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November 01111997

 手で磨く林檎や神も妻も留守

                           原子公平

と林檎が食べたくなった。普段なら妻に剥いてもらうところだが、あいにく外出している。自分で剥くのは面倒なので、手でキュッキュッと磨いて皮のまま食べようとしている。こんな姿を妻に見つかったら「不精」を咎められるだろう。などと、一瞬思ったときに気がついた。季節は陰暦十月の神無月。ならば、ここには妻もいないが神もいないということだ。「俺は自由だ……」。作者はそこでなんとなく解放された気分になり、いたずらっ子のようににんまりしたくなるのであった。夫が家にいないと清々するという妻は多いらしいが、その逆もこのようにあるということ。『風媒の歌』(1957-1973)所収。(清水哲男)


October 13102000

 影踏みは男女の遊び神無月

                           坪内稔典

ッと句から平仮名を抜いて、漢字だけを集めてみる。すると「影踏男女遊神無月」と、なにやら意味あり気な「漢詩」の一行ができあがる(笑)。「影ハ男ヲ踏ミ、女ハ神ニ遊ブ、ムゲツケナシ(「残忍なことだ」の意)」と。もちろん、これは私の悪い冗談である。稔典さんよ、許してつかぁさいね。でも、漢字は表意文字だからして、漢字の多い句に出会うと、観賞が漢字に引きずられてしまうことは、よくある。掲句はきちんと書いてあるからそういうことは起きないが、初心の実作者はよほど注意をしないと、とんでもない解釈をされることもあるので、要注意だろう。閑話休題。この句の面白さは、なんといっても「影踏み」を「男女の遊び」だと独断したところにある。普通は、男女に無関係の子供の遊びだ。誰も「男女の遊び」だとは思ってもみないが、こうして独断することで見えてくるものはある。何かと男女交際に口うるさい神様は、会議で出雲にお出かけだ。その隙をねらって「男女」が遊んでいるわけだが、思いきり遊べばよいものを、なんとお互いの影を踏みあうことくらいしかできない哀れさよ。「影踏み」なんて日のあるうちにするもので、しかも「神無月」の日照時間は短いのである。お楽しみはこれからなのに、なんて遊びにかまけているのか。作者はべつに警句を吐いたのではない。ただ、庶民の遊びの貧しさをからかい、そこにまた庶民のつつましさを見て、苦笑とともに共感を寄せている。このときに庶民とは、まずもって作者自身のことなのだ。だから、この句にはナンセンスの妙味もあるけれど、同時に苦くて寂しいユーモアが感じられる。「影踏み」か……。最後に遊んだのは、いつ誰とだったか。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


October 26102001

 バス停に小座布団あり神の留守

                           吉岡桂六

語は「神の留守」から「神無月」。陰暦十月の異称で、冬。したがって、まだちょっと早い。八百万の神々が出雲大社に集まるため、諸国の神が留守になる月。これが定説のようだが、雷の無い月だから、とも。句のバス停は作者がいつも利用するそれではなくて、旅先だろうか、とにかくはじめてのバス停だ。バス停のベンチに「小座布団」が置いてあること自体が珍しいので、「ほお」と思った。他にバスを待つ人はおらず、作者一人だ。座布団の色までは書いてないけれど、私の好みのイメージとしては、赤色がふさわしい。ちっちゃくて真っ赤な座布団。なんだか小さな神様のために用意されているようだと作者は感じ、でも、いまは出雲にお出かけだからお使いにはならないのだと微笑している。「神無月」の句には意味あり気な作品が多いなかで、即物的にからっと仕上げた腕前に魅かれた。最近の我が町・三鷹市やお隣の武蔵野市では、小回りの利くカラフルで小さなバスが走り回っている。三鷹駅からジブリ美術館へ行くバスも、黄色くてちっちゃな車体だ。こんなバスにこそ「小座布団」が似合いそうだが、ほとんどの停留所にはベンチも置かれていない。『遠眼鏡』(2001)所収。(清水哲男)


October 30102002

 神無月主治医変はりてゐたりけり

                           秋本ひろし

語「神無月(かんなづき)」は陰暦十月の異称なので、冬に分類。今年は来週の火曜日、十一月五日が朔日にあたる。作者は、定期的に診察を受けている人だ。いつものように出かけていったら、主治医が変わっていた。前回の診察のときには、交替するなど聞いていないし、その気配すらなかったから、狐につままれたような気分だ。何かよほどの事情があっての、急な交替なのだろうか。が、新しい主治医に、根掘り葉掘り尋ねるわけにもいかない。私には経験がないけれど、長い間診てもらっていた医者が前触れもなしにいなくなるのは、かなり心細いことだろう。カルテは引き継がれても、蓄積された信頼の心や親愛感は引き継がれないからである。なんとなく釈然としない気持ちのままに診察が終わり、ふと今が「神無月」であることに気がついたのだった。まさか前任者を神のように崇めていたわけではないが、神様ですら忽然と不在になる月なのだからして、医者がひとり姿を消したとしても不思議ではないかもしれない……。とまあ、妙な納得をしているところが読ませる。とかく生真面目に重たく詠まれがちな神無月を、本意を歪めることなく軽妙に詠んでいて、しかもペーソスが滲み出ている。現代的俳諧の味とは、たとえばこういうものであろう。『棗』(2002)所収。(清水哲男)


October 25102003

 帰ろかな帰りたいのだ神無月

                           高野 浩

日から「神無月(かんなづき)」に入った。季語としては冬季に分類。もう冬か。この旧暦十月の異称の由来には諸説ある。もっともポピュラーなのは諸国の神々が出雲大社に集まる月というものだが、大昔に「な」は「の」の意だったので、素直に「神の月」と解したほうがよさそうだ。収穫を祝い神に感謝を捧げる月というわけである。句は出雲集合説に拠っており、神々が大移動するのかと思うと、自分もまた久しく帰っていない故郷に帰りたくなったという意味だろう。出雲出身の人なのかもしれない。なんだか北島三郎の歌の文句みたいな句だけれど、駄目押し的な「帰りたいのだ」で、帰心矢の如しの思いがよく伝わってくる。「帰ろかな」の逡巡は生活上の諸般の事情によるものであり、そうした条件を考えなければ、本心は一も二もなく「帰りたいのだ」。この人は、帰っただろうか。さて私事になるが、今夜私は高速バスに乗る。夜通しかけて、山口県の萩市まで行く。明日の中学の同窓会に出るためで、はじまる時間が正午とあっては、バスを使うしか方法がない。今日のうちに新幹線で新山口まで出ておくテもあるけれど、それこそ事情が許さない。一晩中バスに揺られた経験はないが、ま、ヨーロッパあたりに出かけることを思えば同じことだ。むしろ楽だろう。元気なうちに旧友に会っておこうと、逡巡の果てに決めてしまった。私の故郷は、いまは萩市から車だと三十分ほどで行けるようになったそうだ。天気が良ければ、行ってみたいと思う。なにしろ、三十年ぶりの故郷である。天気が悪くても、やっぱり行ってしまうだろうな。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


November 12112004

 近海へ入り来る鮫よ神無月

                           赤尾兜子

日から陰暦十月、すなわち「神無月」。この月には、諸国の神々が出雲に集い会議を開くのだという。したがって、出雲では逆に「神有月」となる。議題はいろいろとあるらしいが、重要なものには人の運命を定めるというものがある。なかでも、誰と誰を結婚させるかについては議論が白熱する由。ただしこれは俗説で、「な」を「の」の意味にとって「神の月」とするのが正しいなどの諸説がある。それはともかく、神が不在ととれば、さして信心深くない人にも漠然たる不安感が湧いてくることもあるだろう。何となく心細いような意識にとらわれるのだ。そんな不安感を、いわば神経症的に造形してみせたのが掲句である。神の留守をねらって、獰猛な鮫が音もなく侵入してきつつある。それももう、すぐそばの「近海」にまで入り込んできたようだ。むろん陸地から鮫の姿を認められるわけではないが、そうした目で寒々と展開する海原を眺めれば、不気味さには計り知れないものがある。そんなことは夢まぼろしさと笑い捨てる読者もいるだろうが、ひとたび句の世界に落ちた読者は、なかなかこのイメージから抜け出せないだろう。妙なことを言うようだが、風邪を引いたりして心身が弱っているときなどに読むと、この句の恐さが身に沁みてくるのは必定だ。作者もおそらくは、そんな環境にあったのではあるまいか。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


November 09112005

 空狭き都に住むや神無月

                           夏目漱石

語は「神無月」で冬。陰暦十月の異称だ。今日は陰暦の十月八日にあたるから、神無月ははじまったばかりである。神無月の起源には諸説があってややこしいが、俳句の場合には、たいていが神々が出雲に集まるために留守になる月という説を下敷きにするようだ。たぶん、掲句もそうだろう。「則天去私」の漱石ならずとも、私たちは神と聞けば天(空)を意識する。一般的な「神、空に知ろしめす」の観念は、古今東西、変わりはあるまい。私のような無神論者でも、なんとなくその方向に意識が行ってしまう。句の漱石も同じように空を意識して、あらためて都の空の狭さを感じている。こんなに「空狭き都」に住んでいると、神無月同様に、普通の月でもさして神の存在を感じられないではないか。これでは、いつだって神無月みたいなものではないのかと、ひねりを効かせた一句だと読める。ここまで読んでしまうのは、おそらく間違いではあろうが、しかし句を何度も頭の中で反芻していると、この神無月が「例月」のように思えてくるから不思議だ。すなわち、神無月の扱いが軽いのである。その言葉に触発されただけで、むしろ重きは空に置かれているからだ。したがって、このときの漱石は「則天去私」ならぬ「則私去天」の心境であった。と、半分は冗談ですが……。その後「東京には空がない」と言った女性もいたけれど、明治の昔から、東京と神との距離は出雲などよりもはるかに遠かったのである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0832008

 外に出よと詩紡げよと立子の忌

                           岡田順子

年めぐってくる忌日。〈生きてゐるものに忌日や神無月 今橋眞理子〉は、親しい友人の一周忌に詠まれた句だが、まことその通りとしみじみ思う。星野立子の忌日は三月三日。掲出句とは、昨年三月二十五日の句会で出会った。立子忌が兼題であったので、飾られた雛や桃の花を見つつ、空を仰ぎつつ、立子と、立子の句と向き合って過ごした一日であったのだろう。〈吾も春の野に下り立てば紫に〉〈下萌えて土中に楽のおこりたる〉〈曇りゐて何か暖か何か楽し〉まさに、外(と)に出て、春の真ん中で詠まれた句の数々は、感じたままを詩(うた)として紡いでいる。出よ、紡げよ、と言葉の調子は叱咤激励されているように読めるが、立子を思う作者の心中はどちらかといえば静か。明るさを増してきた光の中で、俳句に対する思いを新たにしている。今年もめぐって来た立子忌に、ふとこの句を思い出した。このところ俳句を作る時、作ってすぐそれを鑑賞している自分がいたり、へたすると作る前から鑑賞モードの自分がいるように思えることがあるのだ。ああ、考えるのはやめて外へ出よう。(今井肖子)


March 2032015

 木漏日や雉子鳴く方へあゆみゆく

                           宮本郁江

太郎の岡山でなくとも日本中の河川敷きや藪廻りのどこにでも居る。まして農家の田畑の廻りでは今でも普通にみられる。小生の柏地区の利根川、江戸川ではよく遭遇する。ただ老眼の小生にはカラスっぽく見えるのだがバードウオッチのニコンのレンズを通せば立派に識別できる。早春の妻恋ひどきになれば人目憚らず鳴きしきるのである。木漏れ日の中カラスと見紛えていた旅人は「おお」とその方角へ歩み寄ってゆく。雉はケンケンと鳴く。<馬小屋に馬の表札神無月><人気なき午後の鞦韆風がこぐ><病む人に日曜はなく秋桜>。『馬の表札』(2014)所収。(藤嶋 務)




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