G黷ェ句

November 06111997

 鷹ゆけり風があふれて野積み藁

                           成田千空

のように街の中をかけずりまわっている生活では、めったに田園風景を見ることがない。少年時代の農村暮らしとはエラい違いだ。したがって、この句のような野積みにされた藁も知らないでいる。見かけたら、たぶん無惨だと思うだろう。昔は芸術品といってもよいほどの藁塚が、どんな田圃にも立っていたものだ。それが百姓の子の晩秋の抒情的風景のひとつでもあった。「俳句研究」の11月号(1997)を読んでいたら、作者の自註が載っていて「藁はただ野積みにされ、ことごとく焼かれてしまう時代になった。稲藁を焼き払って出稼ぎにゆく。……」とあった。空には藁塚の昔と変わらぬ凛とした鷹の飛翔する姿がある。この対比において、この句は作者の凛乎とした姿を伝えているのだ。昔はよかった、というのではない。切実な現世的事情が農民をして、みっともなくも荒っぽい所業に追いやったことを、作者は秋風とともに悲しんでいるのである。(清水哲男)


January 2512002

 かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

                           正木ゆう子

語は「鷹」で冬。鷹の種類は多く夏鳥もいるのだが、なぜ冬季に分類されてきたのだろう。たぶんこの季節に、雪山から餌を求めて人里近くに現れることが多かったからではあるまいか。一読、掲句は高村光太郎の短い詩「ぼろぼろな駝鳥」を思い起こさせる。「何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。/動物園の四坪半のぬかるみの中では、/脚が大股過ぎるぢやないか。……(中略)これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。/人間よ、/もう止せ、こんな事は。」。心情は同根だ。「風」などと格好良い名前をつけられてはいても、結局この鷹は、生涯颯爽と風を切って飛ぶこともなく「飼ひ殺」しにされてしまうのだ。「俳句」(2002年2月号)を読んでいたら、作者はこの句を、動物園で見たみじめな状態の豹に触発されて詠んだのだという。「あきらめきった美しい豹」。となれば、なおのこと句は光太郎詩の心情に近似してくる。ただ、詩人は「もう止せ、こんな事は」と声高に拳を振り上げて書いているが、句の作者はおのれの無力に拳はぎゅっと握ったままである。これは高村光太郎と正木ゆう子の資質の違いからというよりも、自由詩と俳句との様式の違いから来ているところが大だと思った。いまの私は「もう止せ」と静かに言外に述べている俳句のほうに、一票を投じたい。俳誌「沖」(1989)所載。(清水哲男)


November 30112003

 サルトルもカミユも遥か鷹渡る

                           吉田汀史

語は「鷹」で冬。一般的に長い距離は移動しないが、種類によっては寒くなると南へ「渡る」のもいる。眼光炯々として姿態清楚な猛禽が、群れをなして「遥か」彼方へと去っていく。ちょうどそのように、熱い情熱で時代を告発し説得しつづけた「サルトルもカミユ」も二人ともが、既に故人となり、その思想も「遥か」な地平へと没してしまったかのようである。昨今の世の動きを見るにつけ、彼らが火をつけ世界中に共鳴者を獲得した思想とは何だったのかと思う。単なる郷愁句ではなく、作者はやりきれない思いの中で反問しているのだ。私もまたサルトルやカミュに強い共感を覚えた一人だっただけに、彼らの思想を一時のファッションとしてやり過ごすわけにはいかない。当時、ある人が「実存主義とは何か」という問いに答えて、こう言った。「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも、みんなアタシのせいなのよ。これが実存主義さ」。むろん小馬鹿にした揶揄の言だけれど、あながち当たっていないこともないだろう。なぜなら、実存主義最大の主張はアタシ(個人)の存在と尊厳をあらゆる価値の最上位に置くことだからだ。簡単な例で言えば、いかなる事態にあろうとも、常に国家よりも個人が大切ということである。そのためには、他方で当然数々の困難をもアタシが引き受ける思慮と勇気とが必要となる。第二次世界大戦の悲惨な熾きがまだくすぶっていた時代のなかで、出るべくして出てきた考え方だ。なんだい、そんなことなら「常識」じゃないか。今日、サルトルもカミュも読まない世代の多くは言うだろう。その通りだ、「常識」なのだ。言うならば、当時だって当たり前の言説だったのである。が、この「常識」は、今の世の中でいったいどこでどういうふうに機能し通用しているのかね。つらつら世の中を見回してみるまでもない。「あれよあれよ」の間に、どんどん実質的には非常識化している現実に怖れを抱いてしかるべきではないのかね。それこそ私の常識は、実存主義の鷹がいまや絶滅の危機に瀕していると告げている。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


January 0612015

 抱かれたし白ふくろふの子となりて

                           森尻禮子

クロウは、鳥のなかでも、顔が大きく扁平で、目鼻立ちが人間に近い。ヨーロッパでは古くから「森の賢者」とされ、知恵の象徴としてきたが、日本では不吉なものだった。しかし、最近では「不苦労」「福来路」「福老」などと読み替えて、縁起を上乗せし、ウサギやカエルについで、小物などの収集家の多い生きものとなっている。シロフクロウといえば、「ハリー・ポッター」でハリーのペットとして登場し、その大きく、美しく、賢い姿に一時ペットとしての人気も急上昇し、「ふくろうカフェ」なる場所も今や話題だ。それしにしてもフクロウの子どもときたら、手のひらサイズで全身ふわふわ、うるうるの瞳をうっとり閉じる様子などとても猛禽類とは思えない可愛さである。ふくろうカフェの紹介には「鳥というより猫に近い」とあり、猫好きが心惹かれる道理と納得した。〈鷹狩の電光石火とはこれぞ〉〈鳰の巣に今朝二つめの卵かな〉『遺産』(2014)所収。名前の表記はネヘンに豊。(土肥あき子)


February 1322015

 鷹匠の獣医の前に畏まる

                           高橋とも子

はその嘴の先が鋭い鉤型をしている。ゆっくりと飛翔して獲物を探し、小鳥や地上の小動物を捕獲する。これを飼い慣らし猟をさせる鷹狩は歴史が古く、家康時代には将軍の専権として鷹狩を遊んだという。今でも鷹匠という者がおり、鷹狩の地や道も残っている。阿吽の呼吸で鷹を意のままに操る鷹匠はそれこそ寝食を共にしながら飼い慣らし育てる。傷付いた鷹を獣医に見せているその眼差しは我が子に向けるように慈愛に満ちている。とは言え鷹匠の目もまた鷹の様に鋭い。他に<春山のやうなをとこと朝寝せり><まつさきに蛇に駆け寄る少女かな><すさまじき能装束の鱗かな>などあり。『鱗』(2001)所収。(藤嶋 務)


May 2752016

 目つむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹

                           寺山修司

とは、タカ科の比較的小さ目のものを指す通称である。タカ科に分類される種にて比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカとざっくりと呼び分けているが、明確な区別ではない。日本の留鳥としてオオタカ、ハイタカ、クマタカなどの種がいて、秋・冬には低地でみられる。冬の晴れ渡る空に見つけることが多いので鷹だけだと季語は「冬」の部である。荒野を目指す青春の空に大きく鷹が舞っている。五月のエネルギーが、羽ばたけ、羽ばたけと青年の心を揺さぶる。飽きずに眺める大空には舞う鷹、目をつむっても残像が舞っている。今この新緑の中に何かに魅せられた様に多くの青年達が旅立ってゆく。青年修司は二十歳で俳句を断ち別の思念へと旅立って行った。他に<恋地獄草矢で胸を狙い打ち><旅に病んで銀河に溺死することも><父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し>など修治の青春性が残されている。「俳句」(2015年5月号)所載。(藤嶋 務)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます