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May 2651997

 冷酒や蟹はなけれど烏賊裂かん

                           角川源義

まは宴席などでも冷酒を飲む人は多いが、昔は燗をつけて飲むのが一般的だった。したがって、冷酒は応急的(?)宴会で飲まれたものだ。とりあえずの酒だった。急に飲もうと話が決まり、燗をつけるなどまだるっこしいことはやっていられない雰囲気。これで肴に蟹でもあれば最高だなァと誰かが言い、べらぼうめェ、蟹だって烏賊(いか)だってアシの数では同じようなものじゃないかと乱暴な論理をふりかざして、作者はスルメを裂いている。これから「さあ、飲むぞ」という酒飲み連中の昂揚感をよく伝えている句だ。それこそ「蟹はなけれど」、赤い蟹の姿まで見えてきそうな気がするところも面白い。(清水哲男)


August 1281997

 塩漬けの小梅噛みつつ冷酒かな

                           徳川夢声

声は、映画弁士、漫談家として話術の大家であった。俳句が好きで、いとう句会のメンバーとなり、おびただしい数の俳句を作った。彼の句集を古書店で求めて読んだ井川博年によると、数は凄いがロクな句はないそうだ。掲句にしても、なるほどうまくはない。「それがどうしたの」という感想だが、しかし、この冷酒はうまそうである。酒好きも有名で、戸板康二は次のように書いている。「大酒家で、映画館で眠ってしまったり、放送できないので古川緑波が声帯模写で代役をつとめたという珍談もある。英国女王の戴冠式に招待されていく船の中で吐血し、晩年は停酒と称して一切アルコールを絶っていたが、酔っているようなユーモラスな口調で誰ともしたしみ、愛される人柄だった。……」(旺文社『現代日本人物事典』)。(清水哲男)


May 2651998

 考へがあつての馬鹿を冷奴

                           加藤郁乎

奴だけではあるまい。句集には並べて「別の顔みせてやらばや冷し酒」とあるから、ちゃんとお神酒がついている。考えがあって、よかれと思って、意図的に馬鹿をやってみせたのではあるが、どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴。故意に馬鹿を演じたのだから、みんなから馬鹿にされて本望のはずなのだが、そこがそうはいかないところに人間の辛さがあり面白さもある。誰かその場に一人くらい具眼の士がいて、言わず語らずのうちにわかってくれないと、にわか馬鹿の心はおさまらないのだ。にわか馬鹿の世界は、たいてい義理人情がからんでいる。だから「お前は偉いなあ」と、たとえば目で挨拶してくれるような義理や人情を期待するわけだ。それがそうではなかった。ぷいと、みんなと別れてしまった。で、乱暴な箸を冷奴に突き立てたってはじまらないのに、うーむ、悔しい。どうしてくれようか……。冷奴こそ、いい迷惑である。『初昔』(1998)所収。(清水哲男)


June 2962009

 「夕べに白骨」などと冷や酒は飲まぬ

                           金子兜太

年の盟友であった原子公平(はらこ・こうへい)への追悼句五句のうち。命日は2004年7月18日、84歳だった。一句目は「黄揚羽寄り来原子公平が死んだ」だ。この口語体が兜太の死生観をよく表しており、掲句にもまたそれがくっきりと出ている。作者をして語らしめれば、死についての考えはこうである。「人の(いや生きものすべての)生命(いのち)を不滅と思い定めている小生には、これらの別れが一時の悲しみと思えていて、別のところに居所を移したかれらと、そんなに遠くなく再会できることを確信している。消滅ではなく他界。いまは悲しいが、そういつまでも悲しくはない」。だから「夕べに白骨」(蓮如)などと死を哀れみ悲しんで、冷や酒で一時の気持ちを紛らわすことを、オレはしないぞと言うのである。他者の死を、そのまま受け取り受け入れる潔い態度だ。年齢を重ねるにつれて、人は数々の死に出会う。出会ううちに、深く考えようと考えまいと、おのずからおのれの死生観は固まってくるものだろう。そこから宗教へとうながされる人もいるし、作者のようにいわば達観の境地に入ってゆく人もいる。おこがましいが、私は死を消滅と考える。麗句を使えば、死は「自然に還ること」なのだと思う。したがって、私もふわふわしていた若い頃とは違い、あえて冷や酒を飲んだりはしなくなった。死についての考えは違っても、この句の言わんとするところはよく理解できるつもりだ。『日常』(2009)所収。(清水哲男)




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