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November 24111997

 街道に障子を閉めて紙一重

                           山口誓子

さにこの通りの家が、昔は街道沿いに何軒もありました。障子の下のほうには、車の泥はねの痕跡があったりして……。夜間は雨戸を閉めておくのですが、昼間は障子一枚で街道をへだてているわけで、この句の「紙一重」は言いえて妙ですね。街道沿いとはいえ、いまのようにひっきりなしに車の往来がなかったころの光景です。障子の内側で暮らす人たちの生活ぶりまでが想像されて、懐しい感情を呼び醒される一句でした。障子といえば、私が子供だったころには、どこの子も「ちゃんと閉めなさい」と親から口喧しくいわれたものです。おかげでマナーが身についたせいか、いまだに宴席でトイレに立つときなど、障子の閉め具合が気になります。そんな習慣の機微を詠んだ句に、北野平八の「障子閉じられて間をおき隙閉まる」があります。これまた名句というべきでしょう。(清水哲男)


January 3012003

 美しき鳥来といへど障子内

                           原 石鼎

語は「障子(しょうじ)」で冬。どうして、障子が冬なのだろうか。第一義的には、防寒のために発明された建具ということからのようだ。さて、俳句に多少とも詳しい人ならば、石鼎のこの句を採り上げるのだったら、なぜ、あの句を採り上げないのかと、不審に思われるかもしれない。あの句とは、この句のことだ。「雪に来て美事な鳥のだまり居る」。おそらくは、どんな歳時記にでも載っているであろう、よく知られた句である。「美事(みごと)な」という形容が、それこそ美事。嫌いな句ではないけれど、しかし、この句はどこか胡散臭い感じがする。石鼎の句集を持っていないので、掲句とこの句とが同じ時期に詠まれたものかどうかは知らない。知らないだけに、掲句を知ってしまうと、美事句の胡散臭さが、ますます募ってくる。はっきり言えば、石鼎は実は「美事な鳥」を見ていないのではないか。頭の中でこね上げた句ではないのか。そんな疑心が、掲句によって引きだされてくるのだ。句を頭でこね上げたっていっこうに構わないとは思うけれど、いかにも「写生句」ですよと匂わせているところが、その企みが、鼻につく。事実は、正真正銘の写生句なのかもしれないし、だとしたら私は失礼千万なことを言っていることになるのだが、そうだとしても、掲句を詠んだ以上は、美事句の価値は減殺されざるを得ないだろう。どちらかを、作者は捨てるべきだったと思う。私としては、掲句の無精な人間臭さのほうが好きだ。「美しき鳥」が来てますよと家人に言われても、寒さをこらえてまで障子を開けることをしなかった石鼎に、一票を投じておきたい。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 26112006

 午後といふ不思議なときの白障子

                           鷹羽狩行

語は「障子」、冬です。けだるく、幻想的な雰囲気をもった句です。障子といえば、日本の家屋にはなくてはならない建具です。格子に組んだ木の枠に白紙を張ったものを、ついたてやふすまと区別して、「明り障子」と呼ぶこともあります。きれいな言葉です。わたしはマンション暮らしが長いので、障子とは無縁の生活を送っていますが、それでも子供の頃の障子のある生活を、よく思い出します。ただ、この句のように、まぼろしの世界にあるような美しい姿とは違って、たいていは破れて、穴だらけのみすぼらしいものでした。「明り障子」という名の通りに、光はその一部を外から取り込んできます。障子とはまさに、「区切る」ことと「受け入れる」ことを同時にこなすことのできる、すぐれた境目なのだと思います。生命が活動を始める朝日の鋭い光ではなく、ここでは午後の、柔らかな光が通過してゆきます。午後のいっとき、障子を背に、心も体も休めているのでしょうか。うつらうつらする背中越しに、外気の暖かさがゆっくりと伝わってきます。日が傾いてゆくその先には、この世界とは違った「不思議な」場所への通路がうがたれているようです。「午後」という時のおだやかさは、いつまでも、まんべんなくわたしたちに降りつのっています。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


January 3012007

 また一羽加はる影や白障子

                           名取光恵

崎潤一郎の『陰翳礼讃』を持ち出すまでもなく、白障子のふっくらとした柔らかい光線の加減こそ、日本人の座敷文化の中核をなすといえよう。障子や襖(ふすま)などの建具が冬の季語であることに驚く向きも多いだろうが、どれも気温を調節し、厳しい寒さの間はぴったりと閉ざし、春を待つものとすると考えやすいかと思う。障子といえば、私のようないたずら者には、影絵遊びや、こっそり指で穴を作る快感などを思い浮かべるが、掲句の障子の影に加わる一羽は、庭に訪れた本物の小鳥だろう。というのは、句集中〈検査値の朱き傍線日雷〉〈十日目の一口の水秋初め〉など闘病の句に折々出会うことにより、仰臥の視線を感じるためだ。しかし、どれも淡々と日々を綴っている景色に、弱々しさや暗さはどこにもない。庭に訪れた小鳥の輪郭を障子越しに愛で、来るべき春の日をあたたかく見守る作者がそこにいる。冬来たりなば春遠からじ。あらゆることを受け入れている者に与えられた透明な視線は、障子のあちら側で闊達に動く影に、自然界の厳しさのなかで暮らす力強い鼓動を読み取っている。純白の障子は、凶暴な自然界と、人工的にしつらえられている安全な室内との結界でもある。『水の旅』(2006)所収。(土肥あき子)


November 29112007

 ふりむけば障子の桟に夜の深さ

                           長谷川素逝

面台で顔を洗っているとき、暗い夜道を歩くとき。背後はいつだって無防備だ。掲句には一人夜更かしをしていて、ふっとわれに返り振り返った瞬間、薄闇に沈んだ障子の桟が黒々と感じられた様子が捉えられている。昔はひとり起きているのに今のように煌々と電気をつけることはなかった。せいぜい六畳間の端に寄せた机に笠をかぶせたスタンドで手元を明るくするぐらいだった。私が住んでいた古い家は夜になると日中暖められた木が冷えて軋むのか、廊下で、天井でときおり妙な音がした。夜の家は物の怪が練り歩いているようで不気味だった。作者も何か気配を感じて振り向いたのだろう。自分が感じた濃密な雰囲気を表現するのに視線の先をどこに着地させるか。障子全体ではなく障子の桟に限定したことで、ひとりでいる夜の空気を読み手に生々しく感じさせる。夜を煌々と照らし、身辺に何かしら音があることに慣れた現代人の失った暗黒と静寂がこの句から感じられる。それは人がひとりに帰り、自分と向き合う大切な時間だったのかもしれない。「素逝の俳句を読むと、表現ということと見るということの二つを特に感じる。」と野見山朱鳥が述べているが、この句にも素逝の感性の鋭さが視線となって、障子の桟に突き刺さり、そこによどんでいる不安を「夜の深さ」として表しているように思う。『定本素逝句集』(1947)所収。(三宅やよい)


January 2812010

 障子閉めて沖にさびしい鯨たち

                           木村和也

の日ざしを受け鈍く光る障子は外と内とをさえぎりつつも外の気配を伝える。ドアは内と外を完全に遮断してしまうけど、障子は内側にいながらにして外の世界を感じる通路をひらいているように思う。「障子しめて四方の紅葉を感じをり」の星野立子の句がそんな障子の性質を言い当てている。掲句では障子を閉めたことでイマジネーションが高まり沖合にいる鯨が直に作者の感性に響いているといえるだろう。大きく静かな印象をもつ鯨を「鯨たち」と複数にしたことでより「さびしさ」を強めている。冬の繁殖期に日本の近海に回遊してくる鯨。その種類によっては広大な海でお互いを確認するためさまざまな音を出すという。「例えば、ナガスクジラは人間にも聞き取れる低い波長の音を出し、その音は海を渡ってはるかな距離まで響き渡る。」と、「世界動物大図鑑」に記述がある。閉めた障子の内側に坐して作者は沖にいる鯨の孤独を思い、ひそやかな鯨の歌に耳をすましているのかもしれない。『新鬼』(2009)所収。(三宅やよい)


November 08112010

 いちにちが障子に隙間なく過ぎぬ

                           八田木枯

者は八十代半ば。寒い日だったのか、一日中外出もせずに部屋に閉じこもっていたのだろう。時間の経過を感じるのは、ただ障子を隔てた外光の移り行きによってである。日中は日差しがあたり、木などの影も写る。それがだんだんと淡くなって薄墨色に溶けてゆき、やがて暗くなってきた。作者はべつだん意識して障子を見つめていたわけではないのだけれど、そんな一日をふり返ってみれば、目の端の障子が雄弁に時の経過を物語っていたことを知るのである。まさに時が「隙間なく」流れていることを、障子一枚で表現したところに、この句の新鮮な味わいがある。しかも作者が、この句に何の感慨もこめていないところが、かえって刺激的だ。無為の一日を惜しむ気持ちも、逆に過ぎ去った時間を突き放すような韜晦の気持ちが生れているわけでもない。作者に比べれば若造でしかない私にも、老人特有のこの淡々とした心の動きはわかるような気がする。なお「隙間なく」の「間」は、原文では門構えに「月」の字が使われている。『鏡騒(かがみざい)』(2010)所収。(清水哲男)


December 22122014

 ひだりより狐の出でし障子かな

                           西原天気

語は「障子」。これを冬の季語とするのは、まだ冷暖房設備が整わなかったころ、夏は風通しをよくするために外し、寒くなってきてから障子を入れる習慣があったため。こうして整えられるのが「冬座敷」というわけだ。その冬座敷の障子に、いきなり狐が現れた。びっくりするような光景だが、この狐は影絵遊びのそれだろう。貼り替えた真新しい障子は、それでなくとも想像力を刺激してくる。影絵の主もちょっと遊んでみたかったのだろう。私も子供のころに、狐や犬を写しては弟に見せて楽しんだものだった。ただし電気の来ない家に住んでいたので、光源はランプだった。大人であればランプの光源はゆらめいたりするので魅力的と思うかもしれないが、子供にははっきりしない映像がもどかしかった、狐や犬以外にも多くのキャラクターを作ることができたけれど、いまでは狐と犬くらいしか覚えていない。そして現在の我が家には、もはや肝心の障子がないのである。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


December 24122014

 地上の灯天上の星やクリスマス

                           千家元麿

夜はクリスマス・イブ。とは言え、当方には格別何もない、何もしない。夕食にワインをゆっくり楽しむくらい。ツリーもターキーも関係ない。関連するテレビ番組のチャラチャラしたバカ騒ぎが邪魔臭いだけだ。「地上の灯」つまりイルミネーションは、クリスマスから始まったと思われるが、近年は12月に入ると、町並みのあちこちで派手なイルミネーションが、キリスト様と関係なくパチクリし始める。クリスマスというよりも、年末商戦がらみの風物詩となってしまった観がある。ノーベル賞受賞はともかく、経済的に有利なLEDの普及と関係があるらしい。今や「天上の星」は「地上の灯」のにぎわいに圧倒され、驚きあきれて夜通しパチクリしているのではあるまいか。掲出句における「地上」と「天上」は、まだ程よくバランスがとれていた時代のクリスマス・イブであろう。近年は「昼に負けない都会の夜の明かるさ」と嘆く声も聞こえてくる。過剰で危険な発電に強引に突っ走るのではなく、夜は星明かりをしみじみ楽しむゆとりをもちたいものである。元麿には、他に「春寒き風の動かす障子かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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