October 021997
秋暁の戸のすき間なり米研ぐ母
寺山修司
炊飯器のなかった頃の飯炊きは、いま思うと大変だった。たいていの家では夜炊いていたが、子供の遠足などがあると、母親は暗いうちから起きだして炊いたものだ。親心である。そんな母親の姿が台所との戸のすき間から見えている。しらじらと明け初めてきた暁の光のなかで一心に米を研ぐ母に、作者は胸をうたれているのである。しかし、作者はこのことを永遠に母には告げないだろう。すなわち、子供は子供としての美学を抱いて生きていくのだ。ところで『新古今集』に、藤原清輔の「薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり秋は夕べと誰かいひけむ」という歌がある。もちろん「秋は夕暮」がよいと言った清少納言へのあてこすりだが、ま、このあたりは好きずきというものだろう。あなたは、どちらが好きですか。(清水哲男)
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