December 15121997

 水鳥のしづかに己が身を流す

                           柴田白葉女

鳥、鴨、雁、百合鴎、鳰(かいつぶり)、鴛鴦(おしどり)など、水鳥たちはこの時期、雄はとくに美しい生殖羽になる。そんな水鳥がゆったりと水に浮かんで、我が身を流れのままにまかせている様子だ。つまり、見たままそのままの情景を詠んだ句であるが、ここには作者の、水鳥のそんな自然体での生活ぶりへの憧憬がこめられている。ごく普通の水鳥の生態を、あくせくした人間社会から眺めてみると、句のように、つい羨望の念にとらわれてしまうということだ。もちろんこのような羨望は筋違いなのだけれど、作者とてそれは承知なのだが、自然界の悠々自適を肌で感じると、このように無理な願いの心がわいてきてしまうのは「人情」というものなのだろう。暮の忙しい時期になると、決まってこの句を思い出す。(清水哲男)




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