October 04101997

 また夜が来る鶏頭の拳かな

                           山西雅子

るほど、鶏頭は人の拳(こぶし)のようにも見える。黄昏れてくれば、なおさらである。同類の発想では、富澤赤黄男の「鶏頭のやうな手を上げ死んでゆけり」という戦争俳句があまりにも有名だ。作者はこの句を踏まえているのか、どうか。踏まえていると、私は読んでおきたい。つまり作者は赤黄男の死者を、このようなかたちでもう一度現代に呼び戻しているのである。このときに「また夜が来る」というのは、自然現象であると同時に人間社会の「夜が来る」という意でもあるだろう。あるいは赤黄男句と関係がないとしても、この句の鶏頭の「拳」には人間の怒りと哀れが込められているようで、味わい深く忘れがたい。『夏越』(1997)所収。(清水哲男)




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