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September 2391997

 はたをりが翔てば追ふ目を捨て子猫

                           加藤楸邨

たをりは、チョンギースと鳴く「きりぎりす」のこと。声が機を織る音に似ていることによる。捨てられた子猫も、虫が飛び立てば本能的に目で追うのだ。その可愛らしい様子が哀れでならない。実は、この子猫、作者と大いに関係がある。前書に「黒部四十八ヶ瀬、流れの中の芥に、子猫二匹、あはれにて黒部市まで抱き歩き、情ありげな人の庭に置きて帰る 五句」とあるからだ。とりあえず子猫の命は救ったものの、旅先ではどうにもならぬ。そこで「秋草にお頼み申す猫ふたつ」となった次第。捨てたのではなく、置いたのではあるが……。楸邨は常々「ぼくは猫好きではない」と言っていたそうだ。が、結婚以来いつも家には猫がいて、たくさんの猫の句がある。ふらんす堂から『猫』(1990)というアンソロジーが出ているほどだ。『吹越』所収。(清水哲男)


September 2292000

 われ小さく母死ぬ夢や螽斯

                           小倉一郎

者には申し訳ないが、季語「螽斯(きりぎりす)」の「斯」の表記には虫偏がつく。さて、俳句の「われ」は作者の「われ」であると同時に、読者の「われ」でもなければならない。主体を他者と共有するところが、この短い文学様式の一大特徴だと、長い間「オレがワタシが」の自由詩を書いてきた「私」などには感じられる。このことは、季語を通して時空間を共有することにもつながっている。俳句という表現装置の根底にあるこのメカニズムを踏み外したところに、私の関わる自由詩の存在理由もあるのだけれど、その議論はいまは置いておく。見られるように、掲句の「われ」はそのまま私たちの「われ」になっており、「螽斯」の時空間もまた、私たち読者のものである。だから、この一行は「俳句」なのだ。俳句以外のなにものでもない。と、ここまでは前提。このように主体を読者と共有したとき、なお作者の主体が掲句に感じられるのは、何故だろうか。それは、しぶとくも「夢」に内蔵されたテンスの二重性による。この「夢」は、子供の時に見た夢でもあり、現在の作者が見た「夢の夢」でもある。どちらかと問われても、誰にも答えられまい。作者は、意図的にそこを突いている。「曖昧」にではなく「正確」に、だ。こういう仕掛けができるから、俳句は面白いのである。句は優しく軟らかいのに、固い話になってしまった。小倉一郎は、テレビでもよく見かける俳優。俳号は「蒼蛙(そうあ)」。ご本人にそう言われると、なんとなく似ているような……。『小倉一郎句集「俳・俳」』(2000)所収。(清水哲男)


August 3182010

 骨壺をはみだす骨やきりぎりす

                           杉山久子

月始めに亡くなった叔母はユーモアのある女性で、遊びに行くたびに飼っていた文鳥の会話をおもしろおかしく通訳してくれ、幼いわたしは大人になれば難しい漢字が読めるように鳥の言葉がわかるようになるのだと信じていたほどだった。70歳になったばかりだったが、40代からリウマチで苦しんだせいか、火葬された骨は骨壺をじゅうぶんに余らせて収まった。しかし掲句は、はみだすほどであったという。それは、厳粛な場所のなかでどうにも居心地悪く存在し、まさか茶筒を均らすようにトントンとするわけにもいかぬだろうし、一体どうするのだろうという不安を骨壺を囲む全員に与えていたことだろう。俳人としては、死ときりぎりすといえば思わず芭蕉の〈むざんなや冑の下のきりぎりす〉を重ねがちだが、ここは張りつめた緊張のなかで、「りりり」に濁点を打ったようなきりぎりすの鳴き声によって、目の前にある骨と、自身のなかに紡ぐ故人の姿との距離に唐突に気づかされた感覚が生じた。「はみだす」という即物的な言葉で、情念から切り離し、骨を骨としてあっけらかんと見せている。〈かほ洗ふ水の凹凸揚羽くる〉〈一島に星あふれたる踊かな〉『鳥と歩く』(2010)所収。(土肥あき子)


October 27102010

 寺の前で逢はうよ柿をふところに

                           佐藤惣之助

この寺の前で、何の用があって、いったい誰と「逢はう」というのか――。「逢はうよ」というのだから、相手は単なる遊び仲間とか子どもでないことは明解。田舎の若い男女のしのび逢いであろう(「デート」などというつまらない言葉はまだ発明されていなかった)。しかも柿という身近なものを、お宝のように大事にふところにしのばせて逢おうというのだ。その純朴さがなんともほほえましい。同時にそんなよき時代があったということでもある。これから、あまり人目のつかない寺の境内のどこかに二人は腰を下ろして、さて、柿をかじりながら淡い恋でも語り合おうというのだろうか。しゃれた喫茶店の片隅で、コーヒーかジュースでも飲みながら……という設定とはだいぶ時代がちがう。大正か昭和の10年代くらいの光景であろう。ふところは匕首のようなけしからんものも、柿やお菓子のような穏やかなものもひそむ、ぬくもった不思議な闇だった。掲句の場合の柿は小道具であり、その品種まで問うのは野暮。甘い柿ということだけでいい。柿の品種は現在、甘柿渋柿で1000種以上あるという。惣之助は佐藤紅緑の門下で、酔花と号したことがあり、俳誌「とくさ」に所属した。句集に『螢蠅盧句集』と『春羽織』があり、二人句集、三人句集などもある。他に「きりぎりす青き舌打ちしたりけり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 2882014

 蝦蟇公よ情報化社会と言ふらしい

                           山本直一

く短い足を大地に踏ん張る蝦蟇がのっしのっしと歩いてくる。スローテンポの蝦蟇と縁側で目があって思わず呟く一言。「情報化社会というらしい」押し寄せてくる情報に振り回される時代から少し距離を置いた言葉だ。メールにネットに便利になった分「時間がない」「時間がない」と追われる一方である。何てことはない。見なければいいだけの話。と開き直ってみるが、仕事もプライベートも情報依存度や高まるばかりである。情報に尻をたたかれて動くなんてバカバカしい。勝手に忙しがってろ、と蝦蟇公は太古から変わらぬ速度でのっしのっしと我が道をゆく。「先頭はだれが決めるの?蟻の列」「世渡りが下手とのうわさきりぎりす」小さな生き物たちと友達に語りかけるあたたかさで通じ合っている鳥打帽』(2014)所収。(三宅やよい)


October 14102015

 門近く酒のいばりすきりぎりす

                           木下杢太郎

呑みならば、誰もが心当たりのあるような句である。「酒のいばりす」とは言え、まさか酒そのものが小便をするというはずは勿論ないし、「いばりすきりぎりす」とは言え、きりぎりすが小便をするというわけでもない。今夜どこぞでしこたまきこしめしてきたご仁が帰って来て、門口でたまらず立ち小便している。(お行儀が悪い!と嘆く勿れ)そのかたわらできりぎりすがしきりに鳴いているーーという風情である。そろそろ酔いも覚めてきているのかもしれない。もう少し我慢して家のなかのトイレで用をたせばいいものを……敢えて外で立ち小便するのがこたえられないのである。わかるなあ! しかも、かたわらではきりぎりすが「お帰りなさい」と言わんばかりに鳴いている深夜であろう。今夜の酒は、おそらく快いものだったにちがいない、とまで推察される。飲んだとき、秋の俳句はこうありたいものだと思う。杢太郎が詠んだ俳句は多い。ほかに「ゆあみして障子しめたり月遅き」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 0522016

 雑貨屋の空の鳥籠春浅し

                           利普苑るな

と昔前にはどこの町や村にも雑貨屋があった。母は「よろずやさん」と呼んでいたが、何でもちょいとした生活用品が手に入った。今で言うスーパーのルーツみたいなものである。そんな日常の雑貨屋の軒先に鳥籠が覗いている。籠の鳥は紫外線の強さとか空の青さにやって来た春を感じている。早や囀りの気配すら見せている。立春を迎えたばかりの空気は人間の肌にはまだまだ寒い。しかし時は確実に進行する。これから私の近くの利根川周辺では「ケーン、ケーン」と雉が叫び始める。他に<主われを愛すと歌ふ新樹かな><失せやすき男の指輪きりぎりす><卓上の鳥類図鑑暮遅し>などあり。『舵』(2014)所収。(藤嶋 務)




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