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August 2781997

 音より止むスコール人が歩き出す

                           橋本風車

然の大雨である。あわてて人々は屋根のある場所へと駆けこむのだが、夏の俄雨だからじきに止んでしまう。しばらく避難していると、たちまちのうちに晴れて赤い日がさしてくる。そんな夏の雨はたしかに「音より止む」のであって、まだ少し細かい雨が残ってはいても、音が止みかけると待ちかねた人々が次々に歩きはじめる。古来、こういう雨のことを「驟雨(しゅうう)」と呼んできたが、句の雨は「スコール」と思わずも表現したくなるほどに激しかったということだろう。雨は雨でも、夏季ならではの陽性の雨である。(清水哲男)


August 2781998

 夕立を壁と見上げて軒宿り

                           上野 泰

わかに空が暗くなり、「来るぞ」と思う間もなくザーッと降ってきた。とりあえず、どこでもいいから適当な家の軒下にかけこんで、夕立をやり過ごす。猛烈な雨は、句のように、滝というよりも壁のようである。でも、夕立はすぐに止むだろうと思うから、暗い気分にはならない。物凄い降りを楽しむ余裕がある。もっと激しく降れと思ったりする。道を急いでいる人以外には、自然が与えてくれた時ならぬ娯楽だと言ってもよいだろう。そんな軒先に数人の人が溜まると、どういうわけか、誰かが「夕立評論家」になるのも楽しい。「まあ、いっときの辛抱ですよ」「ほら、西の空が明るくなってきた。もうすぐ止みますからね」などと、誰も頼んだわけじゃないのに、解説してくれる人が出てくる。そのうちに、見ず知らずのその人に相槌を打つ人も出はじめて、ほぼ全員の気分がなごみはじめたところで夕立は終わりになる。最近は軒先のある家がなくなってきたから、こうした夕立の楽しさもない。楽しさがないどころか、運が悪いと、左右に家屋はあってもずぶぬれの憂き目にあってしまう。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


July 2971999

 少女と駈く一丁ほどの夕立かな

                           岸田稚魚

の大気は不安定だ。晴れていたのが、一天にわかにかきくもり、ザーッと降ってくる。そんなに家が遠くないときには、作者のように、とにかく駆け出す。気がつくと、見知らぬ女の子も同じ方向にいっしょに並んで駆けている。こんなときには、お互い連帯感がわくもので、ちらりと目で合図を送るようにしながら、走っていく。このとき、作者は六十代。息も切れようというものだが、元気な女の子に引っ張られるようにして走っている自分が楽しくなっている。そんな気分が、よく出ている。数字にうるさい読者にお伝えしておけば、一丁(町とも)は六十間、一間をメートルに換算すると1.81818メートル。ということは、二人が走っているのは、およそ百メートルほどの近距離という計算だ。だが、もともとこの丁(町)という数助詞は、昔の町から隣町への距離を単位としたアバウトな数字である。したがって、一丁の意味は、ちょっとそこまでといった感覚のなかにあるものだった。句でも、同様だ。翌日からは、この二人が顔を合わせると、思わずもにっこりということになっただろう。夕立フレンドである。『萩供養』(1982)所収。(清水哲男)


August 0382000

 夕立の祈らぬ里にかかるなり

                           小林一茶

っと読んで、意味のとれる句ではない。「祈らぬ里」がわからないからだ。しかし、夕立が移っていった里に、何か作者が祈るべき対象があることはうかがえる。まだ祈ってはいないけれど、まるで作者のはやる気持ちが乗り移ったかのように、夕立が大粒の涙を流しに行ってくれたのだという感慨はわかる。悲痛な味わいが漂う句だ。『文化句帖』に載っている句で、このとき一茶が祈ろうとしていたのは、その里にある一基の墓であった。墓碑銘は「香誉夏月明寿信女」。眠っている女性は、一茶の初恋の人として知られている。一茶若き日の俳友の身内かと推察されるが、生前の名前なども不明だ。彼女が亡くなったのは十七歳、一茶はわずかに二十歳だった。そして、この「夕立」句のときが四十四歳。つまり、二十五回忌追善のための旅の途中だったというわけだ。いかに一茶が、この女性を愛していたか、忘れることができなかったかが、強く印象づけられる句だ。男の純情は、かくありたし。しかも、実はこの句を詠んだ日は、彼女の命日にあたり、縁者による法要が営まれているはずの日であった。だが一茶は、故意に一日だけ「祈る」日をずらしている。人目をはばかる恋だったのだろう。(清水哲男)


June 1362001

 牛も馬も人も橋下に野の夕立

                           高浜虚子

里離れた「野」で夕立に見舞われたら、まず逃げようがない。どうしたものかと辺りを見回すと、土地の人たちが道を外れて河原に下り、橋の下に駆け込んでいくのが見えた。これしかない。作者も急いで駆け込んでみたら、人ばかりか「牛も馬も」が雨宿りをしていた。「牛も馬も」で、夕立の激しさが知れる。そこで「牛も馬も人も」が、所在なくもしばしいっしょに空を見上げて、雨の通り過ぎていくのを待つのである。この橋は、木橋だろう。だとすれば、橋を打つ雨の音もすさまじい。実景を想像すると、なんとなく滑稽でもあり牧歌的にも思えてくるのは、「野の夕立」の「野」の効果だ。上五中七で、ここが「野」であることは誰にでもわかる。にもかかわらず、虚子はあえて「野」を付け加えた。何故か。「野」を付け加えることで、句全体の情景が客観的になるからである。かりに「夕立かな」などで止めると、句の焦点は橋の下に集まり、生臭い味は出るが小さくまとまりすぎる。あえて「野」と張ったことにより、橋の下からカメラはさあっとロングに引かれ、橋下に降りこめられた「牛も馬も人も」が遠望されることになった。大いなる自然のなか、粗末な木の橋の下に肩寄せ合うしかない生きものたちの小ささがより強調されて、哀れなような情けないような可笑しさがにじみ出てきた。だが、もう一つの読み方もできる。虚子は最初から、橋の下なんぞにはいなかった。それこそ、彼方に河原が見える料理屋かなんかにいて、この景色を見ていただけ……。となれば、句の魅力はかなり褪せてしまう。この場合にこそ「野」は不可欠だけれど、どっちかなア。『六百句』(1946)所収。(清水哲男)


July 1672001

 さつきから夕立の端にゐるらしき

                           飯島晴子

なたにも、体験があるのではなかろうか。パラパラッと降ってきたかと思うと、サアッと日が射してくる。誰かの句に、銀座通りを夕立が駆け抜けていく様子を詠んだものがあったと思うが、雨の範囲が狭いのが夕立の特徴だ。なるほど「夕立の端」と、稚気を発揮して言うしかか言いようがない。この句には自註があって、気になることが書かれている。それまでの作者は、何か目に見えて強い手ごたえのある詩的時空を実現させたいと願ってきた。しかし「俳句の詩としての究極の手応えの強さ、確かさは、面の一見の強い弱いにはかかわらないということである。一見は何も無いようで、触ってみると固い空気のようなものが在るのも愉しいではないかということである。掲句でそういうことが出来ているかどうか。多分まだ抜き残した部分があるのだろうが……」(別冊俳句『現代秀句選集』1998)。俗に言う「肩の力を抜く」に通じる心境だろうが、一読者としての私も、だんだん同じような心境に近づきつつある。幾多の華麗な句や巧緻の句に感心しつつも、めぐりめぐってまた「一見は何も無い」子規句のような世界に戻っていきそうな自分を感じている。トシのせいだとは、思えない。単に、そのほうがよほど「愉しい」からだ。『儚々』(1996)所収。(清水哲男)


June 2462004

 屋根一つ一つに驟雨山を下り

                           廣瀬直人

語は「驟雨(しゅうう)」で夏。「夕立」に分類。山の斜面に、点々と家が建っている。そこへ、頂上の方からにわかに激しい雨が降ってきた。見る間に雨は「山を下り」てきて、さっきまで明るかった風景全体が墨絵の世界のように色を失う。雷も鳴っているだろう。夏の山国ではよく見かける光景だが、雨が一戸も外さず一つ一つの屋根を叩いて下りてきたという措辞は、言い得て妙だ。一見当たり前のような描写だが、このように言い止めることで雨の激しさが表現され、同時に山国の光景が現前され、句に力強さを与えている。山国に育った私としては、この的確さに唸らされた。まさに実感的に、この通りなのである。実感といえば、こうした自然の荒々しさを前にすると、人間というものはお互いに寄り添って生きていることを、いまさらのように感じさせられてしまう。「屋根一つ一つ」の下には、平素はさして付き合いのない人たちもいるし、なかにはムシの好かない奴もいたりする。が、ひとたび激甚の風雨来たれば、そんなことはどうでもよいことに思えてくる。「屋根一つ一つ」を順番に余さず叩く雨そのものが、人が身を寄せ合って生きている光景をあからさまに浮かび上がらせるからだ。驟雨は、短時間で止んでしまう。やがてまた日がパッと射してきた時に、私たちの心が以前にも増して晴れやかになるのは、単に厄介な自然現象が通り過ぎて安堵したということからだけではない。短時間の雨の間に、周囲に具体的に人がいるかいないかには関係なく、私たちのなかには他人に対する親和の心が芽生えているからだと思う。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


June 0562006

 夕立やほめもそしりも鬼瓦

                           平井奇散人

語は「夕立」で夏。一天にわかにかき曇り、ザァッと降ってきた。あわてて作者は、近くの軒端に駆け込んだ。さながら車軸を流すような強い降りに、身を縮めて避難しているうちに、ふと見上げると目の先に瓦屋根の「鬼瓦」があったという図だ。当たり前と言えば当たり前だけれど、鬼瓦の様子は泰然自若としていて、激しい降りにも動じている気配はない。「ほめもそしりも」の後には「しない」「せぬ」などが省略されているのだと思うが、そうした人間界のせせこましいやりとりからは超然としている鬼瓦の姿なのだ。それを見ているうちに、自然に作者の心も眼前の激しい雨に洗われるかのように、「ほめもそしりも」無い世界へと入って行くのであった。束の間の自然現象による洗心ということはままあるが、夕立と作者の心の間に鬼瓦を挟み込むことによって、そのことの喜びが鮮やかに定着された一句だ。掲句を眺めていると、なんだ、読者自身も夕立に降り込められた感じもしてくるではないか。しかし読者は作者と同じように、この激しい雨も間もなく上がってしまうことを知っている。上がったら、どうするか。当然すぐにこの場を離れて、ふたたび「ほめもそしりも」ある俗な世間へと帰って行くことになる。鬼瓦のことも、間もなくすっかり忘れてしまうだろう。そこでまた、せっかく洗われた心もまた汚れていかざるを得ないわけで、それを思うと侘しくも切なく哀しい。この句は、そこまで書いてはいないのだけれど、読者としてはそこまで読み取らなければ面白くない。また、そこまで読ませる力が掲句にはあると感じた。俳誌「船団」(第69号・2006年6月)所載。(清水哲男)


June 2862006

 金盥あるを告げ行く白雨かな

                           斎藤嘉久

語は「白雨(はくう)」で夏。夕立のこと。「白雨」と書いて「ゆうだち」と読ませる場合もあるが、掲句では音数律からして「はくう」だろう。一天にわかにかき曇り、いきなりざあっと降ってきた。こりゃたまらんと、作者は家の中へ。と、表では何やらガンガンと金属を叩く音がする。あ、金盥(かなだらい)が出しっぱなしだったな……。と思っているうちに、ざあっと白雨は雨脚を引いて、どこかに行ってしまった。すなわち、白雨が金盥のありどころを告げていったよ、というわけだ。最近は金盥も使わなくなっているので、もはや私たちの世代にとっても懐かしい情景だ。実際にこういう体験があったかどうかは別にして、昔はどの家にも金盥があったから、私たちの世代はこの句の情景を実感として受け止めることができる。ただそれだけの句なのだが、こういう詠みぶりは好きですね。句に欲というものがない。作者にはべつに傑作をものしようとか、人にほめられようとか、そういった昂りの気持ちは皆無である。言うならば、その場での詠み捨て句だ。その潔さ。作者の略歴を拝見すると、大正十三年生まれとある。句歴も半世紀に近い。その長い歳月にまるで裏ごしされるかのようにして達した一境地から、この詠みぶりは自然に出てきたものなのだろう。欲のある句もそれなりに面白いけれど、最近の私には、掲句のような無欲の句のほうが心に沁みるようになってきた。ついでに言っておけば、最近の若い人に散見される無欲を装った欲望ギラギラの句はみっともなくも、いやらしい。やはり年相応の裏打ちのない句は、たちまちメッキが剥がれてしまい、興醒めだからである。「俳句界」(2006年7月号)所載。(清水哲男)


July 2372008

 どの子にも夕立の来る空地かな

                           村嶋正浩

どもの頃、野原や河原で遊んでいて、いきなり雷鳴とともに夕立に襲われて家へ逃げ帰った経験は誰にもあるにちがいない。そう、子どもたちは年中外で黒くなって遊んでいた。乾ききった田んぼ道をポツ、ポツ、ポツ、ザアーッと雨粒が背後から追い越してゆく。それを爪先で追いすがるようにして走って帰った記憶が、私には今も鮮明に残っている。空地でワイワイ遊んでいる子どもたちにとって、夕立に濡れるのはいやだが、同時に少々ずぶ濡れになってみたいという好奇心もちょっぴりあるのだ。遊んでいた子どもたちの声は、夕立によって一段と高くにぎやかになる。しかも、夕立は大きい子にも小さい子にも、分け隔てなく襲いかかる。まさしく「どの子」をも分け隔てなく夕立が包んでゆく情景を、作者はまず上五で見逃していない。どの子にも太陽光線が均一に降りそそぐように、夕立も彼らを均一に包んでしまう。あたりまえのことだが、そのことがどこかしらうれしい気持ちにもさせてくれる。気張ることなくたった十七文字のなかに、さりげない時間と空間がきちんととりこまれている素直な句。正浩は詩人だが、俳句歴も長い。ほかに「眉消して少年の病む金魚かな」「夕端居手足長きを惜しげなく」などくっきりとした夏の句がある。「澤」(2008年7月号)所載。(八木忠栄)


August 1382008

 神宮の夕立去りて打撃戦

                           ねじめ正一

宮球場だから東京六大学野球でもいいわけだけれど、豪快な「打撃戦」であろうから、ここはプロ野球のナイターと受けとりたい。ヤクルト対阪神か巨人か。ドーム球場では味わえない、激しい夕立が去って幾分ひんやりしたグランド上で、さてプレー再開というわけである。選手たちが気をとり直し、生き返ったように、中断がウソだったように派手な打撃戦となる。夕立が両チームに喝を入れたのであろう。スタンドにも新たな気合が加わる。夕立であれ、停電であれ、思わぬアクシデントによる中断の後、試合内容が一変することがよくある。夕立に洗われた神宮の森も息を吹き返して、球場全体が盛りあがっているのだろう。その昔、神宮球場の試合が夕立で中断しているのに、後楽園球場ではまったく降っていないということが実際にあった。夕立は局地的である。ドーム球場では味わえなくなった“野の球”が、神宮では今もしっかりと生きているのはうれしい。長嶋茂雄ファンの正一は、「打撃戦」のバッター・ボックスに、現役時代の長嶋の姿を想定しているのかもしれない。掲出句は雑誌の句会で、正客として招かれた正一が投じたなかの一句。席上、角川春樹は「『夕立』を使った句の中でも類想がない。佳作だよ」と評している。ほかに「満月を四つに畳んで持ち帰る」「ちょん髷を咲かせてみたし豆の花」などに注目した。「en-taxi」22号(2008年6月)所載。(八木忠栄)


July 2072010

 水桶に女の屈む朝曇

                           城倉吉野

日土用の入り。いよいよ日本のもっとも厳しい時節に足を踏み入れたわけだが、エアコンも扇風機もない時代から繰り返し乗り越えてきていることを思えば、暑いのは夏の取り柄なのだとわずかに開き直る心持ちにもなる。「朝曇(あさぐもり)」とは、「日照りの朝曇り」という言葉があるように、明け方どんよりと曇っていても、日中は辟易するような炎天になることをいう。高気圧に覆われていると風が弱いため、夜間は上層より下層の空気が冷え、雲ができやすくなっていて、いっとき朝方は曇っているが、日射により雲はみるみる消えてしまう、というれっきとした気象現象である。しくみはどうあれ、「ともかく今日は暑くなる」という体験による確信が伝わる季語であることから、掲句の屈む女の姿が際立つ。水桶に張った水面に映るどんよりと濁る曇天に、女のこれからの労働と、その背景に容赦なく照りつける太陽がもれなくついてまわる一日を思わずにいられない。日本人の生活感覚として確立された季語の、まさに本領発揮という一句である。〈千人の僧のごとくに夕立かな〉〈天の川ひとは小さな息をして〉『風の形』(2010)所収。(土肥あき子)


June 1562011

 逃げる子を夕立すでに追い抜きぬ

                           清水 昶

は去る五月三十日に心筋梗塞で急逝してしまった。残念でならない。からだの不調がつづいて、隔月に吉祥寺で開催している余白句会に、近年は投句も出席もかなわなくなってしまっていた。それまでは句会では言いたいことを言って、笑わせたり顰蹙を買ったりしていた。自分の俳句のすばらしさを言って、座を妙に盛りあげてくれたっけ。そしてマイペースで徳利の日本酒をチビチビゆっくり干していた姿が、懐かしく回想される。なぜか憎めない男でした。淋しいなあ。掲句は、遊んでいた子どもたちが、急に降り出して迫ってきた夕立から逃げようとワイワイ走り出したのだろうが、たちまち容赦ない夕立に追いつかれ、追い抜かれてしまった。頭上ではカミナリも子どもたちを容赦なく脅かしているにちがいない。子どもにとってびしょ濡れはうれしいのだ。私にも子どもの頃、そんな経験が何回もあって、ずぶ濡れの子ども同士やんやと盛りあがっていたものだった。この句は実景というよりも、昶は子どもの頃の経験を思い出して詠んだのではないだろうか。ウェブ「新俳句航海日誌」では厖大な句を量産していた。他に「釣竿を肩に蚯蚓掘る少年期」(「少年期」が好きな男でした)、「大寒の真水のごとく友逝けり」など。「友逝けり」どころか自分があっさりと逝ってしまった。合掌。「OLD STATION」12号(2003)所載。(八木忠栄)


August 0582011

 驟雨くる病院帰りの水の味

                           寺田京子

らはどれほど勇気をもらったことだろう。子規や波郷や玄や京子に。命の消え際のぎりぎりまで「もの」を視た。視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚を総動員して「瞬間」を感じ取った。生きている時間を刻印した。あらゆる俳句の要件を味方につけて結局はそれより大切なものをゴールに蹴り込んだ。修辞的技術よりも「自分」を一行に刷り込むことを優先させた俳人だ。『雛の晴』(1983)所収。(今井 聖)


April 1442013

 寝ころんで蝶泊らせる外湯哉

                           小林一茶

防備で、無邪気。天真爛漫、春爛漫。生まれたまんまの姿で、春の空を眺めながら湯にひたり、我が身を蝶の宿にする。粋で自由。一度でいいから、こんなシチュエーションに身を置きたいものです。掲句は前書に「道後温泉の辺りにて」とあり、注釈に、寛政七年(1795)春の即興吟とあります。一茶三十二歳。ご存知のように、一茶は十五歳で故郷北信濃の柏原を出てから五十一歳で帰郷するまで、江戸、西国などを転々として流寓生活を送りました。その半生の中で培われた感覚は、例えば「夕立や樹下石上の小役人」といった人間界の権威に対する皮肉に表れ、一方で、「やれ打つな蝿が手をすり足をする」があります。この句について、昨年『荒凡夫一茶』を上梓された金子兜太氏は、「これは学校の先生が教える慈悲の句ではなく、本当の意味でリアルな、写生の句である」と述べています。「おそらくは、蠅よ、お前は脚を磨いておるなあ、まあ、ゆっくりやってくれやい、と見たままを詠んだ句です。」金子氏は、一茶の句に「生きもの感覚」をみいだしていますが、掲句も同様に、人間界よりも広くおおらかなくくりの自然界に身をひたし、空と湯と蝶と我が身を一体にする一茶の無邪気を読みます。『日本古典文学大系58・一茶集』(岩波書店)所収。(小笠原高志)


August 1882013

 月光を胸に吸い込む少女かな

                           清水 昶

さんの『俳句航海日誌』(2013・七月堂)が上梓されました。2000年6.13「今は時雨の下ふる五月哉」に始まり、2011年5.29「遠雷の轟く沖に貨物船」に終わる927句が所収されています。日付順に並ぶ一句一句が、海へこぎだすサーフボートのように挑み、試み、言葉の海を越えていこうとしています。所々に記された日誌風の散文は、砂浜にたたずんで沖をみつめるのに似て、例えば「現代詩が壊滅状態にある現在、俳句から口語自由詩を再構築する道が何処にあるのかを問わなければ、小生にとって一切が無意味なのです。」という一節に、こちらもさざ波が立ちます。句集では、「少年」を詠んだ句が10句、「少女」が7句。少年句は、「湧き水を汲む少年の腕細し」といった少年時代の自画像や「少年の胸に負け鶏荒れ止まず」といった動的な句が多いのに対し、少女句は、「ゆうだちに赤い日傘の少女咲く」「草青む少女の脚の長きかな」というように、そのまなざしには遠い憧憬があります。なかでも掲句(2003年8.19)は憧憬の極みで、少女は月光を吸って、胸の中で光合成をしているような幻想を抱きます。少年の動物性に対する少女の植物性。少女を呼吸器系の存在として、その息づかいに耳を遣っているように読んでしまうのは的外れかもしれません。ただ、この一句に翻弄されて、言葉の海の沖の向こうに流されました。ほかに、「『少年』を活字としたり初詩集」。(小笠原高志)


June 3062014

 今走つてゐること夕立来さうなこと

                           上田信治

況としては、いまにも夕立が来そうなので安全なところへと駆け出しているというだけのことだ。でも、このように書くと、なんとなく可笑しくて笑えてくる。それは「何が何してなんとやら……」の因果関係の因子をひとつひとつ分解して、それらをあらためて見直してみようとする試みのためだ。しかもこの因果関係はほとんど条件反射的に起きているので、普通は省みたりはしないものである。つまり見直しても何の意味もなさそうなことを、あえて生真面目に見直すという心の動きが、可笑しみを生み出しているわけだ。ひょっとするとこの句は、トリビアルな物や現象にこだわる俳句たちを揶揄しているのかもしれない。俳誌「豆の木」(第18号・2014年4月刊)所載。(清水哲男)


July 2072014

 夕立ちや小言もにぎる江戸かたぎ

                           小沢昭一

年前、惜しまれて逝去した俳優・小沢昭一の『俳句で綴る変哲半生記』(2012)所収です。序文に、「最初は俳句を口実に集まって、遊んでいるような心持ちでしたが、そのうちだんだん句作が面白くなってまいりました。それは、俳句を詠むことで、本当の自分と出会えることに気付いたからです。今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千にもなりました。改めて眺めてみますと、どの句にも『自分』というものがチラチラと出ているように思えます。特に『駄句』にこそ私らしさ が現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました」。俳句を始めた昭和四十四年から、月順に配列されているので、タイトル通り、俳句で綴られた半生記です。掲句は平成九年七月の作。行きつけの店の外は夕立ちで、他に客が入ってくる気配もありません。主人の小言は、相変わらずわさびが利いて辛口です。にぎられたら即座に口にするのが江戸前のならい。主人がにぎった鮨を客の小沢はすぐに手にとり口にする。主人がにぎり客が手にとり口にする。あうんの呼吸で、これがテンポよくくり返されていたと想像します。主人は江戸っ子ですから、舌の切れ味がよい。浅草橋で売っている佃煮のような塩っ辛い味に親しんでいるからでしょう。夕立ちも、小言 も、にぎる手ぎわもそれぞれみな短くて、これもこの句が小気味よい理由です。なお、「夕立ちや」で切ることで、外界との遮断を表して、主人と客との距離がはっきりしてきます。(小笠原高志)


July 2472016

 夕立を写生している子供かな

                           清水哲男

情があります。子供は、夕立を選んで写生しているのか。それとも、写生をしていたら天気が急変したのか。いずれにしても、子供は夕立を写生し続けています。この時、降る雨つぶはどのように描かれているのでしょう。その目の先には、いつもと違う街の質感があります。雨つぶに打たれている舗道の影はゆらいでいて、樹は濡れて黒く、雨に洗われた葉は鮮明です。いつもの街が、初めての街に見えてくる。絵筆を握っていた手は、いつしか情景を前にして止まっています。同じ色はなく、同じ形はなく、同じくり返しはない。夕立は、子供を急速に成長させている。もしかしたら、これは、うつろいつづける自然と事象を肉眼で受けとめてきた清水さんの自画像なのかもしれません。『打つや太鼓』(2003)所収。(小笠原高志)




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