G黷ェ句

June 1161997

 箸先に雨気孕みけり鮎の宿

                           岸田稚魚

料理を出す宿とも読めるが、あまり面白くない。「孕(はら)みけり」のダイナミズムを採って、私は鮎釣りが解禁になる前夜の宿での句と読む。明日は、まだ暗いうちから起きだして、みんな川へと急ぐ。夕餉の膳を前に仲間達と鮎談義に花が咲くなかで、箸先にはかすかににじむように雨の気配が来ている。経験に照らして、こういうときにはよく釣れる。そう思うと、明日の釣りへの期待と興奮が静かにわいてこようというものだ。箸先を竿の先に擬する微妙な照合に注目。ところで、作者の成果はどうだったろうか。まったくの坊主(「釣れない」という意味の符牒)となると、もういけない。「激流を鮎の竿にて撫でてをり」(阿波野青畝)ということにもなってしまう。(清水哲男)


July 0471997

 娘と通ふ料理教室鮎を焼く

                           佐藤恵美子

の技巧もない、そのまんまの句。でも、とても字面がよい。日本語の美しさを感じさせられる。同時に、女性の「そのまんま」が、いかに男のそれと遠い世界にあるかということも……。たいがいの母娘が仲がよいのは、このように具体的現実的な行動において、素直に協調できるからなのだろう。そこへいくと、男はいけない。親子関係にも、一理屈かませないと安心できない性分がある。下手に焼かれた鮎のように、本質的にはうじうじと生臭いのである。『あぶら菜』所収。(清水哲男)


June 0261998

 ふるさとはよし夕月と鮎の香と

                           桂 信子

さしぶりの故郷での、それもささやかな宴の席での発句だろう。たそがれどき、懐しい顔がそろった。それだけでも嬉しいのに、ふるさと名物の新鮮な鮎が食膳にのぼり、ようやく暗くなりはじめた空には、見事な夕月までがかかっている。文句無しの鮮やかな故郷賛歌だ。ちなみに、作者は大阪生まれである。関西には「はんなり」という色彩表現があって、私には微細な感覚までは到底わからないのだが、この夕景はなんとなく「はんなり」しているように思われる。京都在住の詩人の天野忠さんも、好んで使われた言葉だった。ところで、この句はこれでよしとして、私も含めた読者がそれぞれの郷里をうたうとすれば、どのようなことになるのだろうか。わが故郷には、残念ながら、食膳に乗せて故郷を表現できるこれといった物はなさそうだ。『月光抄』(1938-1948)所収。(清水哲男)


June 0361998

 おとり鮎息はずむなる休ませる

                           瀧井孝作

慢じゃないが、鮎釣りの経験はない。気分が良さそうだなとは思っているが、チャンスに恵まれずに来てしまった。したがって、友釣りの何たるかも知らない。私と同じように友釣りを知らない読者のために、作者自身による解説を書きとめておく。「鮎は、きれいな水の中の石に生える美しい水垢をたべて育つので、鮎は、その食糧のある場所を、常に守つて見張つてゐて、他の鮎がその場所に近づくと、体当りでブツかつて、追ひはらふ習性があります。友釣は、この習性を利用して、一尾の鮎を囮に使つて、釣るのです」。そして、この囮の鮎には釣針のついた釣糸が結びつけられているのだから、体当たりした鮎が釣針に引っ掛かる仕掛けだ。引っ掛かる鮎も哀れだが、囮役も大変だ。引き上げてみると息をはずませている。しばらく休ませてやろうという作者の優しさに、句の味わいがある。だったら、友釣りなんかはじめからしなければいいのに。そんな声も聞こえてきそうだ。二日酔いの亭主に向かって「何もそんなになるまで飲まなくても……」というどなたかのご意見に似ている。『海ほほづき』(1960)所収。(清水哲男)


June 1861999

 鮎は影と走りて若きことやめず

                           鎌倉佐弓

京地方での鮎釣りの解禁日は秋川流域が先週の日曜日、多摩川も間もなくだ。好きな人は解禁日を待ち兼ねて、夜も眠れないほどに興奮するというから凄い。子供の遠足前夜以上。私は素早い動きの魚は苦手なので、一度も鮎を目掛けて釣ったことはない。どろーんとした鮒釣りが、子供の頃から性にあっていた。それはともかく、掲句は鮎の動きをとてもよくとらえていて素敵だ。たしかに「影」と一緒に走っている。しかも単なる写生にとどまらず、「若きことやめず」と素早く追い討ちをかけたところが見事。若さは、影にも現われる。人間でも、化粧もできない影にこそ現われる。しかも、鮎は「年魚」とも言われるように、その一生は短い。だからこそ、今の若さが鮮やかなのだ。句には、佐藤紘彰の英訳がある。俳誌「吟遊」(代表・夏石番矢)の第二号に載っている。すなわち"A sweetfish runs with its shadow ever to be young"と。以下、私見。……間違いではないんですけどねエ、なんだかちょっと違うんですよねエ。第一に、鮎が露骨に単数なのが困る。"sweetfish"が"carp"のように単複同一表記なのは承知しているが、ここはやっぱり"Sweetfish"と出て、一瞬単複いずれかと読者を迷わせたほうがベターなのではないかしらん。『潤』(1984)所収。(清水哲男)


May 2652005

 雨霽れて別れは侘し鮎の歌

                           中村真一郎

語は「鮎」で夏。「霽れて」は「はれて」。作者は小説家。俳句的には「侘し」に稚さを感じないでもないが、リリカルな情景を想像させる佳句だ。実はこの句は、詩人・立原道造の追悼句として詠まれている。詩人が二十四歳で世を去ったのは1939年(昭和十四年)3月のことであり、「鮎」の季節ではない。が、句はその年の夏に、中村ら詩人と親しかった数人の後輩が集まった席での吟ということで、追悼時点での季語を詠み込んでいるわけだ。このとき、作者二十一歳。後年に書かれた自註があるので、紹介しておく。「『雨霽れて』は実景だろう。高原の追分村の夏の雨の通りすぎたあとの爽やかさは、格別のものがある。そこでその気持のいい空気のなかに恋人たちが散歩にでる。というところから、私の小説風の空想がはじまる。そのまだ幼い恋人たちは今日が別れの日なのである。そこでふたりは村外れの、昔の北国街道と中仙道との道が二つに分れる、その名も『分去れ(わかされ)』の馬頭観音像のあたりまて行って、別れを惜しむ。これは宛然、道造さんがフランス中世の歌物語『オーカッサンとニコレット』などを模して書いた小説『鮎の歌』の世界である。/これだけの内容をこめ、特に道造さんの有名な小説の表題も詠みいれて、追悼の意を表したわけである」。金子兜太編『俳句(日本の名随筆・別巻25)』(1993・作品社)所載。(清水哲男)


May 1752007

 鮎焼くや空気の軽き村にゐて

                           橋場千舟

うすぐ解禁になる鮎釣りを心待ちにされている方も多いだろう。「空気の軽き村」という表現に身の装いも軽く田舎に遊ぶ愉快な気分と、すがすがしい空気との調和が感じられる。真青な空と山。風通しのよい林から鳥の囀りも聞こえてくるかもしれない。「ゐて」とあるから作者は村に住んでいるのではなく、都会の喧騒から離れたこの場所へ家族や友人と連れ立って遊びに来ているのだろう。澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んで、初夏の休日を楽しむ。川原の石を積んで即席の石窯を作り、釣りたての鮎を串にさして焼くのもいい。家や人が密集する街で忙しい日々を送っていると、ゆったりと自然に心を遊ばすのを忘れがちになる。こんな村で深呼吸すれば肺のすみずみまできれいになりそうだ。同じ川の鮎でも上流域でとれる鮎ほど身のしまりがよく味もいいと聞く。空気の軽い村で川音とともに食する鮎はさぞおいしいことだろう。生きのいい鮎なら塩を振ってこんがり焼けば、スマートな身からするりと骨が抜ける。行楽の楽しさが伝わってくるとともにああ、とれたての鮎が食べたいと、食欲をそそられる一句でもある。『水玉模様』(2000)所収。(三宅やよい)


June 1662010

 雨霽(は)れて別れは侘し鮎の歌

                           中村真一郎

ったい誰との「別れ」なのだろうか。俳句として、そのへんのことにはあまりこだわらなくてもよいのかもしれない。けれども、誰との「別れ」だから侘しいのだ、という理屈がついてまわっても仕方があるまい。真一郎が敬愛していた立原道造は、大学を卒業して建築事務所に勤めたが、健康を害して追分村のかの油屋で療養していた。道造に声をかけられた真一郎は、同じ部屋でひと夏を過ごした。けれども、翌年の夏には道造はすでに亡き人になっていた。そんな背景があって、同年輩の詩人たちと道造追悼の歌仙を巻いたおり、掲句はその発句として作られたという。「鮎の歌」は道造が生前に出版したいと考えていた連作物語集である。そうした掲句の背景を知っておけば、改めて句の意味や解釈などを縷々述べる必要はあるまい。雨が降っているより、霽(は)れたからこそ侘しさはいっそう強く感じられるのだ。真一郎には「薔薇の香や向ひは西脇順三郎」という句もある。堀辰雄は中村真一郎を「山九月日々長身の友とあり」と詠んでいる。真一郎という人は長身・洒脱の人だったし、氏が酒場などで語るどんな話にせよ、人を飽きさせない魅力と好奇心に富んでいたことを思い出す。見かけによらず気さくな人だった。『俳句のたのしみ』(1996)所載。(八木忠栄)


May 2552011

 幾度も寝なほす犬や五月雨

                           木下杢太郎

の俳句は「いくたびも……さつきあめ」と読みたい。「さみだれ」の「さ」は「皐月」「早苗」の「さ」とも、稲の植付けのこととも言われ、「みだれ」は「水垂(みだれ)」で「雨」のこと。梅雨どき、降りつづく雨で外歩きが思うようにできない飼犬は、そこいらにドタリとふてくされて寝そべっているしかない。そんなとき犬がよくやるように、所在なくたびたび寝相を変えているのだ。それを見おろしている飼主も、どことなく所在ない思いをしているにちがいない。ただただ降りやまない雨、ただただ寝るともなく寝ているしかない犬。いい加減あがってくれないかなあ。梅雨どきの無聊の時間が、掲句にはゆったりと流れている。杢太郎は詩人だったが、俳句も多い。阿部次郎らと連句の輪講や実作をさかんに試みたそうである。その作風は、きれいな自然の風景を描くといった傾向が強かった。他に「湯壷より鮎つる見えて日てり雨」「杯の蟲取り捨てつ庭の秋」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 0872014

 五十音の国に生まれて生きて鮎

                           宮崎斗士

名でも国名でも、なんでも五十音順に揃っていると意味もなくほっとする。学校などでも出席番号が名字の五十音順だったことから、今でも天野さんはいつも早く呼ばれて、中村さんは真ん中へん、渡辺さんはおしまいの方だったんだろうと、無意識のうちに五十音図をあてはめている。北原白秋の詩「五十音」は、「あめんぼ赤いな、あいうえお」から始まるが、あめんぼって黒いよね、などと疑問も持たずに覚えていた。いまや何にでも対応する五十音表の魚部門でいえば「鮎」はかなり上位である。掲句によって縄張り意識が強い魚であることも知られる鮎が、清流のなかでその名をいかにも誇らしげにすいすいと泳いでいる姿が浮かぶ。鮎は荒くれ、あいうえお、ではどうだろう。『そんな青』(2014)所収。(土肥あき子)




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