November 14111997

 小春日のをんなのすはる堤かな

                           室生犀星

全体が春の日のようにまろやか。女も土手も、ぼおっと霞んでいるかのようだ。平仮名の使い方の巧みさと二つ重ねた「の」の効果である。とくに旧仮名の「をんな」が利いている。新仮名の「おんな」では、軽すぎてこうはいかない。ところで、八木忠栄の個人誌「いちばん寒い場所」(24号・1997年11月)の表紙に、犀星のこんな文章が引用されていた。「『一つ俳句でもつくって見るかな』といふ軽快な戯談はもはや通らないのである。『俳句は作るほど難しくなる』といふ嘆息がつい口をついて出てくるやうになると、もう俳句道に明確にはいり込んでゐるのだ。どうか皆さん、『俳句でも一つ作って見るか』などといふ戯談は仰有らないやうに、そして老人文学などと簡単に片づけてくださらないやうに」。「俳句道」には恐れ入るが、言いたいことはよくわかる。上掲の句は『遠野集』所載。(清水哲男)




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