November 01111997

 手で磨く林檎や神も妻も留守

                           原子公平

と林檎が食べたくなった。普段なら妻に剥いてもらうところだが、あいにく外出している。自分で剥くのは面倒なので、手でキュッキュッと磨いて皮のまま食べようとしている。こんな姿を妻に見つかったら「不精」を咎められるだろう。などと、一瞬思ったときに気がついた。季節は陰暦十月の神無月。ならば、ここには妻もいないが神もいないということだ。「俺は自由だ……」。作者はそこでなんとなく解放された気分になり、いたずらっ子のようににんまりしたくなるのであった。夫が家にいないと清々するという妻は多いらしいが、その逆もこのようにあるということ。『風媒の歌』(1957-1973)所収。(清水哲男)




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