November 19111997

 汽車の胴霧抜けくれば滴りぬ

                           飴山 實

和29年の作品。いわゆるSLである。なんとなく「生き物」という感じがしたものだ。いまの新幹線などは点から点へ素早く冷静に移動させてくれる乗り物でしかないが、昔の機関車は私たちをエッチラオッチラ一所懸命に運んでくれているという感じだった。汽笛にも「感情」がこめられているようだった。したがって、この句は客観写生句ではあるけれど、読者にはどこかでそれを越えた作者のねぎらいの心が伝わってくるのである。まだ観光旅行もままならず、乗客がみなよんどころのない事情を抱えていた時代の汽車は、いわば数々の人間ドラマを運んでいたわけで、それだけにいっそう神秘的にも見えたのだろう。同じ作者の前年の作に、敦賀湾で詠んだ「冬の汽笛海辺の峠晴れて越す」がある。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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