October 11101997

 死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ

                           河原枇杷男

に見頃があるように、何につけ頃合いというものがある。だから、我々人間にも「死に頃」があってもよいわけで、老人が「そろそろお迎えが来そうだ」というとき、彼ないし彼女はそのことをひとりでに納得しているのだと思う。そしてこのことは、白桃が旨いという生きているからこその楽しさとは矛盾しない。作者はそういうことを言っている。一読難解のようにも見えるが、むしろ素朴すぎるほどの心情の吐露と言えるだろう。永田耕衣門。『河原枇杷男句集』(1997)所収。(清水哲男)




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