May 2351997

 店じまひしたる米屋の燕の巣

                           塩谷康子

ソリン・スタンドで米を売る時代だもの、廃業に追い込まれる米屋があっても不思議ではない。事情はともあれ、店じまいしてガランとした米屋の軒先に、今年もまた燕がやってきた。何もかもきれいさっぱりと片づけて去った店の主人が、燕の住環境だけはそのまま残しておいたのだ。そんな店主の人柄が伝わってくる句。滅びと出立の対照の妙もある。私が若かったころは、引っ越しをするたびに米穀通帳(寺山修司が「米穀通帳の職業欄に『詩人』と記入する奴はいない、詩人は職業じゃないから」と、当時の雑誌に書いていたことを思い出す)を更新する必要があり、あちこちの米屋のお世話になった。どこの店にも独特の米糠の匂いが満ちており、どこのご主人も、人柄になぜか共通するところがあったような気がする。『素足』所収。(清水哲男)




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