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August 0181997

 八月の炉あり祭のもの煮ゆる

                           木村蕪城

とより、普段だったら真夏に炉を使うことはない。でも、今日はお祭りだ。来客の予定もある。竈での煮炊きだけでは間に合わないので、朝から炉を開き、自在鉤に鍋を吊るしてコトコトと煮物をしている。うまそうな、いい匂い……。忙しくもまた楽しい祭りの日の楽屋裏である。などと、男は呑気に俳句などひねっていればよかったが、昔の女衆は大変だった。(清水哲男)


August 0182003

 礁打つ浪に八月傷むかな

                           秋元不死男

語「八月」は初旬に立秋がある(今年は8日)ので、秋季に分類される。夏から秋にかわる月だ。暑い日が多いとはいえ、中旬ころになると、朝夕にはそこはかとなく秋の気配が感じられるようになる。海の変化はもっと明瞭で、太平洋岸の土用波は言うまでもなく、だんだんと立つ波も荒くなり、海水浴客もめっきりと減ってしまう。作者は岩礁に打ち寄せるそんな荒い「浪」を見ながら、季節が衰微していく気配を色濃く感じている。その気配を「八月傷(いた)む」と言い止めたところが見事だ。季節の活力がピークに達して、それが徐々に傷んでいく宿命は自然全般のものであり、もとより我ら人間とても例外ではありえない。この句を読んだときに、去り行く青春への挽歌と感じた読者も少なくないだろう。詠まれている情景自体は荒々しいが、「八月傷む」と情景が転位され抽象化されたときに、ふっと読者の胸をよぎるのは優しくも甘酸っぱい感傷のはずだからである。ところで、句の「礁」はどう発音すればよいのだろうか。辞書通りに素直に「しょう」と音読みしておいてもよいのだろうが、句としてのリズム感がよろしくない。私としては「巖根(いわね)」か「巖(いわお)」と発音したいところだ。ただ「巖根」や「巖」の文字面だと山を連想させるので、作者はあえて海を意識させる「礁」の漢字を当てたのではないかと、勝手に想像してのことである。平井照敏編『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)

[ ありがとうございます ] 数人の読者から「礁」は「いくり」と読むのではないかとのメールをいただきました。意味は、石。海中の岩。暗礁。古事記下「由良の門(と)の門中(となか)のいくりに」[広辞苑第五版]。古語ですか、どうなんでしょうか、うーむ。


August 2682003

 八月のある日がらんと山の駅

                           勝又星津女

山客であれほどにぎやかだった「山の駅」が、「ある日」突然嘘のように「がらんと」静かになる。ちょうど、いまごろの時期だろう。作者は地元の人のようだから、例年のことで慣れてはいるものの、やはり一抹の寂寥感がわいてくる。「がらんと」は駅の様子であるとともに、作者の心のそれでもある。「八月」も間もなく終わり、学校ではもうすぐ二学期。熱気の引いたこの山里の人々に、いつもの地味な日常が戻ってくるのだ。そして、これからの山の季節の移ろいは早い。さりげないスケッチ句だが、なかなかの余韻を残す佳句である。あやかって、本日の私の鑑賞も、以上で「がらんと」終わることにいたします。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 1882005

 八月や後戻りして止まる電車

                           吉田香津代

のJR福知山線の大事故以来,電車の停車駅でのオーバーランが俄にクローズアップされてきた。どこの管内ではオーバーランが一日に何度あったか、などと新聞に載る。運転者にすればオーバーランは仕事の失敗であり,それが給与の減額などに反映されるとなれば、失敗を挽回すべく無理をすることになり、結果としてもっと大きな失敗を犯すことにもつながっていく。私も事故はご免だけれど,しかしながら、オーバーランにあまりにも神経質になってカリカリするような世間もご免だ。効率一本槍の余裕の無さは,私たちの内面までをも浸食し、味気ない生活を再生産することに資するだけではないのか。掲句の作者は,カリカリしているだろうか、苛立っているだろうか。私には,逆に思われる。「八月や」の「や」は「八月なのだから、暑い季節なのだし」と、運転者を少しも責めてはいない。もっと言えば運転者にも意識は及んでいなくて、むしろ「電車」そのものを生き物のように捉えている。暑いからつい間違って行き過ぎることだってあるし、行き過ぎたらゆっくり「後戻り」すれば、それでよろしい。なにしろ、いまは八月なんだからね。と、ゆったりと構えて微笑しているのだと思う。掲句に触れて,私は高校時代に乗っていた東京の青梅線を思い出した。ちょっとしたオーバーランなどは、しょっちゅうだった。で、その都度,後戻りだ。後戻りした電車から降りるときに見ると,見事に所定の位置に止まっていた。それを見て,はじめて意識は運転者に向かい,バックしてきちんと止められるなんぞは凄いなと感心したりしてた思い出。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)


August 1982007

 八月をとどめるものとして画鋲

                           篠原俊博

から小学校の近くには、かならず小さな文房具屋があったものです。売っているのはもちろん勉強に使う物たち。鉛筆であり、消しゴムであり、帳面であり、画用紙であるわけです。小さな間口から急いで走りこみ、始業時刻に間に合うようにあわてて必要なものを買って走り出した日を思い出します。いつの頃からか、文房具はおしゃれな小物になり、時に気どった英語で呼ばれるようになり、派手な絵や柄が付くようになりました。掲句で扱われている「画鋲(がびょう)」という言葉は、濁音の多い音そのままに、今でも時代に取り残されたように使われています。けれど姿だけは、平らで金属そのままの愛想のないものから、最近は色の鮮やかなものが売られるようになりました。この句を読んですぐに思い浮かべたのは、壁にかかったカレンダーです。高層マンションの一室でしょうか。窓が大きく開けられ、さわやかな風が吹き込んでいます。風に揺れる海の絵を見つめる目は、窓の向こうの本物の海をも視野に入れているのかもしれません。12の月を綴じた暦の、もっとも明るく、外へこぼれだしそうなのが「八月」です。画鋲はここで、カレンダーを壁に留めているだけではないようです。八月にあった大切な出来事を、作者の「記憶」にしっかりと留める役割をも果たしています。指に力を込めて、決して忘れないように。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 2082007

 輪ゴム一山八月の校長室

                           横山香代子

者は教師だったから、このとき何かの用事で校長室に入ったのだろう。「八月」なので夏休み中であり、校長室の主は不在だ。その昔、私が中学生だった頃に一度か二度、校長室なる厳めしそうな部屋に呼ばれて入ったことがあるけれど、壁にかけられていた歴代校長の肖像写真(画)を除いては、何があったのかは覚えていない。緊張していたせいもあるのだろうが、校長室なんて部屋にはもともと特殊なものは置かれていないのが普通のようだ。職員室のような雑然とした趣はない。もちろん生徒の目と教師の目とでは、同じ校長室に入ったとしても見るところは異なるはずだが、掲句の「輪ゴム一山」となれば、誰だって不思議に思う。なぜ、校長の机の上に輪ゴムが、それも一山も置いてあるのだろうか。謎めいて写る。でも、この句はそうした謎に焦点を当てているわけではない。そうではなくて、夏休み中の学校全体の雰囲気を、校長室の輪ゴムの山からいわばパラフレーズしてみせているのだ。日常とは切れている時空間のありよう……。たまに会社に休日出勤しても、これに類したことを体験することがある。『人』(2007)所収。(清水哲男)


August 2682008

 八月のからだを深く折りにけり

                           武井清子

を二つに折り、頭を深く下げる身振りは、邪馬台国について書かれた『魏志倭人伝』のなかに既に記されているという長い歴史を持つ所作である。武器を持っていないことを証明することから生まれた西洋の握手には、触れ合うことによる親睦が色濃くあらわれるが、首を差し出すというお辞儀には一歩離れた距離があり、そこに相手への敬意や配慮などが込められているのだろう。掲句では「深く」のひとことが、単なる挨拶から切り離され、そのかたちが祈りにも見え、痛みに耐える姿にも見え、切なく心に迫る。引き続く残暑とともに息づく八月が他の月と大きく異なる点は、なんとしても敗戦した日が重なることにあるだろう。さらにはお盆なども引き連れ、生者と死者をたぐり寄せるように集めてくる。掲句はそれらをじゅうぶんに意識し、咀嚼し、尊び、八月が象徴するあらゆるものに繊細に反応する。〈かなかなや草のおほへる忘れ水〉〈こんなふうに咲きたいのだらうか菊よ〉〈兎抱く心にかたちあるごとく〉『風の忘るる』(2008)所収。(土肥あき子)


October 10102009

 秋晴や攀ぢ登られて木の気分

                           関田実香

前は体育の日であった十月十日。東京オリンピックの開会式を記念して定められたこの日に結婚した知人の体育教師は、ハッピーマンデー制度で体育の日が毎年変わることになり困惑していたが、月曜に国民の休日がかたよるのもまことに一長一短だ。十月十日は晴の特異日とも言われているが、確かに十月の秋晴の空は、高くて深い。掲出句、よじ登られているのは母であり、よじ登っているのは我が子。〈八月の母に纏はる子は惑星〉と〈秋燈を旨さうに食む赤子かな〉にはさまれているといえばよりはっきりするが、一句だけ読んでも見えるだろう。吸い込まれるような青さに向かって、母のあちこちを掴みながら、その小さい手を空に向かって伸ばす我が子と絡まりながら、ふと木の気分だという。母とは、木のように大地に根を張った存在だ、などというのではなく、まさにそんな気分になったのだ。ただ可愛くてしかたないというだけでない句、作者の天性の感受性の豊かさが、母となってさらに、よい意味でゆとりある個性的な詩を生んでいると感じた。「俳句」(2009年8月号)所載。(今井肖子)


August 2482010

 八月のしずかな朝の出来事よ

                           鳴戸奈菜

本人にとって8月の持つ背景は深く重い。上五に置かれた「八月」の文字は、次の言葉を待つわずかな間にも胸を騒がせ、しくと痛ませる効果を持ってしまう。先の戦争がことに大きな影を落していることは確かだが、そこにとらわれ、身動きできなくなっているのではないかと、世界の8月の出来事を見渡してみた。すると、西暦79年の本日、ポンペイでは朝から不気味な地鳴りが続き、昼頃ヴェスヴィオ火山の大噴火によって消滅した日であった。この時節が持つやりきれなさと屈託は、もしかしたら全人類、世界的に共通しているのかもしれない。作品は〈山笑うきっと大きな喉仏〉〈あのおんな大の苦手と青大将〉の持ち前の明るくユニークな作品にはさまれ、饒舌のなかにおかれた静寂の一点でもあるように、ゆるぎない光りを放っている。俳誌「らん」(2010年・季刊「らん」創刊50号記念特別号)所載。(土肥あき子)


June 1462011

 眺めよき死地から死地へ青嵐

                           宇多喜代子

地とは戦場かもしれず、また天災によって傷つけられた土地かもしれない。「眺めよき」とは甚だ物騒な表現だが、一切が空(くう)となった地をどのように表現しようかという苦悩が作者のなかにはあったはずだ。その思いが胸に巣食ったまま、本書のあとがきにたどりつけば、そこには「振り返れば一句の背後、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇えってきます」と書かれていた。そこであらためて掲句を振り返れば、書かれては消された幾百の文字が、作者の祈りとなって渦巻きながらにじみ出ているように思えてきた。今はここに残された17音に、ただただ目を凝らし、人間と自然の姿に思いを馳せる。〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉〈かぶとむし地球を損なわずに歩く〉『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0182011

 うなだれて八月がくる広島に

                           小山一人静

名を擬人化した句はめずらしいのではなかろうか。今年もまた「八月」がやってきた。うなだれて「広島」に来たのは、むろんこの月が原爆投下日を含んでいるからだ。原爆さえ落とされていなかったなら、広島の八月の表情はずいぶんと変わっていただろうに。「うなだれて」いると感じるのは、もとより作者自身の気持ちがそうだからなのだが、これを「八月」自身の気持ちとして捉えてみると、被爆という現実が個人の思いをはるかに超えたところに定着していることがわかる。否応なく、八月は被爆の無残を告げ、人間の無力感を増幅させる。もうあんなことは忘れたいのにと思っても、八月がそれを許さない。「うなだれ」ながらも、告げるべきことは告げなければと、八月は今年も巡ってきたのだ。来年からの「福島」にも「三月」は同じようにうなだれてやってくるのだろう。未来永劫、これら「八月」や「三月」が颯爽とした顔つきでやってくることはあるまい。私たち人間は、いつまで愚かでありつづけるのか。『未来図歳時記』(2009)所収。(清水哲男)


August 0982011

 八月の赤子はいまも宙を蹴る

                           宇多喜代子

1945年の本日午前11時2分、長崎市に原爆が投下された。その瞬間赤子は永遠に赤子のまま、時間は凍りついた。掲句の赤子が象徴しているものは、日常が寸断された世界である。笑おうとした顔、なにげなく見あげた時計、蝉の背に慎重にかざす捕虫網。普段通りの仕草の途中で、唐突に命がなくなってしまったとき、その先に続くはずだった動作は一体どこへ行ってしまうのだろう。彼らは、永遠に笑い、時計を見やり、蝉を捕り続けているのではないのか。その途方に暮れた魂を思うとき、わたしたちは今も頭を垂れ、醜い過ちを思い、静かに祈るしかないのだろう。『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


August 2182011

 黒板負ふごと八月の駅の夜空

                           友岡子郷

板を負ふ、という強いイメージに喩えられているのは、なんともありふれた夜空です。「八月の駅の」なんて、ずいぶん個性のない言葉たちです。でも、そうしたのは作者の意図するところなのです。あってもなくてもいいような言葉が、こんなに短い表現形式の中にも必要になるなんて、驚きです。たとえ17文字とはいえ、全部の言葉が強く自己主張を始めたら、句が暑苦しくなるばかりです。「黒板を負ふ」だけで、もう充分イメージが読者に与えられているわけですから、あとはこのイメージの邪魔をしないようにしなければなりません。暑い日の仕事帰りに、ふと駅の上空を見上げれば、人生の、何か重要なメッセージが空に書かれていたように一瞬思われ、でも目を凝らしてみれば、黒板消しを持った大きな手が上空に振られ、あとはもう何も見えません。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社)所載。(松下育男)


August 2882012

 八月のしばらく飛んでない箒

                           森田智子

ょうど今頃の空を「ゆきあいの空」と呼ぶという。広辞苑によると「夏秋の暑気・涼気の行き合う空」と出ている。古今和歌集に〈夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風や吹くらむ〉があり、残暑と秋が幾層にも混じり合った空気が感じられる。4月30日から5月1日にかけて、魔女たちが集まるといわれるワルプルギスの夜も、北欧の長い冬から夏への変わり目を祝うものだ。作者はいつものように庭箒を使いながら、どことなく使い心地の違う箒に、魔女の笑いを浮かべて、八月のおそらく美しい夕焼けの空を見あげている。民間伝承によると、魔女が空を飛ぶ道具として箒のほかにも熊手、シャベルなど、いずれも柄のついたものにまたがる図もあるというが、もっともシルエットが美しく、スピード感が出る箒が定着したのだといわれている。それにしても、ドラキュラが小さな蝙蝠となってこそこそ飛ぶ姿と比べ、箒でゆうゆうと滑空する魔女たちのなんと堂々としたものか。今夜あたり、飛びたい箒たちがあちらこちらでうずうずとしているのかもしれない。〈台風の一夜をともに鳥獣〉〈飛行機の中の空気や天高し〉『定景』(2012)所収。(土肥あき子)


August 0782013

 あくせく生きて八月われら爆死せり

                           高島 茂

和二十年の昨日、広島市に原爆が投下され、三日後の九日に長崎市に原爆が投下されたことは、改めて言うまでもない。つづく十五日は敗戦日である。二つの原爆忌と敗戦忌が日本の八月には集中している。掲句の「八月」とはそれらを意味していて、二つの「爆死」のみならず、さらに広く太平洋戦争での「戦死」もそこにこめられているだろう。二つの「原爆」の深い傷は今もって癒えることはない。三・一一以降セシウムの脅威はふくらむばかりである。それどころか、今まさに「安全よりお金を優先させる」という、愚かしい政治と企業の論理が白昼堂々とまかり通っている。「あくせく生き」た結果がこのザマなのであり、「爆死」の脅威のなかで、フクシマのみならずニッポンじゅうの市民が、闇のなかを右往左往させられている。そのことをあっさり過去形にしてしまう権利は誰にもない。戦中戦後を「あくせく生き」た市民たちにとって、死を逃がれたとはいえ「爆死」状態に近い日々だったということ。茂は新宿西口の焼鳥屋「ぼるが」の主人だった。私も若いころ足繁くかよった。ボリウムのあるうまい焼鳥だった。主人と口をきくほど親しくはなかったが、俳人であることは知っていた。壁に蔦がからんだ馴染みの古い建物そのままに営業していることを近年知って驚き、私は一句「秋風やむかしぼるがといふ酒場」と作った。かつて草田男や波郷もかよったという。文学・芸術関係の客が多く独特の雰囲気があった。茂の句は他に「ギター弾くも聴くも店員終戦日」がある。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)




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