June 1261997

 雨音の紙飛行機の病気かな

                           小川双々子

院中の作者が、たわむれに手元の紙で飛行機を折って飛ばしてみた。よく飛んだかどうかは問題ではない。病気だからそんな振る舞いに出たのだし、病気だから雨の音も明瞭に聞き取れている。それだけのことを言っている。ここにたゆたっているのは、作者の諦念だ。何度も目先に希望を見い出そうとした果ての諦めの心である。いまはストレートに「病気かな」と言い放てるほどに、その心は定まっているのだし、自分の病気を引き受け、冷静に見つめようとしている。みずからを「紙飛行機」に見立てているとも読めるが、同じことだろう。決して、鬱陶しいだけの句ではない。『異韻稿』(97年6月・現代俳句協会刊)所収。(清水哲男)




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