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July 0871997

 米足らで 粥に切りこむ 南瓜かな

                           森 鴎外

が乏しいので、南瓜を多めに入れた粥を炊いた。茶碗によそってみると、南瓜が粥に切りこむような存在感を示している。明治の作品だが、戦後の食料不足を知る私などには、身につまされる句だ。南瓜ばかり食べていて、我が家ではみんな黄色い顔をしていた。それにしても、鴎外(「鴎」は略字)に俳句があるとは驚きだった。飯島耕一の『日本のベル・エポック』ではじめて知った。飯島さんに言わせれば「鴎外の句は、いかにも抒情詩的俳句で、どうやら句としての味にも深みに欠けるし、漱石には色濃くあった滑稽味もまったくない」と散々である。『うた日記』所収。(清水哲男)


July 1772000

 朝の僧南瓜の蔓を叱りをり

                           大串 章

だ涼しさのある夏の朝の情景。まずは、作者の弁から。「南瓜の蔓(つる)は縦横無尽に這いまわる。垣根に這いあがり、道に這い出る。甚平姿の僧が暴れん坊の南瓜を叱っている」。寅さん映画に出てきたお坊さん(笠智衆)みたいだ。謹厳実直な僧侶なるがゆえに、ユーモラスに見えてしまう。まったくもって南瓜は元気な植物で、どんなにしいたげられても、自己主張をつづけてやまない。くじけない。蔓も葉っぱも暑苦しい姿で、掲句には「さあ、今日も暑くなるぞ」という気分が込められている。この元気がかわれて、敗戦前後の食料難の時代には、庭の片隅はおろか屋根の上にいたるまでが南瓜だらけになった。来る日も来る日も南瓜ばかり食べていたので、我が家族はみんな顔が黄色くなった記憶もある。そんなわけで、私の世代以上にはいまだに南瓜嫌いが多い。つい近年まで、日本料理屋でもそんな風潮を考慮して、無神経にも南瓜を添えるような店は少なかった。ところが、いまでは大手を振って南瓜が出てくる。ある店で聞いてみたところ、板前の世代交代によるものだと聞かされた。当時のことなど何も知らないので、色彩の鮮やかさから、南瓜をむしろ珍重しているのだという。なあるほど。それでは、叱るわけにもいかない。『大串章集』(1986・俳人協会)所収。(清水哲男)


August 0882003

 師の芋に服さぬ弟子の南瓜かな

                           平川へき

語は「芋」と「南瓜」で、いずれも秋。ああ言えばこう言う。師の言うことに、ことごとく反抗する弟子である。始末に終えない。私も、高校時代にはそんな気持ちの強い生徒だったと思う。『枕草子』を読む時間に解釈を当てられ、我ながら上手にできたと思ったのだが、今度は文法的な逐語訳を求められた。勉強してないのだから、わかりっこない。が、私は言い張った。「古文でも現代文でも、意味がわかればそれでいいんじゃないですか。第一、清少納言が文法を意識して書いたはずもありませんしね」。まったく、イヤ〜な生徒だ。先生、申し訳ありませんでした。そんなふうだったので、二十代でこの句をはじめて読んだときには、とてもこそばゆい感じがしたのだった。ところで、作者は「ホトトギス」の熱心な投句者だったというが、虚子はこの人に辟易させられていたようだ。というのも、この人は一題二十句以下という投稿規定があるにもかかわらず、いろいろと見え透いた変名を使っては百句以上も投稿してきた。それも「ことにその句は随分の出鱈目で作者自身が慎重な態度で自選をさへすればその中から二十句だけ選んで、他はうつちやつてしまつても差支えないものであると分つた時には、いよいよ選者の煩労を察しない態度を不愉快に思ふのであつた」。その人にして、この句あり。にやりとさせられるではないか。虚子は一度だけ、秋田の句会で平川へきに会っている。「あまり年のいかないやりつ放しの人」と想像していたところ、なんと「端座して儀容を崩さない年長者」なのであった。高浜虚子『進むべき俳句の道』(1959・角川文庫)所載。(清水哲男)


October 08102005

 通帳にらんで女動かぬ道の端

                           きむらけんじ

季句。この「女」のひとにはまことに失礼ながら、思わず吹き出しそうになってしまった。たったいましがた、銀行で記入してきたばかりの「通帳」なのだろう。記入したときにちらりと目を走らせた数字があまりに気になって、家まで見ないでおくことに我慢ができず、ついに「道の端」で開いてしまった。むろん、残高は予想外の少なさである。どうして、こんなに少ないのか。何度も明細を確かめるべく、彼女は身じろぎもしない。不動のまま「にらんで」いる。世の中には、本人が真剣であればあるほど、他者には可笑しく思われることがある。これも、その一つだ。道端で通帳をにらむという、そうザラにはない図を見逃さなかった作者のセンスが良く生きている。掲句はたまたま五七五の定型に近いが、作者は自由律俳句の人だ。第一回「尾崎放哉賞」受賞。「煙突は立つほかなくて台風が来ている」「職の無い日をスタスタ歩く」「妻よ南瓜はこの世に必要なのか」など。いずれも、ユーモアとペーソスの味が効いている。ところで「自由律俳句」についてだが、放哉や山頭火などの流れのなかの句は、たしかに伝統的な定型句とは異なる「律」で詠まれてはいる。けれども、こうした自由律にはまたそこに確固とした独自の定型的な「律」があるのであって、これを「自由な律」と称するのは如何なものかと思う。何か他に、適当な呼称を発明する必要がありそうだ。『鳩を蹴る』(2005)所収。(清水哲男)


March 0332009

 雛の間につづく廊下もにぎはへる

                           原 霞

が家は地方の新興住宅地にあったので、そこらじゅうに同世代の女の子が住んでいて、二月に入ると月曜日の登校時は「きのう出した」「うちも出した」とにぎやかに雛人形のお出ましを報告し、「学校が終わったら見に行くね」と約束し合うのだった。のんびり屋の母に「みんなもう出したんだってー」とせっつき、「うちはうち」などと言われていたのも懐かしいやりとりだ。それにしても、これほど居場所を選ぶ人形もないだろう。なにしろ和室でないとさまにならない。そして何段飾りともなると、雛壇に使用する場所だけでなく、一体ずつ収まっている人形を箱から出すためのスペースが必要であり、あれがないこれがないと作業エリアは果てしなく広がっていく。これはこっちの部屋に移して、これは一時廊下に出しておいて、などと算段するのも母と娘の楽しみの一つだった。かくして雛の間ができあがり、友人たちの雛詣を待つ。女の子たちの笑い声に続き、軽やかな足音が雛の間へと吸い込まれていくのは、きらきら光る動線のようだったことだろう。雛人形を飾らなくなって久しいが、毎年三月三日になると、あちらこちらのお宅のなかで華やかな光りの筋が行き交っていることを思い、ちょっぴりわくわくするのだった。〈山おぼろ湯をすべらせて立ち上がる〉〈包丁が南瓜の中で動かない〉『翼を買ひに』(2008)所収。(土肥あき子)


October 31102015

 あぐらゐのかぼちやと我も一箇かな

                           三橋敏雄

んと置かれている、と形容するにふさわしいものの一つが南瓜だろう。大ぶりで座りがよくごつごつ丸い。確かにその姿は、胡坐をかいているような安定感がある。目の前に置かれてある南瓜の前で作者も胡坐をかいていて、その空間には南瓜と二人きり。じっと見ているうちになんとなく、ここに在るのは南瓜その他計二個、という気分になってくる。それは自虐とまでは言えない少し笑ってしまうような微妙な感覚だ。そんな気持ちにさせてくれる物は、よく考えると南瓜以外に無いかもしれない。個と箇は、意味その他大差は無いが、人偏より竹冠の方が一層モノ感が増す。この時期、ハロウイーン騒ぎで世の中に南瓜が蔓延していて、南瓜嫌いとしては辟易している。本日まさにその万聖節の前夜祭らしいが、歳時記の南瓜の項を読んで掲出句に出会えたのがせめてもの幸せだ。『新日本大歳時記 秋』(講談社・1999)所載。(今井肖子)




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