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September 2891997

 甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋

                           与謝蕪村

賀衆は、ご存じ「忍びの者」。江戸幕府に同心(下級役人)として仕えた。秋の夜長に退屈した忍びの者たちが、ひそかに術くらべの賭をしてヒマをつぶしているという図。忍びの専門家も、サボるときにもやはり忍びながらというのが可笑しいですね。ところで、このように忍者をちゃんと詠んだ句は珍しい。もちろんフィクションだろうが、なんとなくありそうなシーンでもある。蕪村はけっこう茶目っ気のあった人で、たとえば「嵐雪とふとん引き合ふ侘寝かな」などというちょいと切ない剽軽句もある。嵐雪(らんせつ・姓は服部)は芭蕉門の俳人で、蕪村のこの句は彼の有名な「蒲団着てねたるすがたやひがし山」という一句に引っ掛けたものだ。嵐雪が死んだときに蕪村はまだたったの九歳だったから、こんなことは実際に起きたはずもないのだけれど……。『蕪村句集』所収。(清水哲男)


December 11121998

 一枚は綿の片寄る干布団

                           飯島晴子

当てをすれば、そういうことにはならない。頭ではわかっていても、ついついどうにもしないままに、月日が過ぎていく。誰にも、こういうことの一つや二つはあるのではなかろうか。干すたびに、綿が片寄ってしまう一枚の布団。針と糸でちょっと止めてやれば片寄ることもないのに、作者はそれをしないのである。面倒臭いという思いからだろうが、しかし、干すたびに綿をととのえるほうが、結局はよほど面倒である。理屈はそうなるのだけれど、やはり作者は干すたびに綿を整えるほうを選んでいる。実は、私の一枚の掛け布団もそういう状態になっているので、この句を見つけたときには笑ってしまった。この布団を私の物臭の象徴とすれば、他にもぞろぞろと類似の事柄が想起される。ジーパンのポケットのなかで、ほつれた糸がこんがらかったままになっている。これもその一つだ。キーホルダーの鎖がいつも引っ掛かって、取りにくいったらありゃしない。ハサミで糸を切ってしまえば、どんなに楽になるだろう。でも、それをしないままに過ごしている。即物的な事柄でもこれだから、心のなかの様々なこんがらがりは、日々「増殖」していくというわけだ。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)


October 29101999

 蒲団着て先ず在り在りと在る手足

                           三橋敏雄

しかに、この通りだ。他の季節だと、寝るときに手足を意識することもないが、寒くなってくると、手足がちょっと蒲団からはみだしていても気になる。亀のように、手足を引っ込めたりする。まさに「在り在りと在る手足」だ。それに「在」という漢字のつらなりが、実によく利いている。例えば「ありありと在る」とやったのでは、つまらない。蒲団の句でもっとも有名なのは、服部嵐雪の「蒲団着てねたるすがたやひがし山」だろう。このように、蒲団というと「ねたるすがた」は多く詠まれてきているが、自分が蒲団に入ったときの句は珍しいと言える。ま、考えてみれば当たり前の話で、完全に寝てしまったら、句もへちまもないからである。ところで、蒲団を「着る」という表現。私は「かける」と言い、ほとんど「着る」は使ったことがない。もとより「着る」のほうが古来用いられてきた表現だけれど、好みの問題だろうが、どうも馴染めないでいる。「帽子を着る」「足袋を着る」についても、同様だ。もっと馴染めないのは英語の「wear」で、髪飾りの「リボンをwearする」にいたっては、とてもついていけない。『畳の上』(1988)所収。(清水哲男)


February 0222000

 セーターにもぐり出られぬかもしれぬ

                           池田澄子

い当たりますね、この感じ。私の場合は不器用なせいもあり、子供のころは特にこんなふうで、セーターを着るのが億劫だった。脱ぐときも、また一騒ぎ。セーターに頭を入れると、本能的に目を閉じる。真っ暗やみのなかで、一瞬もがくことになるから、余計にストレスを感じることになるのだろう。取るに足らないストレスかもしれないが、こうやって句を目の前に突きつけられてみると、人間の哀れさと滑稽さ加減が身にしみる。そこで思い出すのが、虚子の「死神を蹶る力無き蒲団かな」だ。「蹶る(ける)」は「蹴る」より調子の高い表現。当人は風邪を引いて(虚子は実によく二月に風邪を引く人だった)高熱を発しているので、うなされている。夢に死神が出てきて、そいつを必死に蹶とばそうともがくのだけれど、蒲団が重くて足がびくとも動かない。「助けてくれーっ」と、まるで金縛り状態である。この状態にもまた、思い当たる読者は多いと思う。でも、風邪の熱はいずれ治まる。悪夢も退散する。が、セーターのなかでの一瞬の「もがき」は、ついに治まることはない。「出られぬかもしれぬ」。何の因果か。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


October 29102000

 行先ちがふ弁当四つ秋日和

                           松永典子

日あたり、こんな事情の家庭がありそうだ。絶好の行楽日和。みんな出かけるのだが、それぞれに行き先が違う。同じ中身の弁当を、それぞれが同じ時間に別々の場所で食べることになる。蓋を取ったとき、きっとそれぞれが家族の誰かれのことをチラリと頭に描くだろう。そんな思いで、弁当を詰めていく。大袈裟に言えば、本日の家族の絆は、この弁当によって結ばれるのだ。主婦であり母親ならではの発想である。変哲もない句のようだが、出かける四人の姿までが彷彿としてきてほほ笑ましい。こういうときには、たいてい誰かが忘れ物をしたりするので、主婦たる者は、弁当を詰め終えたら、そちらのほうにも気を配らなければならない。「ハンカチ持った?」「バス代は?」などなど。家族の盛りとは、こういう事態に象徴されるのだろう。みなさん、元気に行ってらっしゃい。また、こういう句もある。「子の布団愛かた寄らぬやうに干し」。よくわかります。一応ざっと干してから、均等に日が当たるようにと、ちょちょっと位置を微妙に修正するのだ。今日あたり、こういう母親もたくさんいるだろう。ちなみに「布団」は冬の季語。「とても好調だ、典子は」と、これは句集に添えられた坪内稔典さんの言葉だ。『木の言葉から』(1999)所収。(清水哲男)


December 11122000

 鍵穴に蒲団膨るゝばかりかな

                           石塚友二

語は「蒲団」で、冬。明らかな覗き行為である。作者は鍵穴に目を押し当てて、部屋の中を覗いている。すると、部屋の主はまだ寝ているらしく、こんもりと膨らんだ蒲団が見えるだけだった。何故覗いているのかはわからないが、描かれた情景はクリアーだ。しかし、これだけだとストーカー行為みたいに思われてしまう。そこで、前書が必要となる。曰く「十二月十七日雨過山房主人を見舞ふ」。見舞いの相手は、生涯の師であった横光利一だ。後年作者は「横光利一は私の神であった」と書くことになるが、畏敬する人を見舞うに際しての細心の配慮から生まれた覗きだったのだ。推定だが、敗戦の翌年の師走のことのようである。ちなみに、横光利一の命日は1947年(昭和二十二年)12月30日。鍵穴から、人を見舞う。珍しい見舞い方のようにも思えるが、当時の鍵穴は大きかったので、ドア・チャイムの設備がなければ、案外こうしたことは一般的に行われていたのではあるまいか。そして作者には、この覗きのときをもって、師との今生の訣れとなったという。「ばかりかな」に、万感の思いがこもっている。石田波郷は、作者の根底にあるものとして「庶民道徳としての倫理観」を指摘しており、掲句のような振る舞いに、それは如実に表れているだろう。まだ「師」という存在が、文学の世界に限らず、それこそ庶民の間に具体的に自然に実感されていたころにして成り立った句でもある。『光塵』(1954)所収。(清水哲男)


November 21112002

 他所者のきれいな布団干してある

                           行方克巳

語は「布団(蒲団)」で冬。昔の農村の一光景だろう。すらりと読めば、村人たる作者が「きれいな布団」を干している「他所者(よそもの)」を白眼視している構図が浮き上がってくる。このときに「きれいな」とは、まことに底意地の悪い毒のある言葉だ。だが、この句はそんなに単純な構図を描いているわけではない。田舎に他所者として暮らした経験のある私には、作者の気持ちがよくわかるような気がする。すなわち、ここで他所者とは他ならぬ作者自身のことなのだからだ……。よく晴れた冬の日に、作者は越してきて間もない集落の家々を遠望している。どの家も布団を干しているが、なかでひときわ目立つ布団があった。我が家の布団だ。他の家の布団の地味な柄に比べると、どうしようもなく派手に写っている。そう見えた途端に、作者は他所者の悲哀を感じて、落ち込んでしまったに違いない。一日でも早く共同体に同化したいというのが他所者の切なる願いだから、これにはまいった。普段の立ち居振る舞いなど、なるべく目立たないように心がけてはいても、自宅の部屋の中ではごく普通に見えていた布団の柄が、かくも白昼赤裸々に他所者の家でしかないことを證しているとは……。「きれい」が恥であり、自嘲に通じる時代が確かにあった。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 20112003

 明日会へる今日よく晴れて冬の空

                           小野房子

号では「子」の字がつくからといって性別を特定しがたいが、掲句の作者は女性だ。川端茅舎の弟子であった。まるで明日遠足がある子供のように、晴れ上がった冬空に期待と喜びを写している。この晴れた冬空の様子が、すなわち作者の今日の心持ちなのだ。明日という日を、よほど待ちかねていたのだろう。ただ遠足の子と違うのは、明日の天気などはどうでもいいというところだ。雨になろうと雪になろうと、会うことができれば心の中は青空だからである。今日の晴れた空さながらの心持ちを、そのまま抱いてゆくことができるからだ。むろん、どなたにも覚えがあるだろう。かと思うと、同じ作者に「すつぽりとふとんかぶりてそして泣く」がある。失恋だろうか、失意だろうか。いずれにしても、これらの句の特長は「すっかり句の中に溶け込んで」(野見山朱鳥)情を述べているところにある。斜に構えるのではなく、いわば手放しに無邪気に詠んでいる。なんとなく子供っぽくさえある。一言で言えば短歌的なのだ。しばしば言われるように、良い恋愛句にはなかなかお目にかかれない。それはやはり短歌(和歌)の分家である俳句が、本家とはできるだけ違う方向を目指してきたが故である。大雑把に言ってしまえば、万葉の昔から短歌作者は短歌そのもののなかでも人生を生きてきたのに対して、多くの俳句作家は俳句のなかで生きることはしていない。いや、そもそも様式上そんなことは不可能なのだ。いっだって、俳句とは現実の人生を写す鏡の破片にしかすぎないのである。したがって、俳句は掲句のようないわば無邪気を詠むことが苦手だ。おそらくそんなことは百も承知で、なお作者はこう詠まざるを得なかった。恋する人の心情はよくわかるけれど、「でもね……」と、俳句様式そのものが何か苦いことを言いたくなるような句であることも間違いない。野見山朱鳥『忘れ得ぬ俳句』(1987・朝日選書342)所載。(清水哲男)


January 1312005

 父の死や布團の下にはした銭

                           細谷源二

語は「布團(蒲団・ふとん)」で冬。ながらく寝たきりに近かった「父」が死んだ。長い間のべられたままだった「布團」をあげてみると、下からいくばくかの「銭」が出てきたというのである。それも、布団の下に大事にかくしておくほどでもない、ほんの「はした銭」だった。みっともないと突き放した詠みぶりだが、その哀れさが逆に父への親しみを増し、作者はうっすらと涙を浮かべているのではあるまいか。いまにはじまったことではないが、年寄りの金銭に対する執着には凄いものがある。何事につけ、最後に物を言うのは金だからだ。若いうちなら「金は天下の回りもの」ですむものが、社会的な経済サイクルから外に出てしまった老人には、そんな気休めは通用しない。収入はゼロであり、蓄えは減ってゆくばかりという生活が長ければ長いほど、よほどの資産家でもない限りは、生活の不安にさいなまれる。体力が衰え、家族としての役割も無くなっていくなかで、金さえあれば多少は人も相手にしてくれることを知っているから、たとえ「はした銭」であろうが握りしめて放さない。私くらいの年齢になれば、この心情は痛いほどによくわかる。他人事ではない。昨今の年金問題を考えるにつけ、政治家どもはこうした年寄りの不安を少しも理解していないなと、痛切に思う。いや、政治家だけとは言えないな。若くて元気な人々も、いずれはおのれが高齢になることを忘れているかのようだ。高齢者に対して、多く世間が偽善的にしかつきあわないのは、そのせいだとしか思えない。『俳句歳時記・冬の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


November 26112005

 北陸や海照る屋根の干布団

                           岡本 眸

語は「(干)布団」で冬、「蒲団」に分類。句は「富山三句」のうち。富山には秋にしか行ったことがないが、テレビの天気予報で見ているだけでも、富山をはじめ冬の「北陸」地方の晴れ間は多くないことがわかる。連日のようにつづく鈍色の空。それがたまに良く晴れたとなると、きっと句のような情景があちこちで見られるのだろう。二階の窓から屋根いっぱいに干された布団が、海への日差しの照り返しも受けてほっこりと暖まってゆく光景である。一見なんということはない句だけれど、この情景はそれだけで読者の心をほっこりとさせる。しかも「北陸や」と大きく張った句柄が、いやがうえにもほっこり感を大きくしてくれるのだ。さすがは富安風生門らしい詠みぶりである。東京あたりでは一戸建ての住宅が少なくなったせいもあるけれど、なかなかこういう情景にはお目にかかれない。それに昔から、屋根に直接布団や干し物を広げる習慣もなかったようだ。ここ数年のうちで私が目撃した珍しい例では、干してあるのではなかったが、初夏の屋根いっぱいに鯉のぼりを広げたお宅があった。新築の一戸建て。きっと前に住んでいた家では大きな鯉のぼりを立てるスペースがあったのに、引っ越してきてそれがなくなってしまったのだ。だから仕方なく……、ということのようだと思ってしばらく見ているうちに、なんだかとても切ない気持ちになったことを思い出す。「俳句」(2005年12月号)所収。(清水哲男)


February 1222009

 名前からちょっとずらして布団敷く

                           倉本朝世

く布団に小学校のころ使ったノートの細長い空欄を思った。試験用紙もそうだけど、何度あの欄に名前を書き入れたことか。名前はほかでもない私の証。だけど、名前で呼ばれる私と内側に抱える自分とのずれは誰もが感じていることだろう。その名前から少しずらして敷く布団は季語としての布団じゃなくて、毎朝毎晩押入れから出し入れして敷く生活用品としての布団だろう。その布団にくるまれて眠るのは名前で呼ばれる昼間の私をはずれて夢の世界に入ること。「名前」と「布団」違う次元にあるようでどこか近いものを並べて日常に隠された違和感をするする引き出してくるのが川柳の面白さ。「煮えたぎる鍋 方法は二つある」なども、方法という言葉を置くと台所の鍋がこんなにも怖いものになるのかと、言葉の力を感じさせる句である。『なつかしい呪文』(2008)所収。(三宅やよい)


November 04112010

 怖い漫画朝の蒲団の中にあり

                           小久保佳世子

のむかし楳図かずおの「蛇女」やつのだじろうの「うしろの百太郎」が怖かった。漫画の中の怖いシーンが頭に浮かぶとトイレに行くのも腰が引けて、ガラス戸にうつる自分に驚く情けないありさまだった。部屋の隅に誰かがいそうな気がして蒲団にもぐり込むのに、その中に怖い漫画があったらますます逃げ場がなくなりそうだ。冬の蒲団は暖かくて、包まれていると何ともいえない安心感があるが、怖い漫画があるだけで冷え切ったものになりそう。それにしても、なぜ「朝の蒲団」なのだろう。夜読むのが恐いから朝方読んでいたということだろうか?お化けと言えば夏だけど、「怖い漫画」と蒲団の取り合わせに遥かむかしに忘れてしまった出来事をまざまざと思い出した。しかし、そんなことが俳句になるなんて! 恐れ入りました。『アングル』(2010)所収。(三宅やよい)


November 25112013

 県道に俺のふとんが捨ててある

                           西原天気

あ、えらいこっちゃ。だれや、こんな広い路のど真ん中に、俺のふとんをほかしよったんは。なんでや。どないしてくれるんや……。むろん情景は夢の中のそれだろう。しかし夢だからといって、事態に反応する心は覚醒時と変わりはない。むらむらと腹が立ってくる。しかし、こういう事態に立ち至ると、「どないしてくれるんや」と怒鳴りたくなる一方で、気持ちは一挙にみじめさに転落しがちである。立腹の心はすぐに萎えて、恥辱の念に身が縮みそうになる。この場から逃げだしたくなる。ふとんに限らず、ふだん自分が使用している生活用具などがこういう目にあうと、つまり公衆の面前に晒されると、勝手に恥ずかしくなってしまうということが起きる。手袋やマフラーくらいなら、経験者は多数いるだろう。人に見られて恥ずかしいものではないのに、当人だけがひとりで恥に落ち込んでいく。何故だろうか。この句を読んで、そんな人心の不思議な揺れのメカニズムに、思いが至ったのだった。それにしても「ふとん」とはねえ。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


May 1552015

 いつまでも夕日沈まず行々子

                           森田 峠

ョウギョウシ、ギョウギョウシ、ケケシ、ケケシと鳴くので行々子と言われる。河川や湖沼の葦原などに生息する葭切にオオヨシキリとコヨシキリがある。このオオヨシキリの鳴き声がこれである。コヨシキリはピピ、ジジジと聞こえる。オスが高い葦の茎に直立した姿勢でとまり、橙赤色の口の中を見せてさえずっている。夏の日の中々沈み切らない夕まずめにいつまでも鳴き続けている。夏の日の長いこと。他に<歌うたひつヽ新妻や蒲団敷く><四戸あり住むは二戸のみ時鳥><少しづつかじるせんべい冬ごもり>など。「俳壇」(2014年11月号)所載。(藤嶋 務)


December 06122015

 寒鯉を抱き余してぬれざる人

                           永田耕衣

条理です。高校時代に背伸びをして読んだカミュの『シーシュポンスの神話』に、こんな記述がありました。「川に飛び込むが、濡れないことを不条理という」。『異邦人』のムルソーの心理を説明している箇所でしょうが、当時は全く理解できませんでした。しかし、身の回りで時に起こる不条理な事象を見、聞くにつれ、今はカミュの不条理が腑に落ちます。さて、掲句では、寒鯉を抱いているのにぬれない人が存在することを書いているのだから、不条理です。訳がわかりません。ところが、句集では次に「亡母なり動の寒鯉抱きしむる」があったので、句意がはっきりしました。「ぬれざる人」は「亡母」のことでした。ならば寒鯉は、生前も死後も母を深く慕っている息子耕衣その人でしょう。寒鯉のように、生臭く濡れている自身を母は死んだ今でも抱きしめにやってきてくれる。三途の川の向こうは、濡れるということがないのでしょう。あの世という形而上学には、涙や汗の質感がないのかもしれません。句集には「掛布団二枚の今後夢は捨てじ」もあり、母に抱かれる夢を見ているのかもしれのせん。となれば、掲句を不条理とするのは間違いで、夢幻とすべきでしょう。『非佛』(1970)所収。(小笠原高志)




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