりをり」もみごとな悼句というほかはない。そしてその道の端を僕も一時歩かせていただいたのだとつくづく思ったしだいである。『吉田鴻司全句集』(2011)所収。(今井 聖)


November 09112012

 水鳥に投げてやる餌のなき子かな

                           中村汀女

の句所収の『汀女句集』は序文を星野立子が書いていて、その序文の前、つまり句集の巻頭には虚子の「書簡」が掲げられている。拝啓で始まり怱々頓首で終わる汀女宛の実際の書簡である。これが面白い。あなた(汀女)は私(虚子)に選のお礼を述べられたが「もう何十年かあなた許りで無く、何百人、何千人、或は何万人といふ人の句を毎日選び続けて今日まで参りました。」そんな多くの句の選をして疲労せずにいることができるのは、それらの中に自分を驚喜せしめ興奮せしめる句があるからで、あなたが私に感謝なさるよりも私の方こそあなたに感謝しなければならないと書く。ここまでなら謙虚で品のいい指導者らしい言い方になるが虚子はもちろんそこで終わらない。「併し斯んなことをいふたが為めに、あなたの力量を過信なさっては困ります。(中略)今日の汀女といふものを作り上げたのは、あなたの作句の力と私の選の力とが相待って出来たものと思ひます。」と続ける。そもそも選のお礼を虚子に言ってきているのだから汀女は言われるまでもなくわかっているのだが、虚子はえげつなく誰のおかげだと念を押す。さらに想像して言えば、この汀女宛の「書簡」が巻頭に載って多くの門弟たちに読まれることを虚子は知っていたので(当然汀女はあらかじめ許可を得ているはず)、その機会を借りて組織のヒエラルキー護持と権威への信奉を強調したとも取れる。やっぱり怪物だなあ。この句集、子を詠んだ秀句が多い。この句もテーマは水鳥ではなく子どもの「気持」そのものが眼目である。『汀女句集』(1944)所収。(今井 聖)


December 12122014

 浮寝鳥同心円を出でざりき

                           柴田奈美

とか鳰とか鴛鴦などは秋に渡来し越冬する。冬の間は湖水、河川、潟や海で餌をあさり寒い水の上で冬を過ごす。飛ぶもの潜るもの姿態は様々であるが、特に水上に浮かんで寝るものを浮寝鳥と言う。群れで渡来はするもののエサ取り羽繕いなど個別の生活作業もある。が常時仲間の気配を察知しながら落こぼれないように暮している。見渡せばみんな同心円の中でそうしている。一人は淋しい。寒くても貧しくても誰かと居ることは心強く嬉しい。他に<蜩や静かにその人を赦す><いち早く座ってをりぬ冷奴><病身の姉は叱れずさくらんぼ>などあり。『黒き帆』(2007)所収。(藤嶋 務)


November 27112015

 城近き茶店の池の浮寝鳥

                           同前悠久子

光や散歩で人々が訪れる名所旧跡に茶店はつきものである。そしてお堀とか池とか噴水など水が風景を飾る。その水の風景のアクセントとなって様々な鳥たちが人々の目を楽しませている。どんな鳥か暫く観察する。白鳥、鴨、鳰、鴛鴦などを発見。秋に渡って来てここで越冬し春には帰っていくものもいれば、ここに居着いた鳥も居る。水に潜ったり翼に嘴をさし入れたり様々な姿態で点在している。水上に浮かんで寝ているものが居る、浮き寝鳥という。鴨ならば浮き寝鴨とでもいうところ。一杯の珈琲の寛ぎタイムも流れさって、人間はそれぞれの持ち場に帰ってゆく。鳥たちはのんびりと眠り続ける。他に<花枇杷を待つ日々は佳し恋に似て><足元にかすかに揺るる黄千両><玉子酒ふと作りたしひとり居の>などあり。俳誌「ににん」(2015年冬号)所載。(藤嶋 務)


January 2812016

 冬うらら猫とおんなじものを食べ

                           寺田良治

倍青鞋の句に「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」という句がある。空を飛んで遠くの国から渡りをする水鳥が食べるものは軽くて清い印象がある。その裏には肉をはじめあらゆるものを食べて生きている人間の猛々しさが隠されているのだろう。水鳥とおなじものを人が食するのであれば仙人のような気がするが、「猫とおんなじもの」は生活感が漂う。豪華ではなく、ささやかな食を猫と分け合って食べている様子とともに自分の食生活へのペーソスが感じられる。ごちそうや珍味と呼ばれるものに魅力も感じず、お前と同じもので十分だよと膝に乗せた飼いネコに話しかける。「猫まんま」はいいけど、キャットフードはいやだな。『こんせんと』(2015)所収。(三宅やよい)




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