November 06111997

 鷹ゆけり風があふれて野積み藁

                           成田千空

のように街の中をかけずりまわっている生活では、めったに田園風景を見ることがない。少年時代の農村暮らしとはエラい違いだ。したがって、この句のような野積みにされた藁も知らないでいる。見かけたら、たぶん無惨だと思うだろう。昔は芸術品といってもよいほどの藁塚が、どんな田圃にも立っていたものだ。それが百姓の子の晩秋の抒情的風景のひとつでもあった。「俳句研究」の11月号(1997)を読んでいたら、作者の自註が載っていて「藁はただ野積みにされ、ことごとく焼かれてしまう時代になった。稲藁を焼き払って出稼ぎにゆく。……」とあった。空には藁塚の昔と変わらぬ凛とした鷹の飛翔する姿がある。この対比において、この句は作者の凛乎とした姿を伝えているのだ。昔はよかった、というのではない。切実な現世的事情が農民をして、みっともなくも荒っぽい所業に追いやったことを、作者は秋風とともに悲しんでいるのである。(清水哲男)




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