July 2971997

 そのことはきのうのように夏みかん

                           坪内稔典

蜜柑は、気分を集中しないと食べられない。スナック菓子のように、簡単に口に運ぶわけにはいかない。したがって、つい先程の「そのこと」などは、あたかも昨日のことのように遠のいてしまう。「そのこと」とは何だろうか……。本来であれば、しばし当人の心に引っ掛かるはずのことどもであろうが、しかし、その中身は読者にゆだねられている。男女のことでもよいし、生活の中の不意のトラブルでもよい。稔典は俳句を指して、作者と読者の「新たな関係を創造する装置」だと言う。「どんなに厳密に書かれていても、俳句はついに一種の片言にすぎない」とも。だから読者としては、安んじて「そのこと」の中身を自由勝手に想像してよいのである。というよりも、この句の面白さは、作者のそうした俳句理論の露骨な実践的企みにある。『猫の木』所収。(清水哲男)




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