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July 1871997

 髪洗ふいま宙返りする途中

                           恩田侑布子

か楽しくなるような句はないかと、探すうちに発見した作品。なるほど、髪を洗う姿勢はこのようである。となると、床屋での仰向けの洗髪は、さしずめバック転の途中というべきか。人間の普通の仕種を違うシチュエーションに読み替えてみれば、他にもいろいろとできそうだ。作者はなかなか機智に富んだ人で、「鯉幟ストッキングはすぐ乾く」「いづこへも足を絡めず山眠る」なども面白い。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所収。(清水哲男)


April 2741998

 武者幟雨空墨をながすなり

                           中村秋晴

風に泳ぐ鯉幟は華麗で美しいが、このように雨空の下の幟(のぼり)も面白い。一天にわかにかきくもってきて、あたかも墨をながしたような空模様。そこで、鯉幟も作者も「来るなら来てみろ」という気構えになったというところか。黒バックの鯉幟には、どこか生々しい息づかいのようなものが感じられる。ここで、おさらいの意味も込めて「幟」の定義。「本来は五月人形に添える定紋付の幟のことをいい、鍾馗(しょうき)の絵などを描いた。これは内幟といって武者人形の傍に立てられている。俳句で一般に詠まれているのは外幟すなわち戸外に立てる幟で、古くは戦場に見られた旗指物様の幟を戸外に立てたらしいが、今はそうした幟は少なくなり、ほとんど鯉幟となっている」(新潮文庫・新改訂版『俳諧歳時記』1968)。子供だったころの我が家には、祖父が贈ってくれた武者人形はあったけれど、ついに鯉幟とは無縁のままできてしまった。(清水哲男)


May 0351998

 青葉がちに見ゆる小村の幟かな

                           夏目漱石

葉の山道にあって、作者は遠くにある小さな村を眺めている。青葉のかげから風にはためく幟も見えて、気分爽快だ。一目瞭然の句。……と言いたいところなのだが、実は私たち現代人にとっては厄介至極な句なのである。厄介なのは、この「幟」の正体がわからないことだ。私たちは単純に「鯉幟」と読んで、青葉とのコントラストを思い浮かべてしまうが、漱石がこの句を詠んだ明治期では「幟」は「鯉幟」とは限らなかった。東京あたりでは、子規が「定紋を染め鐘馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ」と嘆いたように「鯉幟」が風靡していたようだが、さあ句のような山間の小村となると、どちらだかわからない。たとえ今この句の舞台である小村がわかったとしても、幟の姿は永遠にわからないわけだ。が、とりあえず、明治以前の俳句や文物での「幟」を単純に「鯉幟」とイメージしないほうがよさそうである。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


May 0551999

 力ある風出てきたり鯉幟

                           矢島渚男

田峠の初期に「寄らで過ぐ港々の鯉のぼり」があって、これらの鯉幟は海風を受けているので、へんぽんと翻っている様子がよくうかがえる。が、内陸部の鯉幟は、なかなかこうはいかない。地方差もあるが、春の強風が途絶える時期が、ちょうど鯉幟をあげる時期だからだ。たいていの時間は、だらりとだらしなくぶら下がっていることが多い。そこで、あげた家ではいまかいまかと「力ある風」を期待することになる。その期待の風がようやく出てきたぞと、作者の気持ちが沸き立ったところだろう。シンプルにして、「力」強い仕上がりだ。鯉幟といえば、「甍の波と雲の波、重なる波の中空に」ではじまる子供の歌を思いだす。いきなり「甍(いらか)」と子供には難しい言葉があって、大人になるまで「いらか」ではなく「いなか」だと思っていた人も少なくない。「我が身に似よや男子(おのこご)と、高く泳ぐや鯉のぼり」と、歌は終わる。封建制との関連云々は別にしても、なんというシーチョー(おお、懐しい流行語よ)な文句だろう。ほとんどの時間は、ダラーンとしているくせに……。ひるがえって、鯉幟の俳句を見てもシーチョーな光景がほとんどで、掲句のように静から動への期待を描いた作品は珍しいのだ。俳句の鯉幟は今日も、みんな強気に高く泳いでいる。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


May 0552000

 鯉幟なき子ばかりが木に登る

                           殿村菟絲子

中行事は、否応なく貧富の差を露出するという側面を持つ。鯉幟は戸外での演出行事だから、とりわけて目立ってしまう。住宅事情から、現代の家庭では男の子がいても、鯉幟を持たないほうが普通になってきた。持ってはいても、ささやかなベランダ用のミニ版が多い。私が子供のころはまだ事情が違っていて、鯉幟のない家は、たいてい貧乏と相場が決まっていた。我が家にも、もちろんなかった。そういう家庭では、こどもの日だからといって、御馳走ひとつ出るわけじゃなし、学校が休みになるだけのこと(農繁期休暇とセットになっていたような……)で、普段と変わらぬ生活だった。そんな子供たちが、いつもと同じように木登りをして遊んでいる。遠くのほうで勇ましく鯉幟が泳いでいる様子が、見えているのだろう。いささかの憐愍の情も抱いてはいるが、しかし作者は、今日も元気に遊ぶ子供たちにこそ幸あれと、彼らの未来に思いを馳せている。句には、そうした優しいまなざしのありどころがにじみ出ている。優しくなければ、句作りなどできない。平井照敏編『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0352003

 鯉のぼり布の音立て裏日本

                           秋沢 猛

じめは、干してあるのかと思った。数年前のこと。この時期に近所を散歩していると、新築とおぼしき家の二階のベランダから屋根にかけて、とてつもなく大きな「鯉のぼり」が広げられていた。ちょうど、布団を干すときのような広げ方だったので干してあるのかと思ったのだが、そうではないことにすぐに気がついた。その家には、庭らしい庭がないのだった。以前の家では空を泳がせていたのが、越してきて不可能となり、仕方なく屋根に広げて祝うことにしたのだろう。そう勝手に推測して、なんだか切なくなってしまったことを覚えている。掲句の鯉幟は、むろん勢い良く空を泳いでいる。当たり前の話だが、やはりこうでなくては……。「布の音立て」が秀抜だ。言われてみればなるほど、「裏日本」の湿り気のある大気のなかでは、立てる音も乾燥した地方のものとは違うだろう。どこか布地のこすれるような音がするのだ。それがまた、裏日本特有の濃い緑の背景とあいまって、格別の風情を醸し出しているという句だ。ところで「裏日本」という言葉は、差別用語だという理由で、三十年ほど前くらいからマスコミでは使わなくなっている。私は「裏日本」育ちで、なんとも思わずに「裏日本」と使っていたけれど、どうなんだろう、やっぱり差別なのかしらん。「日本海側」と言い換えてすむ場合はよいとして、では、この佳句をいったいどうしてくれるんだ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 1222008

 翼なき鳥にも似たる椿かな

                           マブソン青眼

句の「翼なき鳥」という痛ましい姿に、デュマ・フィスの椿姫を重ねる読者は私だけではないだろう。『椿姫』は、社交界で「椿姫」とうたわれた美しい娼婦マルグリットと青年アルマンの悲恋の物語であるが、その名のゆえんは、ドレスの胸元に月の25日は白い椿、あと5日間を赤い椿を付けていたということからだった。この艶やかな描写に今でもはっと息をのむ。日本から西洋に渡った椿は、寒い季節でもつややかな葉や花を鑑賞することができることから「東洋のバラ」と呼ばれ、社交界ではこぞって椿の切り花を手にしていたといわれる。情熱の花として愛されているヨーロッパの椿に引きかえ、日本では美しくもあるが花ごと落ちることで不吉な側面も持っており、掲句が持つ印象は更に陰翳を濃くする。椿の樹下はまるで寿命の尽きた鳥たちの墓場でもあるように。〈鯉幟おろして雲の重みかな〉〈ああ地球から見た空は青かった〉『渡り鳥日記』(2008)所収。(土肥あき子)


May 0152013

 砂けむる大都の空の鯉のぼり

                           田村泰次郎

の時季列車の窓から、その土地その土地でのんびり空高く泳いでいる鯉のぼりを眺めるのは心地良い。思わず見とれてしまう。土地によって景色もそれぞれ違うわけだから、窓辺でのどを潤すビールも一段とおいしく、うれしいものに感じられる。都会で隣接した家の鯉のぼりを、四六時中見せつけられるのはあまりありがたくはないし、うれしい気持ちはいつまでもつづくものではない。掲句は中国からの黄砂とは限らないけれど、舞いあがる砂けむりのなかで、大きな口をあけて泳ぐ鯉のぼりは哀れである。(「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し、口先だけで中はからっぽ」→関係ないか。)しかも大都だから、当時のこととはいえ背景は初夏の緑というより、ビルの林立する都会の味気ない背景が想像される。今や、大都はコンクリートで固められてしまって、砂けむりもそんなに舞いあがらない。そういう空で泳ぐ鯉のぼりこそ哀れか? 初夏の空で果敢に泳いでいる鯉のぼりに、泰次郎は眼を細め、改めて大都にもめぐってきた季節をとらえている。今や、♪ビルより低い鯉のぼり……である。泰次郎の他の句に「たちまちにひらいてゐたり夜の薔薇」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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