G黷ェHフ雲句

November 07111997

 秋の雲立志伝みな家を捨つ

                           上田五千石

月に急逝した作者の、いわば出世作。その昔は、何事かへの志を立てた人物は、まず「家」からの自立問題に懊悩しなければならなかった。多くの立志伝の最初の一章は、そこから始まっている。晴朗にして自由な秋の雲に引き比べ、なんと人間界には陰湿で不自由なしがらみの多いことか。嘆じながら作者は、再び立志伝中の人々に思いをめぐらすのである。継ぐべき「家」とてない現代は、価値観の多様化も進み、志の立てにくい時代だ。このことを逆に言えば、妙な権威主義的エリートの存在価値が希薄になってきたということであり、私はこの流れに好感を持っている。ふにゃふにゃした若者の志が、如何にふにゃふにゃしていようとも、「家」とのしがらみに己の人生を縛られるような時代だけは、私としてもご免こうむりたいからだ。『田園』所収。(清水哲男)


September 0391999

 秋雲やふるさとで売る同人誌

                           大串 章

学の暑中休暇は長いので、秋雲が浮かぶころになっても、故郷にいる学生は少なくない。しかし、もうそろそろ戻らねば……。そんな時期になって、ようやく作者は友人や知り合いに同人誌を売る気持ちになった。入道雲の下で、そういう気持ちにならなかったのは、照れくさくて言い出しかねたからである。でも、大学に戻れば、仲間に「戦果(!?)」を報告しなければならない。宿題に追われる子供のように、ちょっぴり焦ってもいる。青春の一齣だ。作者の大串章と私は、学部は違ったが、同じ年度に京大に入った。一回生のときから、いっしょに同人誌も作った。「青炎」とか「筏」という誌名であった。したがって、句の同人誌には私の拙い俳句なんかも載っていたのかもしれず、彼に尋ねたことはないけれど、読むたびに他人事ではないような気がしてきた。大串君の青春句の白眉は、何といっても「水打つや恋なきバケツ鳴らしては」だ。「恋なき」を字句通りに受け取ることも可能だが、「恋を得ていない」と読むほうが自然だろう。片想い。か、それに近い状態か。我が世代の純情を、この句が代表している。『朝の舟』所収。(清水哲男)


September 0792000

 秋の雲ピント硝子に映りけり

                           籾山庭後

書に「海岸撮影」とある。詠まれたのは、明治末期か、大正初期だ。海岸の写真を撮るべく写真機をセットしたら、ファインダー(ピント硝子)に雲が映った。その雲の形は、既に秋のそれだった。それだけの写生句だが、写真機を通じて秋の雲にはじめて気がついたところに、作者の喜びが表現されている。「映りけり」が、それを伝えている。写真の面白さの第一歩は、このあたりにあるのだろう。人間の目は、あらゆる風景や物などを、いわば勝手に見ているので、見ているはずが気がつかないことも多い。作者の肉眼には海岸の形状だけが見えていて、その上に浮かぶ雲などは、見えてはいても見ていなかったのである。それが写真機の「ピント硝子」を覗いてみると、見えていなかった雲までが形として鮮明に飛び込んできた。写真機の目は風景を切りとり、切り取ったシーンについてはすべてを公平に映し出すから、人間の目とは似て非なる目だ。ましてや、この写真機はピントとフレームを決めたら、フィルムならぬ「乾板(かんぱん)」を差し込んで写すタイプのもの。撮影者が「ピント硝子」を見るためには、黒い布を被らなければならない(昔の学校に来た写真屋さんが、そんな格好で記念写真を撮ってくれましたね)。黒い布で自分の目が現実の外界から遮断されることで、余計に、それまで見えていなかったものが見えてくる理屈となる。「ピント硝子」は、磨りガラス製。海岸風景は、逆さまに映っている。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)


November 11112000

 校庭の土俵均され秋の雲

                           塩谷康子

目(ほうきめ)も鮮やかに、土俵が均(なら)されている。縹渺(ひょうびょう)と雲を浮かべて、天はあくまでも高い。好天好日。作者は上機嫌だ。はじめは、これから相撲大会でもはじまるのかなと思ったが、休日の学校風景だろうと思い直した。そのほうが、句の味が濃くなる。たまさか子供らのいない校庭に入ると、不思議な緊張感にとらわれる。学校嫌いだった私だけの感じ方だろうが、なぜか授業中にひとり校庭にたたずんでいるような……。終業のベルが鳴ったら、みんなが昇降口からどっと出てくるような……。もうそんなことは起きないのだと思い直して、やっと安心する。そこで、作者と同じ上機嫌になる。そんな回路でしか、学校句は読めない。ところで、いまどきの学校に土俵はあるのだろうか。句集をひっくり返してみたら、作者は横浜市在住である。きっと近所の学校にあるのだろうけれど、かなり珍しいのではないか。昔は、四本柱の土俵がどこの学校にもあった。当然、男の子は体操の時間に相撲を取らされた。取るといってもねじり倒しっこみたいなもので、当人同士は真剣でも傍目には不格好だ。非力だが、嫌いじゃなかった。力いっぱい取り組んだ後は、負けても爽快感が残ったからだ。取っ組み合いの喧嘩でも同じで、身体と身体を直接ぶつけ揉み合う行為には、奇妙な恍惚感がある。なんだろうなあ、あれは……。中学を出て以来、ついぞそんな気持ちを味わえないままに、ここまで来てしまった。『素足』(1997)所収。(清水哲男)


August 1282007

 窓あけば家よろこびぬ秋の雲

                           小澤 實

めばだれしもが幸せな気分になれる句です。昔から、家を擬人化した絵やイラストの多くは、窓を「目」としてとらえてきました。位置や形とともに、開けたり閉じたりするその動きが、まぶたを連想させるからなのかもしれません。「窓あけば」で、目を大きく見開いた明るい表情を想像することができます。ところで、家が喜んだのは、窓をあけたからなのでしょうか、あるいは澄んだ空に、ゆったりとした雲が漂っているからでしょうか。どちらとも言えそうです。家が喜びそうなものが句の前後から挟み込んでいるのです。「秋の」と雲を限定したのも頷けます。春の雲では眠くなってしまうし、かといって夏でも冬の雲でもだめなのです。ここはどうしても秋の、空を引き抜いて漂わせたような半透明の雲でなければならないのです。その雲が細く、徐々に窓から入り込もうとしています。家の目の中に流れ込み、瞳の端を通過して行く雲の姿が、思い浮かびます。「よろこぶ」という単純で直接的な表現が、ありふれたものにならず、むしろこの句を際立たせています。考え抜かれた末の、作者のものになった後の、自分だけの言葉だからなのでしょう。『合本 俳句歳時記』(1998・角川書店)所載。(松下育男)


September 1792008

 教官の帽子の上や秋の雲

                           内田百鬼園

鬼園の小説や随筆は、時々フッと読みたい衝動に駆られる。その俳句もまた然りである。たとえ傑作であれ、月並み句であれ、そこには百鬼園先生独自のまなざしが生き、風が吹いている。こちらの気持ちが広がってくる。掲出句の「教官」は、帽子をかぶって幾分いかめしく、古いタイプの典型的な教官であろうか。その頭上に秋の雲を浮べたことにより、この人物のいかめしさに滑稽味が加味され、どこかしら親しみを覚えたくなる教官像になった。すましこんで秋空の下に直立しているといった図が見えてくる。事実はともかく、さて、この教官を少々乱暴に百鬼園の自画像としてしまってはどうか。そう飛躍して解釈してみると、一段と味わいに趣きが加わってくる。「教官」にはどうしても固い響きがあり、辞書には「文部教官・司法研修所教官など」とある。教員・教師などといったニュアンスとは別である。この教官はのんびりとした秋の雲になど気づいていないのかもしれない。百鬼園は芭蕉の句「荒海や佐渡に横たふ天の川」を「壮大」とした上で、「暗い荒海の上に天の川が光っていると云うのは、滑稽な景色である」と評している。されば掲出句を「教官の帽子の上に秋の雲が浮いていると云うのは、滑稽な景色である」と言えないだろうか。明治四十一年に「六高会誌」に発表された。つまり岡山の六高に入学した翌年の作だから、私の解釈「自画像」は事実とちがう。けれども、今はあえて「自画像」という解釈も残しておきたい。『百鬼園俳句帖』(2004)所収。(八木忠栄)


September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 1792012

 引越の箪笥が触るる秋の雲

                           嘴 朋子

屋の構造にもよるけれど、箪笥(たんす)はたいていが、あまり日の当たらない部屋の奥などに置かれている。それが引越しともなると、いきなり白日の下に引き出されて、それだけでもどこか新鮮な感じを受ける。句の箪笥はしかも、たぶんトラックの荷台に乗せられているのだろう。日常的にはそんなに高い位置の箪笥を見ることはないので、ますます箪笥の存在感が極まって見えてくる。その様子を作者は、秋雲に触れている(ようだ)と捉えたわけだが、この表現もまた、箪笥の輪郭をよりいっそう際立たせていて納得できる。その昔、若き日のポランスキーが撮った『タンスと二人の男』という短編映画があった。ストーリーらしきストーリーもない映画で、二人の男がタンスをかついで海岸や街中をうろうろするというだけのものだった。ふだんは家の奥に鎮座しているものが表に出てくるだけで、はっとするような刺激を与えるという意味では、掲句も同じである。なんでもない引越し風景も、見る人によってはかくのごとき感覚で味わうことができるのだ。あやかりたい。『象の耳』(2012)所収。(清水哲男)


October 31102012

 魂の破片ばかりや秋の雲

                           森村誠一

夏秋冬を通じて、さまざまな雲が空(そら)という広大なステージに、千変万化登場してくれる。見飽きることがない。それぞれの雲が生成される天文気象学的根拠などそっちのけで、私たちはただ見とれて楽しめばよろしい。雲をずっと追いかけている写真家もいるくらいである。天を覆うような壮大な鰯雲などではなく、点々と散らばる秋のちぎれ雲だろうか。それを「魂の破片」ととらえているのだから、不揃いで身勝手なちぎれ雲が、思い思いに浮かんで、動くともなく風でかすかに動いているのだろう。まともにまとまった立派な「魂」と言うよりも、ありふれた文字通り「破片ばかり」なのである。そんな魂を覗くように、作者はその「破片」にカメラを向けているのかもしれない。誠一はさかんに「写真俳句」に熱をあげていて、著作『写真俳句のすすめ』などもあるくらいだ。「俳句ほど読者から作者に容易になれる文芸はない」と書く。そう、たしかに小説や詩の作者になるのは、俳句に比べて「容易」ではない。ほかに「行く年を追いたる如くすれちがい」がある。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


September 2592014

 呼んで応へぬ執事さながら秋の雲

                           筑紫磐井

の雲春の雲。「雲」といっても季節によって様相が変わることを俳句を始めて意識するようになった。そして私が気づくことなどたいていは季語の本意としてとうの昔に詠み込まれており、そこをどうずらすかが勝負どころだろう。もちろんそのずらし方にその作者のものの見方や俳句の捉え方が現れるというもの。掲載句では、澄み切った秋晴れの空にポッカリと動かぬ雲を「執事さながら」と形容する。平凡な日常からは遠く、ちょいと気取った職業を見立てたところが面白い。執事は主人には献身的に尽くすが外部の人間には取り澄まして冷たい。冷ややかな白さで空に浮かぶ白雲は「おーい雲」と呼びかける人間なんてまったく無視ナノダ。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


February 2022015

 生き延びろ目白の尾羽雪まとう

                           小林 凜

れは2001年生れの凜くん11歳の作品。自然界に生きる野鳥まして小さな目白の生きる厳しさを知っての応援歌。虚弱体質に生まれいじめをかいくぐりつつ小学校生活を生き延びた。尾羽に雪をまとったこの目白は凜くん自身の投影でもある。人生平均寿命が2013年の日本人男性が80.21歳、女性86.61歳でざっくり言えば80歳台となった。これは平均だから86歳まで来た女性はこれからいったい幾つまで生きる勘定になるのか。健康であればもう半分もう半分と生きて見たい欲がでる。贅沢にも程があるのが人間の性と言うもの。他に8歳で<枯れ薄百尾の狐何処行った>。9歳で<秋の雲天使の翼羽ばたいて>10歳で<春嵐賢治のコートなびかせて>などあり。「ランドセル俳人の五・七・五」(2013)所収。(藤嶋 務)


August 0782016

 さようなら秋雲浮かべ麹町

                           清水哲男

日、立秋です。秋の始まるこの日、日曜の増俳もさようならとなりました。長い間、拙文をお読み頂き、ありがとうございました。さて、先週日曜の午後、清水さんにお電話しました。「この句は、麹町にあるFM東京のパーソナリティーをお辞めになった時の句ですか」「そうそう」「何年の何月ですか」「忘れたなあ」「1980年の半ばくらいまででしたよね」「うん」「何年続けられたんですか」「12年半」「朝の9時頃までの放送だったと思いますが、スタートは何時からでしたか」「7時から9時まで」「その頃は相当な早起きですよね」「4時に起きていた」「始発で出勤ですか」「家の近くはバスも通っていないんで、タクシーと契約してたんだ」「その頃は就寝も早かったでしょうね」「うん。9時とかね」「私は、坂本冬美さんがゲストだった放送のことをよく覚えているんですが」「坂本冬美は、アマチュアのコンクールに出ていた時から注目してたんだ。それに優勝して、まだ、新人の頃だね」「他に印象に残っているゲストはいますか」「うーん、、、マスゾエさんかなぁ。新進気鋭の国際政治学者で切れ味がよかったね」「あの時代としてはかなり右寄りの発言を堂々と喋っていましたね」「そうそう。政治のコメンテーターとして、番組のレギュラーだったんだ」「ところで、ラジオのパーソナリティーになられたきっかけは何だったんですか」「ラジオに原稿を書いていたんだけど、ディレクターから、書くより喋る方が手っ取り早いからやってみないかって言われてね」「では、この句に解説を加えるとすればいかがでしょう」「そのまま。自分のために作った句だよ」「もう一句教えて下さい。私の好きな句に〈ラーメンに星降る夜の高円寺〉があって、何人かでこの句を話題にした時、この句は秋か冬の句だろうねということに落ち着いたのですが、句集の配列では〈さらば夏の光よ男匙洗う〉の次にあるので、夏の句かなとも思うんですがいかがですか」「忘れた」「無季ということでいいですか」「うん。」「それでは最後に、今年の阪神タイガースについてどう思われますか」「過渡期だね。いろいろ動かしているんじゃないかな」「たしかに全球団の中で一番選手の入れ替えが激しいですよね」「金本がフロントから言われてるんじゃないの?」「昔のストーブリーグのフロントとは大違いですね」「フロントも若くなったんじゃないの?何年後かを見据えた長期の展望を持つようになったんじゃないかな」。学生時代、ラジオから聞いていた声を受話器で聞けたしあわせな通話でした。以下、恐縮ですが私事のお知らせをお許しください。10月15日(土)から11月18日(金)まで、ユジク阿佐ヶ谷という小さな映画館で、『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』(池田将監督)を公開します。私の企画・脚本・プロデュースです。増俳を執筆しているうちに、観る歳時記を作りたくなり、三年かけて完成しました。イギリス生まれの少女が、熊野に住んでいる祖父と神社を旅する映画で、南方熊楠が、鎮守の杜の中で見つけた粘菌類のはたらきについて考えています。映画を観た後に、俳句を投句してもらおうと思っています。それらをHPに掲載させていただきます。また、映画館内吟行句会も計画しています。映画を観て、俳句を作る。ユジク阿佐ヶ谷の館長には、30年間上映させてほしいとお願いしましたが、とりあえずひと月という事になっています。みなさんが、銭湯に通うようにこの映画にひたっていただければ、長期上映となり、ユジク阿佐ヶ谷を俳句仲間のサロンにすることも可能になります。これに関しては、館長さんの了承を得ていますので、どうかみなさん、お越しください。詳しくは、『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』をご覧下さい。最後に、俳句を読み、文章を書く機会を与えてくださった清水哲男さんに感謝申し上げます。さようなら。『匙洗う人』(1991)所収。(小笠原高志)




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