September 0991997

 脇ざしの柄うたれ行く粟穂かな

                           加藤暁台

台は十八世紀江戸期の俳人で元尾張藩士。粟は人の腰の丈より少し高いところくらいにまで生長するから、刀をさした者が粟の畑近くを歩けば、このような情景になる。なんだか時代劇の一場面を見ている気持ちにさせられるけれど、二百年前のこの国のまぎれもない現実なのだ。と、頭ではわかっても、やっぱり不思議な気持ちになる。ところで、粟は米よりも味があわいので「あわ」と言ったという説がある。薄黄色の粟餅は私の好物だったが、このところとんとお目にかかれない。五穀のひとつである粟も、作る人がいなくなってしまったのだろう。脇差はとっくに消え、粟もまた消えていく。時世というものである。(清水哲男)




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