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September 0791997

 少年の腰のくびれや草相撲

                           小坂順子

性ならではの句。色っぽい。ただし、見ているのが「草相撲」であるところに、この句の真価がある。プロの相撲にだって「少年」はいくらも出てくるが、誰も「腰のくびれ」などに注目したりはしない。そんな人がいたら、常識ではこれを変態と言う。同じハダカでも「草」と「プロ」とでは、大いに異なる。「草」のハダカは生々しく、「プロ」のそれはむしろハダカを感じさせない。昔のストリップ興業に例えれば、京都の千中ミュージックや岡山のOK劇場が「草」で、有楽町の日劇ミュージックホールや大阪のOSなどが「プロ」だった(ストリップ評論家たらんとした我が若き日の「データベース」???より)。技術の差なのである。素人は、どうあがいても自分の肉体に頼ってしまう。頼るから、肉体が生に表に出てしまう。そこへいくと玄人は、肉体に技術という衣を纏っているようなものだ。第一、肉体だけに頼っていたら商売にはならないからである。その意味からすると、この句はなかなかに奥深いことを言っている。古来「相撲」は秋の季語とされてきた。相撲が、宮中の秋の神事として行われていた頃の名残りである。(清水哲男)


September 1891999

 山ばかりつづくしこ名や草相撲

                           門司玄洋人

撲は秋の季語。桓武天皇の時代から、宮中での相撲節会が、陰暦七月の終わり頃に行われてきたことによる。ところで、相撲の句というと、ひいきの力士が勝負に負けた哀感や、老いた相撲取りの姿などを詠むことが多い。力勝負の世界では、弱者のほうが絵になりやすいからだ。そんななかで、この句はあっけらかんと異色である。下手くそで弱いくせに、出てくる奴はみな「……山」と強そうな名前ばかり。鼻白んでいるのではなく、作者はむしろ呆れている。しかし、それが草相撲の楽しさであるとも言っている。いまの大相撲でも「武双山」「旭鷲山」「雅山」「千代天山」など「山」のつく力士は多く、やはり動かざること山のごとし、というイメージにこだわった結果なのか。反対に、最近影が薄いのは「川」の名だろう。「海」はあるが、「川」はほとんど見られなくなった。私が好きだった上手投げの名人「清水川」の頃には、「川」を名乗った力士は沢山いたけれど、現在の幕内には一人もいない。川は抒情的に過ぎるからだろうか、それとも水質汚染のせいで嫌われるのか。しこ名にも、流行があるようだ。(清水哲男)


September 0692000

 やはらかに人わけゆくや勝角力

                           高井几菫

力(相撲)は、元来が秋の季語。勝ち力士の所作が「やはらかに」浮き上がってくる。六尺豊かな巨漢の充実した喜びの心が、よく伝わってくる。目に見えるようだ。相撲取りとは限るまい。人の所作は、充実感を得たときに、おのずから「やはらか」くなるものだろうから……。だから、私たちにも、この句がとてもよくわかるのである。もう一句。角力で有名なのは、蕪村の「負まじき角力を寝物がたり哉」だ。負け角力の口惜しさか、それとも明日の大一番を控えての興奮か。角力を「寝床」のなかにまで持ち込んでいる。蕪村は「角力」を「すまひ」と読ませていて、取り口を指す。さて、解釈。蕪村の芝居っ気を考えれば、負け相撲の口惜しさを、女房に訴えていると解釈したいところだ。が、この「寝物がたり」のシチュエーションについては、昔から三説がある。力士の女房との寝物語だという説。そうではなくて、相撲部屋での兄弟弟子同士の会話だとする説。もう一つは、力士ではなく熱狂的なファンが妻に語っているとする説。どれが正解だとは言えないが、そこが俳句の面白さ。読者は、好みのままに読めばよい。ファン説は虚子の解釈で、これを野球ファンに置き換えると、私にも思い当たることはあった。すなわち「一句で三倍楽しめる」句ということにもなる。(清水哲男)


September 0992002

 玉錦塩を掴んで雪のように

                           野田別天樓

撲(秋の季語)の句。実際に本場所を見たのは、後にも先にも一度しかない。いまの貴乃花の父親が、大関を張っていたころだ。偶然にも天覧試合だったので、昭和天皇を見たのも、あのときだけだった。相撲の句というと、たいていが勝負に関わるものや年取った角力取りの哀感を詠んだものが多いなかで、このように絶好調の力士の姿を誉めた句は少ない。玉錦は昭和初期の横綱だから、私にはその勇姿を知る由もないけれど、きっと句のように「雪のように」美しい姿だったにちがいない。男も惚れる美丈夫だ。土俵に上がり塩を掴んだ姿も、勝敗を越えた角力見物の楽しさであることは、たった一度の観戦でもよくわかった。あの微妙な肌の色、取り組んだ後に背に昇ってくる血の色……。こういうところは、残念ながらテレビでは見えない。野球でもサッカーでも、現場でしか見られないものは、数多くある。さて、作者の師匠である松瀬青々には「角力取若く破竹の名を成せり」がある。昨日の八場所ぶりの貴乃花は、まさにこの句のように力量名声をほしいままにしてきた力士であるが、みなさまはどうご覧になっただろうか。必死の気迫は感じられた。が、素人考えながら、新小結にすぐに上手を切られるなど、前途は楽観できない内容だなと思えた。(清水哲男)


September 0892003

 合弟子は佐渡へかへりし角力かな

                           久保田万太郎

語は「角力(相撲)」で秋。九月場所がはじまった。たまにテレビで観る程度だが、いまの相撲にはこうした哀感がなくなったなと思う。いまだって、将来を嘱望されながらも、遂にメが出ずに遠い故郷に戻る男も少なくはないだろう。状況は昔と似たようなものなのに、土俵にセンチメントが感じられなくなって久しい。何故だろうか。1987年、横綱の双羽黒が立浪親方との対立から現役のまま廃業したあたりからおかしくなってきた。廃業して間もない彼に会ったことがあるが、気さくな青年だった。相撲部屋の古色蒼然たる「しきり」に堪えかねたのだろうとは、そのときの私の直感だ。自己顕示欲は人一倍強いと見たが、そりゃそうさ、天下の横綱にまでのし上がった男だもの。そうした相撲界の時代とのズレもあるけれど、哀感が失せた最大の理由を、私はこの世界の裾野の狭さに見ている。狭いというようなものではなくて、もはや限りなくゼロに近いのだ。私の子供のころには、どこの小学校でも土俵を持っていて、私のようなヨワッピーでも、とにかく土俵で相撲を取った体験がある。また、村祭などでも若い衆の相撲大会があって、みんなが相撲の何たるかを心得ていた。だから、プロの相撲取りがどんなに凄いのかが身体的に感じられた。感じられたから、たとえ関取以下のお相撲さんにでも尊敬の念を持つ。逆に体験が無い人には、敬意の持ちようが無い。敬意のないところには、非運に対する思いやりも生まれない。当代の力士には敬意を払われる雰囲気は皆無に近いので、風格なんぞは糞食らえ、勝てばいいんだろみたいな低次元にとどまってしまう。私などには哀しいことだが、きっと近い将来に相撲は滅びてしまうだろう。しかも、誰の涙も無しに、である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1692012

 宿の子をかりのひいきや草相撲

                           久保より江

祭りの季節です。先の日曜、みこし、おはやし、太鼓の音に誘われて、おかめやひょっとこの踊りを楽しみました。かつて、村社、郷社といわれた神社の境内には、今でも相撲の土俵があります。奈良時代、秋の宮廷行事であった相撲の節(すまいのせち)は、平安末期に廃れましたが、宮廷神事にあやかる力自慢の伝統は、全国津々浦々続いています。本日、両国国技館は、秋場所の中日。力士の顔ぶれがインターナショナルになった今でも、その様式は変わりません。西洋人は、力士のことをスモウ・レスラーと呼びます。確かに、相撲も格闘技の一種ですが、神事として奉納するという伝統もあります。相撲を文化としてとらえると、不可思議なことがたくさんありますが、それよりも、目の前でつく勝負は明快ですから、ひいきの力士の勝ち負けに、一喜一憂します。見物衆としては、東か西か、どちらかを応援した方が興が乗るので、掲句のように、旅の宿の子どもを、今日はひいきにして応援しよう、ということになります。相撲は確かに格闘技の一面がありますが、他の格闘技、たとえばプロレスやボクシング、K1、柔道などと違うところは、勝負がついた後、観客の多くが手をたたいたり、笑ったり、残念がったりしているところです。観客が笑う格闘技は、他にはなかなかないと思いますがいかがでしょう。なぜ、笑いが起きるのか。それは、巨体が土俵から転げ落ちるのが滑稽だからでしょう。物が落ちると人は笑うことがあり、日本ではこれを、落ち、というわけです。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


October 24102012

 境内や草の中なる相撲風呂

                           佐藤紅緑

相撲九月場所は、日馬富士の連続全勝優勝→横綱昇進、という結果で幕を閉じた。さて、こちらは「草の中」という言葉の連想から、草相撲であると解釈したい。土俵で汗を流し砂にまみれる相撲には、大相撲であれ草相撲であれ、風呂は付きものである。私が子どもの頃は土俵上の勝負だけでなく、取り終わって風呂に入る裸の彼らを、物珍しいものでも見るように、テントの隙間や銭湯の入口から覗き見したおぼえがある。地方巡業に来た鏡里や吉葉山らの、色つやが良く大きな素裸は今も目に焼きついている。「相撲」は秋の季語。「境内」だから、寺社に設けられた土俵で取り組みを終わった相撲取りが入る臨時の風呂が、境内隅の草地に設けられているのだ。相撲はもともと祭事的行事であり、以前はたいていの寺社や学校の校庭の隅に土俵が設けられていた。私が住んでいる町の大神宮の境内には立派な土俵があって、江戸時代からつづけられている奉納相撲大会が、現在も毎年10月に開催されている。子供の部もあって賑わっている。「草の中なる」風呂によって、気取らずのどかで真剣な相撲大会の雰囲気が想像される。そんな佳き時代があった。「やはらかに人分け行くや勝角力」(几董)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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