G黷ェ寒句

October 23101997

 追伸の二行の文字やそぞろ寒む

                           中村苑子

ートルズに「P.S. I LOVE YOU」という歌がある。「P.S.」は「Post Script」で「追伸」だ。元来「追伸」は、手紙に主な用件を書いた後で、ふと思いだしたことなどを書き添えるための方便である。だから、普通はたいしたことを書くのではない。しかし、実際はどうなのだろうか。さりげなさを装って「I LOVE YOU」などと、最も重要なことを書いたりほのめかしたりする人も多いのではあるまいか。作者が受け取った手紙のそこにも、かなり重苦しい二行があったにちがいない。その厄介な暗示に、きざしてきた寒さがひとしお身にしみるのである。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


October 25102001

 句会果て井川博年そぞろ寒

                           八木忠栄

語は「そぞろ寒(さむ)」で秋。「冷やか」よりもやや強く感じる寒さ。素材的に身内の句の紹介になるが、「句会」とは、詩の書き手がほとんどの小沢信男さんをカシラとする「余白句会」で、年に三度か四度集まっては、故・辻征夫の言葉を借りれば「真剣に遊んで」いる。井川博年は創立メンバーの一人であり、作者の八木忠栄は私同様に、途中から補強(!?)された一人だ。この日の井川君は、調子が悪かった。高校時代に松江図書館で、誰も借り手のない虚子の全集をみんな読んじゃったという人だけに、逆に俳句を知りすぎているが故の弱さの出ることがある。そういう日だった。井川君の風貌を知っている読者であれば、この「そぞろ寒」には一も二もなくうなずけるだろう。山陰の男に特有のそぞろ寒い感じを、確かに井川君は持っている。彼を直接知らない多くの読者には、ご自分の友人知己の誰かれを思い起こしてほしい。それぞれの人には、それぞれに似合う季節があると思いませんか。この句は身内を詠んではいても、暗にそういうことを指さしている。固有名詞を出しながらも、普遍性を保っている。べつに、井川博年を具体的に知らなくたってよいのです。ちなみに作者は長岡の出身だからか、冬の似合う人であり、句集でも佳句は晩秋から冬に集中している。ならば、読者諸兄姉よ、あなた自身に似合う季節は「いつ」だとお思いでしょうか。自分のことはわからない。むろん、私もわからない。というようなことが、掲句からいちばんわかったのは、実は詠まれている井川博年その人であることが、よくわかる一句だと思いました。ね、井川君、そうじゃろうが……。『雪やまず』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


November 07112006

 拭ひても残る顔あり今朝の冬

                           藤田直子

と自分がここにいる不思議を思う瞬間がある。鏡を覗き込む顔も見知らぬ者のように映り、水にくぐらせた皮膚に冬の空気が通りすぎる感触さえ、どこかよそよそしく感じる。句集は作者が配偶者に先立たれた時間のなかで作られたものであり、掲句からは愛する者を亡くしたのちも実体のある自身を持て余すようなやりきれなさが伝わってくる。しかし、残された者には望むと望まざるに関わらず、連綿と日常が控えている。今日から冬が始まることは、同時に作者の新しい日々が始まることでもある。エジプトの王ツタンカーメンの棺には、妻アンケセナーメンが摘んだ矢車草の花が添えられていたという。暗殺説もある複雑な人間関係のなかで、夫婦の愛情だけは確かに育まれていたのだ。残された若きエジプト王妃もまた、悲しみを拭うように朝を迎えていたことだろう。「秋麗の棺に凭れ眠りけり」「そぞろ寒供花ふやしてもふやしても」「がらんどうの冬畳より立ち上がる」、途方もない虚無感がごつごつと胸を乱暴に駆け抜ける。長い長い時間をかけてようやく悲しみは、かけがえのない思い出となる。『秋麗』(2006)所収。(土肥あき子)


October 22102008

 刷毛おろす襟白粉やそぞろ寒

                           加藤 武

かにも演劇人らしい視線が感じられる。役者が楽屋で襟首に刷毛で白粉(おしろい)を塗っている。暑い時季ならともかく、そろそろ寒くなってきた頃の白粉は、一段と冷やかに白さを増して目に映っているにちがいない。他人が化粧している様子を目にしたというよりも、ここは襟白粉を塗っている自分の様子を、鏡のなかに見ているというふうにも解釈できる。鏡を通して見た“白さ”に“寒さ”を改めて意識した驚きがあり、また“寒さ”ゆえに一段と“白さ”を強く感じてもいるのだろう。幕があがる直前の楽屋における緊張感さえ伝わってくるようである。もっとも、加藤武という役者が白粉を塗っている図を想像すると、ちょっと・・・・(失礼)。生身の役者が刷毛の動きにつれて、次第に“板の上の人物”そのものに変貌してゆく時間が、句に刻みこまれている。東京やなぎ句会に途中から参加して三十数年、「芝居も俳句も自分には見えないが、人の芝居や句はじつによく見える」と述懐する。ハイ、誰しもまったくそうしたものなのであります。俳号は阿吽。他に「泥亀の真白に乾き秋暑し」「行く春やこの人昔の人ならず」などがある。どこかすっとぼけた味のある、大好きな役者である。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


November 01112008

 卓拭いて夜を切り上げるそぞろ寒

                           岡本 眸

年の秋の印象は、月が美しかったことと、昨年に比べて秋が長い、ということ。そして、日中はいつまでも蒸すなあ、と思っているうちに、朝晩ぐっと冷えてきた。やや寒、うそ寒、そぞろ寒など、秋の冷えの微妙な表現。秋冷、冷やか、を過ぎて、どれも同じ程度の寒さというが、語感と心情で使い分けるようだ。うそ寒の、うそ、は、薄(うす)、が転じたものだが、語感からなのか、なんだか落ち着かない心情がうかがえ、そぞろ寒、は、漫ろ寒、であり、なんとなく寒い感じ。この、なんとなく、が、曖昧なようで妙な実感をともなう。秋の夜、いつの間にか虫も鳴かなくなったね、などと言いながらつい晩酌も長くなる。さてそろそろ、と、食器を片付け食卓をすみずみまで拭く。きびきびとしたその手の動き、拭き終わった時にもれる小さいため息。今日から十一月、と思っただけで、やけに冬が近づいた気のする今夜あたり、こんなそぞろ寒を実感しそうだ。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


November 02112012

 終刊の号にも誤植そぞろ寒

                           福田甲子雄

植は到るところに見られる。気をつけていても出てしまう。僕も第一句集の中の句で壊のところを懐と印刷してしまった。その一冊をひらくたび少し悔やまれる。自分の雑誌で投句の選をしているので誤字、脱字、助詞の用法などを直したつもりでいると作者からあとで尋ねられたりする。大新聞と言われる紙面に誤植を見ることはめったにないが、それでもたまに見つけるとなぜかうれしくなる。終刊の号にも誤植がみつかる。誤植は人間がやることの証。業のようなものだ。月刊「俳句」(2012年6月号)所収。(今井 聖)


November 28112012

 そぞろ寒仕事あり?なし?ニューヨーカー

                           長尾みのる

年九月現在のアメリカの失業率は7.8%だった。日本の約2倍で、相変わらず高い。「そぞろ寒」は秋の季語だけれど、ニューヨークのこの時季は寒さがとても厳しくなる。十数年前、十二月のニューヨークに出かけたとき、マンハッタンの道路では、地下のあちこちから湯気が煙のように白く噴き上げ、街角にはホームレスがたむろしていた。新聞のトップには、「COLD WAR」という意味深な文字が大きく躍っていた。そのことが忘れられない。掲句は冬を目前にして、仕事にありつけないでいるだろうニューヨーカーに思いを致しているのだ。みのるは「POP haiku」と題して、サキソホンを持ってダウンタウンの古いアパートメントに腰を下ろしている、若いニューヨーカーの姿を自筆イラストで大きく描いて句に添えている。私はすぐに十数年前のニューヨーク市街の光景を思い出した。現在はどうなのか? かつて海外放浪をしたみのるが心を痛め、ニューヨークに寄せる思いの一句であろう。彼は1953年に貨物船でアメリカに第一歩を踏んで、三年間に及ぶ世界一周の旅をしたという。「戦勝国なのにボロ着の失業者風の人々を沢山見て夢が弾けそうになった」と記している。俳句の翻訳も多く、「国際俳句ロシア語句会」のメンバーでもある。「慌ててもハナミズキ散るニューヨーク」の句もならんでいる。「俳句四季」2012年11月号所載。(八木忠栄)


February 2022013

 肉マンを転んでつぶす二月かな

                           井川博年

い日にせっかく買ったアツアツの肉マンを「転んでつぶす」とは、なんてマン(間)がいいんでしょ、と我が友人ゆえに揶揄したくもなる句だ。余白句会の創立(1990年9月)メンバーでありながら、俳句が上達することに必死で抵抗しているとしか思われない(?)博年(俳号:騒々子)が、1992年2月の余白句会で席題「二月」で珍しく〈天〉を獲得した句である。作者会心の作らしく、本人がうるさく引き合いに出す句である。通常、俳句は年月かけて精進すれば、良くも悪くもたいていはうまくなってしまうように思われる。いや、その「うまく」が曲者なのだけれど、博年は懸命に「うまく」に抵抗しているのではなかろうか? 今も。えらい! 掲句は長い冬場のちょいとした意外性と他愛ないユーモアが、句会で受け入れられたかも。俳人はこういう句は決して作らないだろう。ちなみに博年の好物は鰻(外で食べる鰻重か鰻丼)だそうである。逆に大嫌いなものは漬物。どうやら、松江のお坊っちゃまで育ったようだ。同じ日の句会で「蛇出でて女人の墓に憩いける」が、なぜか〈人〉に選ばれている。蛇足として、博年を詠んだ拙句をここに付します。「句会果て井川博年そぞろ寒」。「OLD STATION」15号(2012)所収。(八木忠栄)


December 10122014

 咳こんで胸をたたけば冬の音

                           辻 征夫

咳」と「冬」で季重なりだが、まあ、今はそんなことはご容赦ねがいましょう。咳こんだら、下五はやはり「冬の音」で受けたい。「春の音」や「夏の音」では断じてない。私はすぐ作者の姿をイメージしてしまうのだが、イメージしなくとも、咳こんでたたく胸は痩せた胸でありたい。肥えた胸をドンドンとたたいても、冬のさむざむとした音にはならないばかりか、妙に頼もしくも間抜けたものに感じられてしまう。では、いったい「冬の音」とはどんな音なのか、ムキになって問うてみてもはじまらない。鑑賞する人がてんでに「冬の音」を想像すればいいのだ。掲出句は征夫がまだ元気なころの作ではないかと思われる。コホンコホンと軽い咳ならともかく、風邪であれ気管支の病気であれ、それによって起こる止まらない咳は苦しいものであり、思わず胸をたたかずにはいられない。とても「しわぶき」などとシャレている場合ではない。征夫には他に「わが胸に灯(ともしび)いれよそぞろ寒」という句もある。川端茅舎の句には「咳き込めば我火の玉のごとくなり」がある。そんなこともあります。『貨物船句集』(2001)所収。(八木忠栄)


October 06102015

 太綱の垂るる産小屋そぞろ寒

                           鈴木豊子

小屋とは出産をするための施設。掲句は前書きに「色の浜」とあるため、福井県敦賀市色浜の海岸近くにあった産小屋を訪ねての作品である。産小屋は、出産を不浄とみなす観念から発生した風習であった。現在でも小屋には土間と畳の間が復元され、備品も若干残されていることから当時の姿を垣間見ることができる。いよいよ産気づいた妊婦は梁からおろされた太綱にすがり、出産を迎える。出産前後一ヶ月ほどを過ごす簡素な小屋はいかにも寒々しく、心細い。しかし、「古事記」の豊玉姫の昔から、女は海辺の小屋で子を生んできたのだ。万象の母である海に寄り沿うように、生むことのできる安らぎに思いを馳せる。耳を傾ければ波の音が母と子を強くはげますように寄せては返す。〈里芋を掘り散らかしてぬかるみて〉〈一括りして筍に走り書き〉『関守石』(2015)所収。(土肥あき子)




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