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June 2361997

 短夜や壁にペイネの恋かけて

                           上田日差子

春俳句の傑作。「恋かけて」という言い回しが、とても新鮮だ。短夜(みじかよ)を恨みたくなるほどに、青春の時は過ぎやすい。比べて、レイモン・ペイネの描いた恋人たちの永遠性はどうだろう。見れば見るほど、羨望の念がつのってくる。と同時に、みずからの恋する心が満たされる日のことも画像に重なってくるのだから、またしても壁のペイネを見やってしまうのである。いいですね、この乙女心は。技巧を感じさせない句の素直さで、なおさらに。(清水哲男)


June 0561998

 ゆくりなく途切れし眠り明易し

                           深谷雄大

くりなくも旧友に出会った。……などと、普通「ゆくりなく」は「思いがけなく」といったような意味で使われる。「ふと」などより心情的色彩が濃い言葉だ。したがって、夢が「ゆくりなく」も途切れることはあっても、自然体の眠りについての言葉としてはそぐわない。眠りそのものには、眠っている人の意志や心が関与していないからだ。人は毎朝思いがけず目覚めているのではなくて、自らの心のありようとは無関係に起きているはずである。そのことを承知で、作者は自然に目覚めたのにも関わらず、眠りが「ゆくりなく」も早めに中断されたとボヤいている。理不尽と捉えている。ここが面白い。などと呑気に書いている私も、実はこのところよく思いがけない(ような)目覚めに出会う羽目になってきた。ひとえに年齢のせいだと思っているのだが、夜明け前直前くらいに目覚めてしまい、後はどうあがいても眠れなくなってしまうのだ。こいつは、かなり苦しいことである。老人の早起き。あれはみな、本人にとっては睡眠の強制執行停止状態なのだろう。となれば、老人の眠りに限っては「ゆくりなく」の使用がノーマルに思えてくる。「俳句界」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


May 1552001

 明易し姉のくらしも略わかり

                           京極杞陽

さしぶりに「姉」と、つもる話をした。あれやこれやととりとめもない話をしているうちに、いつしか夜がしらじらと明けそめてきた。午前四時過ぎだ。「ああ、もうこんな時間……」と、弟は姉を寝所へとうながしたところだろう。姉の暮らしぶりが、どうなのか。日頃から気になってはいたのだけれど、ちらりと接したときに単刀直入に聞ける話ではない。姉の暮らしを聞くことは、つまりは彼女の連れ合いの状況を聞くことになるからだ。いかな血をわけた姉弟といえ、いや、だからこそ、なかなか踏み込めない領域である。この場合のようにじっくりと話す機会が訪れても、問わず語りのようにしてようやく、なんとなくわかった(「略わかり」)ということだろう。なんとなくわかった姉の生活に、作者はひとまずホッとしている。そんな微妙な安堵感が、句からにじみ出ている。本当は、もう少し聞きたかった。「明易し(あけやすし)」には、そうした残念の気持ちも含まれていようが、しかし、いくら聞いてもキリがないにはちがいない。潮時の気持ちもあって、作者は明るくなってきた窓を見つめながら、自分に多少とも安堵の念があることを確認して安堵している。杞陽は関東大震災で、この姉を除いて家族全員と死別した人だ。なまじな「姉思い」ではないはずだが、しかし互いに世間の人となった以上は、姉弟の話もかくのごとくに厄介であり、すなわち大人になるとはこういうことを言うのでもある。『但馬住』(1961)所収。(清水哲男)


May 2352002

 明易き絶滅鳥類図鑑かな

                           矢島渚男

オオウミガラス
語は「明易し(あけやすし)」で夏。これから夏至にむかって、どんどん夜明けが早くなっていく。伴って、鳥たちの目覚めも早く、住宅街のわが家の周辺でも、最近では五時前くらいから鳴くようになった。カラスがいちばん早く、あとから名前も知らない鳥たちが鳴き交わすので、鳴き声に起こされることもある。作者は、長野県丸子町在住。私などのところよりも、よほど多くの鳴き声が聞こえるだろう。さて、そんな鳥たちに早起きさせられた作者は『絶滅鳥類図鑑』を見ているのだが、鳥の鳴き声を聞いたので図鑑を手にしたわけではないだろう。むしろ、昨夜寝る前にめくっていた図鑑が、そのまま机上に残されていたと解釈しておきたい。就寝前に、絶滅した鳥たちの運命に思いをめぐらした余韻がまだ残っているなかで、現実に生きている鳥たちの元気な鳴き声と出会い、複雑な感慨にとらわれているのだ。あらためて図鑑の表紙を凝視している作者には、昨夜はむしろ絶滅した鳥たちのほうが近しかった。それが寝覚めの半覚醒状態のなかで、徐々に現実に引き戻されていく過程を書いた句だと読める。引用した図は、19世紀イギリスの剥製師ジョン・グールドが描いた「オオウミガラス」。北大西洋に住んでいた海鳥だが、人間が食べ尽くして絶滅したという。『梟のうた』(1995・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


June 0362002

 短夜や拗ねし女に投げし匙

                           中村哮夫

語は「短夜」で夏。作者はミュージカルの演出家だから、稽古の情景だろう。厳しい注文を付けているうちに、女優が臍を曲げてしまった。女性が「拗(す)ね」ると、たいていは黙りこくってしまい、手に負えなくなる。なだめすかしてみても、だんまりを決め込んで、テコでも動かない。幕を開ける日まであとわずかしかないというのにと、作者は苛々している。ましてや、夜も短い。いたずらに無駄な時間が過ぎてゆくばかり。そこで、ついに「投げし匙(さじ)」となった。どうとも勝手にしろ。怒りが爆発した。その場に「匙」があったら、本当にぶつけかねないほどの苛立ちだ。といっても、むろん即吟であるはずはなく、そういうこともありきと懐かしく回想しているので、中身に救いがある。それにしても、この匙は奇妙なほどに生々しい。たぶん、それは私が男だからだろう。思い当たる匙の一本だからである。稽古中に物を投げるといえば、若き日の(今でも、かな)蜷川幸雄の灰皿投げが有名だ。本当に投げたのかと、ご当人に聞いてみたことがある。「野球で鍛えたからね、コントロールには自信があった」。つまり、投げたのは事実だが、ちゃんと正確に的を外して投げたということ。口直しに(笑)、同じ作者の上機嫌な句を。「夏空やいでたち白き松たか子」。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)


June 2762004

 今さらに吉川英治明易し

                           大谷朱門

語は「明易し(あけやすし)」で夏、「短夜」に分類。国民的作家というにふさわしい小説家といえば、現代では司馬遼太郎、その前では吉川英治だろう。文学的評価はまちまちだが、読んだことがなくても、たいていの人が名前くらいは知っているという意味では、疑いなく国民的だった。吉川英治が、どんなに偉かったか。それを私は、中学時代の社会科見学で教えられた。級友の兄貴が勤めていた縁で、青梅市(東京)の精興舎という印刷会社に出かけた。精興舎は、岩波文庫を多数手がけていた有名印刷所だ。今でも、あるのかしらん。案内の人が、ひとしきり印刷の仕組みや工程を説明してから、最後にこう言ったのである。「私たちの会社では、諸先生がたの原稿をとても大事にしています。たとえぱ皆さんもお名前を良く知っている小説家、吉川英治先生。先生の原稿を一字一句正しく印刷するのはもちろんですが、たとえ明らかに間違っている文字が書かれていても、その間違った文字を特別にその通りにきちんと作って印刷しているのです」。「へーえ」と私は驚き、「吉川英治って、たいしたもんなんだなあ」と大いに感心した。それほどに偉いというかポピュラーな作家だったから、読書好きの人ならば一冊や二冊は持っていただろう。作者はおそらく気まぐれに古い吉川英治を「今さら」と思いつつも読みはじめたところ、つい引き込まれてしまい、気がついたら白々と明け初めてきたのである。苦笑しながらも「今さら」のように本の表紙を眺め直し、かつての吉川英治への思いを新たにしたことだろう。句に誘われて、吉川英治が読みたくなった。家の中を探してみたが、文庫本で持っていたはずの『新平家物語』は見つからず、かろうじて少年向きの名作『神州天馬侠』だけがあった。ま、これでもいいか。『接吻』(2001)所収。(清水哲男)


July 0872004

 明易き人生ああ土根性は

                           小川双々子

語は「明易し」で夏、「短夜」に分類。夏の夜が明け易いように、人生もまた明け易い。光陰矢の如し。時間ばかりが、どんどん過ぎてゆく人生……。夏の早暁に目覚めた作者の実感的連想だろう。人生に欠かせないキーワードはいろいろあるが、あえていまどき流行らない「土根性(どこんじょう)」を持ちだしたところが面白い。戦後の日本人総体のありようを振り返ってみれば、なんだかんだと言ったって、この「土根性」という曖昧な精神力でがむしゃらに驀進してきたような気がする。猛烈サラリーマン、それが飛び火したスポ根ものの隆盛。そんな時代が、確かにあった。このときに句の「ああ」という詠嘆は、複雑だ。土根性いま何処でもあれば、いまこそその残り火を掻き立てよ、でもある。そしてまた「ああ」には、早暁の夢の醒めぎわで、「土根性」などという自分でもびっくりするような、思いがけない言葉が出てきてしまったことへの苦笑も含まれているだろう。妙なことを言うようだが、この句を目覚めのときに思い出すと、けっこう床離れがよくなる。「明易き人生」で意識は静かに覚醒してくるが、次の「ああ」以降を復唱するととても寝てはいられない気持ちになってくる。跳ね起きてしまう。一瞬、忘れていた(土)根性がよみがえり、わけもない焦燥感にかられるからだろうか。お試しあれ。俳誌「地表」(第434号・2004年5月刊)所載。(清水哲男)


May 0852005

 旧姓で呼ばるる目覚め明易き

                           宮城雅子

語は「明易(あけやす)し」で夏、「短夜(みじかよ)」に分類。夜明けが早くなってきた。最近では、4時を少し過ぎると明るくなってくるので、早起きにはありがたい。そんなある朝、作者は「旧姓」で呼ばれて目が覚めた。夢の中で呼ばれたとも取れるが、私は現実に呼ばれたと取った。一泊のクラス会か何かで、この日は早立ちだったのだろう。そろそろ起きなければと呼びかけた人は、昔の友人だから、何のためらいもなく自然に旧姓で声をかけたのだ。が、呼びかけられたほうは、眠さも手伝って、一瞬意識が混乱したにちがいない。既に夜がしらじらと明け初めているなかで、だんだん覚醒してくると、そこにはかつての友人の微笑を浮かべた顔があった。時間の歯車が懐かしい少女時代に戻してくれたような気がして、まだ眠さは残っているものの、まったく不快ではない。結婚によって、姓が変わった女性ならではの世界だ。したがって、多くの男には体験できないわけだが、急に旧姓で呼びかけられると、どんな気持ちがするものなのだろうか。男だと、それこそクラス会で、いきなり昔のあだ名で呼ばれたりすることがあるけれど、ちょっとあれに似ているのかもしれない。似てはいるのだろうが、しかしもっとインパクトは強そうだ。などと、あれこれ想像を膨らませてくれる一句だった。『薔薇園』(2004)所収。(清水哲男)


July 0872005

 明易や書架にむかしのでかめろん

                           伊藤白潮

語は「明易(あけやす)し」で夏、「短夜(みじかよ)」に分類。最近では午前4時を過ぎると、もう明るくなってくる。早起きの私などには好都合だが、もう少し遅くまで寝る習慣の人が、そんな時間に目覚めてしまうと、いつもの朝には見えなかったものが見えたりするものだろう。作者の場合も、おそらくそうである。目覚めたものの、まだ起き上がるのには早すぎる。かといって、もう一度寝直すというほどの時間でもない。どうしようかと思いながら、なんとなく部屋の隅の「書架」を眺めているうちに、昔買い求めた『でかめろん』の背表紙が目に入った。有名なボッカチオの『デカメロン』の翻訳書で、若い頃に読んだきりのまま、そこにそうして長い間さしてあったのだ。だから本当はいつでも目にしているわけだが、あまりにも長い年月にわたって同じ場所にあり取り出すこともなかった本は、もはや書籍というよりも書架の一部と化しているので、普段は意識することもない。それがたまたまの早朝の目覚めで、薄明かりの中に書籍としての存在感をもって出現したのである。当然に、読みふけった頃のあれこれがぼんやりと思い出され、「むかしのでかめろん」という柔らかな平仮名表記は、その思い出が多感な青春期の甘酸っぱさに傾いていることを暗に告げている。私も思わずもそうしたが、この句を読んで、あらためて自分の書架を眺めてみる人は多いだろう。誰にでもそれぞれに、それぞれの『でかめろん』があるはずである。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(清水哲男)


July 3072005

 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀

                           高浜虚子

語は「明易し」で夏、「短夜」に分類。虚子の句日記を見ると、晩年に至るまで実にたくさん各地での句会に出ている。才能の問題は置くとして、私だったら、まず体力が持たないほどの多さだ。このことは、虚子の句を読むうえで忘れてはならないポイントである。すなわち、虚子の句のほとんどは、そうした会合で、つまり人との交流のなかで詠まれ披露(披講)されてきたものだった。詩人や小説家のように、ひとり物言わず下俯いて書いたものではない。したがって、句はおのずから詠む環境からの影響を受け、あるいはその場所への挨拶や配慮などをも含むことになるわけだ。さらには、その場に集っている人々の職業や趣味志向などとも、微妙にからみあってくる。すなわち、詠み手はあくまで虚子ではあっても、俳句は詩や小説の筆者のような独立した個我の産物とは言えないわけだ。だから、そのあたりの事情を完全に見落としていた桑原武夫に文句をつけられたりしたのだけれども、極端に言うと俳句はその場の人々と環境との合作であると言ってもよいだろう。掲句は、寺に泊まり込んでの「稽古会」での作品だ。寺だから、それでなくとも朝は早くて一層の「明易や」なのであり、「南無阿弥陀」の念仏はつきものである。そのなかに、自分が頑強に主張してきた「花鳥諷詠」を放り込んでみると、面白いことになった。生真面目に取れば花鳥諷詠は崇高な念仏と同等になり、「なんまいだー」とおどけてみれば花鳥諷詠もしょぼんと気が抜けてしまう。披講の際に、この「南無阿弥陀」はどう発音されたのだろうか。常識的には後者であり、みんなはどっと笑ったにちがいない。その笑いで詠み手は大いに満足し、そこで俳句というものはいったん終わるのである。これが俳諧の妙なのであるからして、この欄での私のように、単にテキストだけを読んで句を云々することは、俳諧的にはさして意味があることではないと言えよう。『虚子五句集・下』(1996・岩波文庫)所載。(清水哲男)


October 18102006

 三井銀行の扉の秋風を衝いて出し

                           竹下しづの女

行員が詠んだ俳句はたくさんあるわけだろうが、名指しではっきりと銀行名を詠み込んだ大胆な俳句を、私は寡聞にして知らない。のっけから「三井銀行」とは、あっぱれ。いかにもしづの女(じょ)らしい。ちなみに同行は私盟会社として明治九年に創立されている。現・三井住友銀行。人は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな事情を抱えて銀行に出入りするわけだが、「衝いて出し」ときの秋風はさわやかで心地良かったのか、あるいは耐えられないものだったのか。しづの女のよく知られている句「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」とか、他の句にある「…ぶつかり来」「…ピアノ弾け」などの強い表現に敢えてこだわって類推すると、憤然と、あるいは昂然と銀行の頑丈な扉を押し開けて外へ出て、秋風に立ち向かって行くような勢いが感じられてならない。いや「扉の秋風」ゆえ、ここでは扉そのものがもはや秋風なのであり、外なる秋風への入口そのものなのだろう。川名大は、しづの女について「姉御肌の人柄で、知性と意力と熱情の溢れた力強い母性の行動力が特色」とコメントしている。杉田久女を含めて、こういう女性も「ホトトギス」に所属していたのだ。川名大『現代俳句・上』(2001)所載。(八木忠栄)


December 23122006

 装ひてしまひて風邪の顔ありぬ

                           田畑美穂女

邪は一年中ひくものだが、やはり風邪の季節といえば冬だろう。十二月になると、テレビでも毎年のように風邪薬のCMが目立ってくる。虚子に〈死ぬること風邪を引いてもいふ女〉という一句があるが、作者の田畑美穂女さんは、大阪の薬の町として名高い道修町(どしょうまち)の薬種商の家に生まれ、長く製薬会社の社長を務めた方である。風邪くらいで死ぬなどと言うのはもってのほか、仕事を休むこともせず朝からシャキッと着物を召し帯を締め終えて、さあ出かけようと鏡を見た。するとそこには、気持とはうらはらにぼんやりと風邪に覆われた顔が、正直に映っていたのだろう。装う、は身支度をすることだが、いつもより少し気の張った身支度だったのかもしれない。ああ、やっぱり風邪だわ、と思うとなにやら力が抜け、着付けた着物が急に重く感じられ、そのため息のような気持が、顔ありぬ、の下五に表れている。しかしそこで、その気持を一句にするところがまた、虚子門下の女傑、ユニークでおおらかと言われた所以であろう。ある句会の前、虚子に「昨晩、三句出句の句会で、四句先生の選に入った夢を見ました」と言い、虚子がその話を受けて、〈短夜や夢も現も同じこと〉という句を出したという逸話も残っており、その人柄句柄は多くの人を惹きつけた。『田畑美穂女句集』(1990)所収。(今井肖子)


April 1042007

 つぎつぎと嫁がせる馬鹿花吹雪

                           福井隆子

冷えが続いた陽気に、ずいぶん長持ちしたように思う今年の桜だが、花吹雪も一段落し、これからは桜蘂(さくらしべ)を降らす段に入った。桜は花を落としたのち、ひときわ紅く燃え立つように見えることがあるが、これは深紅に近い色彩の蘂があらわになるためだ。掲句に竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)」をふと重ねる。しづの女が母親入門の句であるなら、掲句は母親卒業の句である。しづの女は乳飲み子を前に母性から噴出する一瞬の狂気を描き、掲句は手塩にかけたわが子をあっさりと手放したあとの自嘲と諦観を詠んでいる。「馬鹿」と軽口めきながらも、そこには同時に健やかな巣立ちの喜びと誇らしさがあり、はらはらと散る桜の花びらが、長いお母さん業卒業の祝福の花吹雪にも見えてくる。母の強さはこの超然とした態度にあるのだと思う。元気でいてくれたらそれで結構、そんなおおらかな気分が母性の終点にはある。惜しみない時間を愛する子供に費やしたあとは、自分の時間をたくましく開拓していくのだ。まるで花吹雪のあとの桜が、一層力強く鮮やかな表情を見せるように。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)


July 1672009

 明易し小樽に船の名を読んで

                           ふけとしこ

樽駅の改札を抜けると広い坂下に青い海と港が見える。小樽はこじんまりしてどこか懐かしい雰囲気を持った街。伊藤整、小林多喜二、左川ちか、この地に育った文学者も多い。未知の土地を訪れ早く目覚めた朝、宿のまわりを散策するのは旅の楽しみの一つだ。夏暁のひやりとした空気の中をまだ人気のない運河沿いを歩いているのだろう。つれづれに停泊した船の横腹に書かれた名前を拾い読む。句を読み下せば「読んで」は「呼んで」にも通じ、船の名を読むと同時に呼び掛けているようなあたたかさを感じる。船の赤い喫水線に寄せては返す波、そしてかもめの声。船を起点として朝日にきらめく港の風景がよみがえってくる。いま時分の北海道はいちばん良い季節。夏の小樽のすがすがしい空気まで感じられるようだ。『インコに肩を』(2009)所収。(三宅やよい)


June 2862011

 明易し絵具の棚の青の段

                           天野小石

近なところでmacのカラーインデックスを開いてみた。パレットのクレヨンは48色が配され、青とおぼしき種類だけでも7種類が並ぶ。薄い方からスカイ、アイス、アクア、ターコイズ、ブルーベリー、オーシャン、ミッドナイト、こうして文字にするだけでも涼やかな風が運ばれてくるようだ。日本の伝統色の青みに至っては、瓶覗(かめのぞき)やら紅掛空色(べにかけそらいろ)など、涼感というより、その名の生い立ちに深く興味を覚える。おそらく作者も、青系の絵具の並ぶ棚を眺め、そのグラデーションの美しさに目を奪われたのはもちろん、それぞれに付いたゆかしい名の由来に思いを馳せつつ、仄とした明易(あけやす)の時間に身を置いているのだろう。暁から薄明、東雲、曙と深い闇から明るい瑠璃色へと移り変わる夜明けもまた、空の青の段を楽しめる時間である。『花源』(2011)所収。(土肥あき子)


June 1262013

 かばやきのにほひや街のまひる照り

                           網野 菊

どきの下町であろうか、鰻屋が焼くあの「かばやきのにほひ」である。あたりに遠慮なく広がるおいしい香りはたまらない。かばやきのタレ作りは、その店その店で企業秘密とされる。味もさることながら、どうして独特な脂まじりの匂いがおいしいのだろうか? あの匂いをいやがる日本人は少ないと思う。焼鳥や秋刀魚を焼く匂いの比ではない。しかも街は夏のかんかん照りである。この「照り」が「にほひ」をいっそう引き立てている。ところで、鰻を扱った傑作落語はたくさんある。かばやきの匂いと言えば、ケチの噺のまくらとして登場するこんな小咄がある。ーーあるお店(たな)で昼どきになると、隣の鰻屋のかばやきの旨い匂いをおかずにして、そろっておまんまを食べる。月末に鰻屋が「嗅ぎ料」として勘定をもらいに来た。そこで主人は袋に入れた小銭をジャラジャラ鳴らして、その音だけを「嗅ぎ料」として支払った。どっちもどっちで、しかもじつにシャレているではないか。作家・網野菊を知る人は今や少ないだろうが、多くの俳句を残した。他に「短夜のはかなくあけし夢見かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2772014

 古書店を出でて青葉に染まりたり

                           波多野完治

者は、御茶ノ水女子大で学長を務めた心理学者。俳句を始めたのは八十歳を過ぎてからで、あとがきには、「生涯教育の時代は、生徒が先生を選べる時代である。だから、ゆっくりさがせば、自分に合った先生は必ず見つかる」と、自身の経験を語っています。一高では小林秀雄と同級だっただけあり、掲句もふくめて句集には、教養主義の香りが所々に立ちこめています。例えば、「青嵐ツァラトゥストラの現れむ」「明け易し老いて読み継ぐ三銃士」「雹(ひさめ)ふりページ小暗き山居かな」「短夜やメルロー・ポンティ終了す」。掲句は作者にとって、学生時代から老齢に至るまで変わらない夏の出来事だったのでしょう。場所はたぶん、神田神保町。旧制高校を経験した世代にとって古書店は、未来の自我に出会える場です。だから、いったん店内に入ったら、書棚の隅から隅まで目を配り、貪欲な嗅覚を発揮して店内を渉猟します。やがて、知的欲求と懐具合とを勘案して、数冊を抱えて店内を出ます。その時、古書店という観念の森に繁る言の葉に置いていた作者の身は、現実の青葉に染まり始めて、夏の最中へと還俗していきました。他に、「草田男の初版に出会ひ炎天下」。『老いのうぶ声』(1997)所収。(小笠原高志)


July 2172015

 空中で漕ぎし自転車雲の峰

                           中嶋陽子

ダルを漕ぐ姿勢は常に地から足が離れているという事実。普段気にとめない日常の動作が、実は空中で行っているものだと気づいたとき、ものすごい芸当であるような感覚が生まれる。そういえば、かつて自転車から補助輪を外したときの喜びは途方もないものだった。大人と同じであることが大きな自信につながっていた。実際、徒歩しかなかった行動範囲がずっと自由に大きく広がった瞬間だった。むくむくと盛り上がる入道雲に「こっちへおいで」と手招きされ、どこまでも行けるような晴れ晴れした心地をあらためて思い出す。〈山の神海の神ゐて風薫る〉〈短夜の声変へて子に読み聞かす〉『一本道』(2015)所収。(土肥あき子)


July 3172015

 老鶯の声つやつやと畑仕事

                           満田春日

の鳴き声は秋のジジッジジッの地鳴きに始まって冬のチャッチャッの笹鳴き、ホーホケキョウの春の囀り、夏の老鶯の鳴き盛りと四季を彩ってゆく。秋冬に山にいたものも、春には公園や庭の藪中や川原のヨシやススキの原などに移ってくるが、鳴き声は聞こえても姿はなかなか確認できない。一説には鶯にも方言があって地方地方での鳴き方には差があるらしい。繁殖相手に競争が少ない地方ではのんびりと鳴き、競争の激しい所では激しく鳴くとも言われている。一般にホーホケキョウは「法、法華経」と聞きなされている。今畑打つ傍らで鳴く鶯の声は恋の一仕事を終えた余裕なのかつやつやと聞こえる。あるいは熟練した人間国宝の様な鳴き技かも知れぬ。夏の萬物の盛るころ、命に懸命に向かうのは鳴きしきる老鶯も畑打つ人間もおなしである。他に<からませし腕の記憶も青葉どき><乳母車上ぐる階段アマリリス><短夜の書架に学研星図鑑>など掲載。俳誌「はるもにあ」(2014年8月号)所載。(藤嶋 務)


October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)




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