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May 1951997

 遠近の灯りそめたるビールかな

                           久保田万太郎

近は「おちこち」。たそがれ時のビヤホール。まだ、店内には客もまばらだ。連れを待つ間の「まずは一杯」というところか。窓の外では、ポツポツと夜の灯りが点りはじめた。いかにも都会派らしい作者のモダンな句だ。この作品はまずまずとしても、意外なことにビールの句にはよいものが少ない。種々の歳時記を見るだけで、ビール党の人はがっかりするはずである。なぜだろうか……。今日はおまけとして、情緒もへったくれもあったものじゃないという短歌を二首紹介しておく。「小説を書く苦しみを慰さむは女房にあらずびいる一杯」(火野葦平)。「原稿が百一枚となる途端我は麦酒を喇叭(らっぱ)飲みにす」(吉野秀雄)。俳句では、逆立ちしてもこうはいかない。(清水哲男)


August 3081997

 冷え過ぎしビールよ友の栄進よ

                           草間時彦

人が栄進した。異例の出世である。そこで、とりあえずのお祝いにと、作者は友人を誘って一杯やりに出かけた。たぶん、二人の馴染みの小さな店だろう。と、出されたビールが、今夜にかぎって冷え過ぎている。生温いビールもまずいが、あまりに冷え過ぎたのも美味くはない。「なんだい、冷え過ぎだよ」と、思わずも口走ってしまう。つまり、自分はあくまでも素直に友の出世を祝福するつもりでいたのだが、冷え過ぎのビールに当たるという形で、どこかに隠れていた妬みの感情が露出してしまったということなのである。サラリーマンの哀しみ。(清水哲男)


May 0751998

 初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた

                           北原白秋

正十五年発表の白秋の俳句。この頃、白秋は荻原井泉水と論戦あり、そのせいもあってか、しきりと自由律俳句を作っている。それが変な俳人の句よりも面白い。また、白秋にはビールの句が多く(ビール好きだったのか)、これも珍しい。ビールの句を二句。「ビールだコップに透く君の大きい影」「桜は白いビールの空函がたくさん来た」。これで見ると、ビールを函入りでとっているのがわかる。いま、キリン・ビールの明治・大正・昭和三代の復刻ビールというのが大ヒットしているそうだが、この白秋のビールはもちろん大正のそれである。(井川博年)


May 0851999

 ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ

                           深見けん二

夏よりも、初夏のビヤホールのほうが楽しい。咽喉が乾く真夏はビールに飢えるという感覚があって、どうしても飲み方がガサツになってしまう。そこへいくと、初夏のうちは乾きにも余裕があるので、楽しむという飲み方ができるからだ。椅子の背中がぶつかりあっても、それすらが嬉しいという感じ……。句のビヤホールがどこかは知らないが、椅子がぶつかるからといって、小さな店とは限らない。銀座の「ライオン」などは大きな店だけれど、テーブルをばらまいたように配置しているので、しょっちゅうぶつかる。愛する店の一つだ。いちばん好きだったのは、まだ二十代の頃、お茶の水は文化学院のそばにあったビヤガーデンだった。文字通り、庭で飲ませてくれた。いまどきのカフェテラスとやらのように埃だらけになることもなく、新緑に染まりながら飲むビールの味は、我が青春の味そのものであった。勤め先の出版社が駿河台下だったので、仲間とよく出かけて行ったっけ。いつの間にか、つぶれてしまったのは寂しい。こんなことを書いているとキリがなくなる。が、もう一つ。この季節に意外にもよい雰囲気なのは、有楽町駅近くの「ニュー・トーキョー」だ。なかなか窓際には坐れないが、明るいうちに飲んでいると、街路樹の緑も程よく、道行く人もそれぞれ格好良く、しばし陶然となる(はずである)。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


June 0161999

 嘘ばかりつく男らとビール飲む

                           岡本 眸

ろいろな歳時記に載っている。ビールの句には、なかなかよい作品がないが、この句は傑作の部類に入るだろう。しかし、なぜか作者の自選句集からは削除されている。「男ら」とぼかしてはあっても、やはりさしさわりがあるためなのだろうか。作者とは無関係の「男ら」の一人としては、まあ「嘘ばかりつく」わけでもないけれど、女性が同席していると、ついつい格好をつけて大言壮語に近い発言はしたくなる。できもしないことを言ったり、過去を美化したりと、要するに女性に受けようと懸命になるわけだ。それを、こんなふうに見透かされていたのかと思うと、ギョッとする。うろたえる。だから、傑作なのだ。歳時記の編者はたいていが男なので、ギャフンとなって採り上げざるをえなかったのだろう。作者が考えている以上に、男はこうした句におびえてしまう。ただし、酒の席での男の欠点にはもう一つあって、嘘よりもこちらのほうが女性には困るのではあるまいか。すなわち、やたらと知識をひけらかし、何かというと女性に物を教えたがるという欠点。そんな奴に、いちいち感心したふりをして相槌を打つ女性もいけないが、調子に乗る男はもっと野暮である。たまに、私もそうなる。夕刻の「ちょっとビールでも」の季節にも、いやはや疲れる要因はいくらでもあるということか。(清水哲男)


May 2052004

 若からぬ一卓ビールの泡ゆたか

                           中嶋秀子

く見かける情景だ。何かの会合の流れなどで、もはや「若からぬ」人たちがビールの卓を囲んで談笑している。大きなジョッキになみなみと注がれた「ビールの泡」が、その場のなごやかさを更に盛り上げている。このときに「ゆたか」とは、そうやって集い楽しむ人たちの、ささやかながらも充実した時空間の形容だろう。長い人生を生きてきた人々ならではの楽しみ方が、そこにある。若者の一団からは感じることのできない、ゆったりとした雰囲気は、傍から見ていても微笑ましいものだ。若い頃から私は感じてきたが、ビールが似合うのは若者よりも年配者のほうではないだろうか。ビールのコマーシャルなどでは若者が一気に飲み干すシーンが多いけれど、あんなに飢えたように飲むのでは、本当はそんなに美味くないと思う。喉の渇きを癒すのならば、むしろ水を一気に飲むほうが効果的だろう。それにあんなに急いで飲むと、後がつづくまい。ビールの味がわかるまい。半世紀近く飲みつづけてきた体験からすると、泡が完全に消えるまでの間にゆっくりと飲むのが、最良な方法のような気がする。だから生ビールであれば、できれば自分のペースに会わせた泡の量を指定できる店で飲むことだ。そんな店は多くはないが、銀座のライオンなどではちゃんと泡の量を注文できる。注ぎ手がよほど優秀でないと無理な注文になるけれど、あの店では決まって泡七割と指定する常連客がいるのだという。むろん「若からぬ」人である。支配人から聞いた話だ。他にもいろいろ聞かせてもらったが、美味く飲むためには、なるべく物を食べないことも条件の一つだった。そしてその点だけは、私は彼に誉められた。私の大いに自慢とするところだ。『約束の橋』(2001)所収。(清水哲男)


May 1752005

 敗れたりきのふ残せしビール飲む

                           山口青邨

語は「ビール(麦酒)」で夏。とはいえ、いまでは一年中飲まれていて、季節感も薄れてきた。だが、この句はやはり昔の夏のものだろう。いつごろの句かは不明だが、とりあえず飲み残したビールを保存しておくのは、ビールがまだかなり高価だった時代を物語っているからだ。作者は、何に「敗れた」のか。わからないけれど、「敗れたり」の「たり」に着目すると、ある程度の勝算があったにもかかわらず、結果は負けてしまったということだと推察できる。したがって情けなくも口惜しくて、勝てば新しいビールの栓を抜いたところなのに、気の抜けた飲み残し分を飲んでいる。意気消沈の気分が、不味いビールで余計に増幅されてきて、暗くみじめである。ビールの句には美味そうなものが多いなかで、不味い味とは珍しい。アルコール類の味は、飲むときの気分によってかなり左右されるということだ。飲まない人からすれば、そんなときには飲まなければよいのにと思うだろうが、勝ったといっては飲み、負けてもまた飲むのが飲み助の性(さが)みたいなもので、こればかりはなおらない。敗戦後の一時期には、失明の危険を承知しながらメチールを飲んだ多数の人たちがいたことを思えば、飲み残しのビールを飲むなどは、まだまだ可愛い部類だと言うべきか。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 0472005

 大衆にちがひなきわれビールのむ

                           京極杞陽

とより私もそうだが、たいていの人はこうした感慨を抱くことはない。いや、感慨以前の問題として、あらためて自分が「大衆」の一員であると強く意識させられることも、滅多にないだろう。しかし、世の中には少数ではあるが、作者のような人もいたわけだし、いまも何処かにはいる。以下の作者略歴(記述・山田弘子)が、そのまま句の解釈につながってゆく。京極杞陽(きょうごく・きよう)。「明治41年2月20日、東京市本所に、父高義(子爵)母鉚の長男として誕生。本名高光。豊岡藩主十四代当主(子爵)。大正9年学習院中等科に入学。大正12年9月、関東大震災により生家焼失、一人の姉を残し家族全員と死別。昭和3年東北帝大文学部に入るも一年で京都帝大文学部に移る。昭和5年東京帝大文学部倫理科に入学。昭和8年4月、大和郡山藩主(伯爵)柳沢保承長女昭子と結婚。昭和9年東京帝大卒業。11月、長男高忠誕生。昭和10年〜11年ヨーロッパに遊学。昭和11年4月渡欧中の高浜虚子歓迎のベルリン日本人会の句会で虚子と出会い生涯の師弟関係が生まれる。昭和12年宮内省式部官として勤務。11月「ホトトギス」初巻頭。昭和13年高浜年尾発行編「俳諧」に加わる。1月次男高晴誕生。(中略)。昭和18年2月五男高幸誕生。11月家族を郷里豊岡に疎開させ単身東京に残る。(中略)。昭和21年宮内省退職。昭和22年4月『くくたち・下巻』刊。5月新憲法により貴族院議員の資格を失う。11月山陰行幸の昭和天皇に拝謁。……」。掲句は、この後に生まれたのだろう。人は親を選べない。『俳句歳時記・夏の部』(1955)所載。(清水哲男)


June 0662006

 西部劇には無き麦酒酌みにけり

                           守屋明俊

語は「麦酒」で夏。麦酒を飲みながら、昔の「西部劇」映画をビデオで見ている図が浮かんできた。サルーンの扉をゆっくりと開けて、流れ者のガンマンが入ってくる。一言も口を利かずにカウンターに小銭を置くと、これまた一言も口を利かないバーテンダーがショットグラスにバーボンウィスキーを注いで、男の前に無造作に置く。たいていの西部劇ではおなじみのシーンであり、このシーンでその後のドラマ展開のためのいろいろな布石が打たれる仕組みだ。映画の男はバーボンを飲み、見ている作者は麦酒を飲み、あらためてそのことを意識すると、何となく可笑しい。しかし、なぜほとんどの西部劇には麦酒が出てこないのだろうか。このときの作者もそう思ったにちがいないけれど、私もかねがね気にはなっていた。西部開拓時代のアメリカに、麦酒がなかったわけじゃない。アメリカ大陸に本格的な醸造所ができたのは1632年のことだったし、サルーンのような居酒屋でも麦酒を売っていたという記録も残っている。では、なぜ西部劇には出てこないのか。そこでいろいろ理由を考えてみて、おそらくはバーボンに比べて麦酒がはるかに高価だったからではないのかと、単純な答えに行き着いたのだった。つまり、当時のバーボンはかつての日本の焼酎のような位置にあり、とにかく取りあえずは安く酔えるという利点があったのではないか、と。そう思えば、どう見ても金のなさそうな流れ者が黙って座って出てくるのは、バーボンしかあり得ない理屈だ。それはそれとして、西部劇に麦酒の出てくる映画もレアケースだが、あることはある。グレン・フォードが主演した『必殺の一弾』(1956)が、それだ。早撃ちの魅力にとらわれた商店主の主人公は、実は誰一人撃ったことがないのに、名うての無法者に決闘を挑まれ狼狽する。そんな筋書きだが、この映画の主人公の早撃ちぶりを紹介するシーンで、麦酒ならぬ麦酒グラスが重要な小道具になっていた。白状すれば、この映画を見た記憶はあるのだが、そのシーンは覚えていない。さっきネットで調べたことを書いただけなので、それこそそのうちにビデオで確認してみたいと思う。『蓬生』(2004)所収。(清水哲男)


March 2132007

 つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで

                           北原白秋

会では、こんな句に点は入らないだろう。八・六・五という破調のリズムはあまりしっくりとこない。春になった! やあ、つくしが出た。摘もう、摘もう!――そんなふうに弾むこころをおさえきれずに野に出て、子どもたちと一緒になってつくしを摘む。つくしが出た、それを摘む人もたくさん出た。春がきた。そんなワクワクした情景を技巧をこらすことなく、構えることなく素直に詠んでいる。「うまい俳句を作ろう」などという意識は、このときの白秋には皆無だったにちがいない。いや、わざと「俳句」のスタイルにはとらわれまい、と留意したとさえ思われる。童謡を作るときのこころにかえっているようだ。白秋はもちろん定形句も作っているが、自由律口語の句も多い。「土筆が伸び過ぎた竹の影うごいてる」「初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた」「蝶々蝶々カンヂンスキーの画集が着いた」等々。俳人諸氏は「やっぱり詩人の句だ」と顔をしかめるかもしれないけれど、この自在さは愉快ではないか。われも子も弾んでいる。スタイルよりも詠みたい中身を優先させている。白秋は室生犀星を相手に、次のように語っている。「発句は形が短いだけに中身も児童の純真が欠かせない。発句にはそれと同時に音律の厳しさがある。七五律はちょっと甘い。五七律をこころみてみたい」。白秋の口語自由律俳句には、気どらない「児童の純真」が裏付けされている。ところで、白秋のよく知られた詩「片恋」全六行は、それぞれ五・七・五となっている。「あかしやの金と赤とがちるぞえな。/かはたれの秋の光にちるぞえな。/片恋の薄着のねるのわがうれひ。/(後略)」『白秋全集38』(1988)所収。(八木忠栄)


August 0882008

 ビール抜き受け止めたりな船の人

                           相島虚吼

誌「ホトトギス」の俳人のいろいろな意味で問題提起の作品。この句、ビールそのものを言わずして船上のビールを思わしめている点は熟練の技を感じさせる。ところで、ビール抜きなどというものはない。あるのは栓抜きである。ところが栓抜きというと季題にならないから無理をして造語を作ってビール抜きという。ではそんなに無理をしてビール抜きといえば季題になるかというとこれは微妙なところでしょう。ビール抜きというものが存在するとしても、ビールといわないかぎりそこにビールは存在しない。ビール抜きがあるのだからビールは言わずもがなということになるのなら、季題は無くとも季節感さえあればいいということになる。「ホトトギス」はそんなことは認めていないでしょう。それとも字面でビールという字があれば季題になるというのであれば鰯の缶詰でも桜の紋章でも季題になる。それは違うでしょう。「写生」というのは季題諷詠なのか、「もの」そのものを凝視するのか、はたまた受け止めた「人」を活写するのか。さあ、どっちなんだと「ビール抜き」が言っている。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖)


August 0282009

 一人置いて好きな人ゐるビールかな

                           安田畝風

の句をはじめて読んだときには、何をいっているのかよくわかりませんでした。2度目に読んで、ああそうか、「一人置いて」というのは、並んで座っている隣の、その向こうをいっているのだなと気づきました。それならばこれは、ビヤホールの情景を詠っているのです。きらびやかな照明の下、いくつもの騒がしい声が、高い天井を響かせています。テーブルを囲む友人たちの声も、顔をそちらへ持っていかなければ聞こえません。でも、作者にとってそんなことは、たいした問題ではありません。気にかかるのは常に、一人置いて向こう側に座っている人のことのようです。席を決めるときに、隣に座ろうとする勇気はありませんでした。それでも近くに席を取り、隣の人を通じて、間接的に感じられるその人の振る舞いに、心はひどくとらわれています。ビールのジョッキがすすむにつれて、酔いは回り、気持ちはどんどん大きくなってきます。けれど、その人に対する態度だけは、いつまでたっても間接的で、控えめなままなのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 3182009

 ひらがなの国に帰りて夕芒

                           佐藤清美

集でこの句の前に置かれた「西安のビールは甘きひつじみず」などから推して、中国旅行から戻ったときの句だと思われる。私のささやかな海外旅行体験からすると、どこの国に出かけても言葉には難渋するが、いままでいちばんストレスを覚えたのは中国と韓国でだった。理由は単純。お互いなんとなく顔が似ているせいで、つい楽にコミュニケーションができそうに錯覚してしまうからである。ましてや中国は漢字の国だ。街の看板やイルミネーションなどでも、おおかた察しのつくものが多い。だから余計にコミュニケートしやすいと思いがちになる。ところが、どっこい。他の外国でと同じように、なかなか意思疎通ができないので、イライラばかりが募ってしまう。三十数年昔にギリシャに行ったことがあって、街のサインなど一文字も読めなくて苦労したけれど、しかしさほどストレスは覚えなかった。はじめから周囲の人々がまったくの異人種なので、言葉が通じなくても当たり前と早々に覚悟が決まってしまうからだろう。作者も漢字の国を旅行中に、おそらく相当のストレスを感じ続けていたのではあるまいか。そのストレスが「ひらがなの国」に戻ってほどけた安堵の心が、よくにじみ出ている。風にそよぐ「夕芒」のたおやかな風姿は、まさに「ひらがな」そのものなのである。『月磨きの少年』(2009)所収。(清水哲男)


June 2662011

 悲しみの席にビールのある事も

                           岡林知世子

句の世界とは違って、現代詩には、吟行をするということがありません。詩というものは、若いころからずっと一人で、隠れるようにして書き続けるものです。だから著名な詩人の名前を知ってはいても、実際に会う機会などめったにありません。僕が二十代後半の頃、ということはもう三十年以上も昔のこと。詩の賞の、誰かの受賞式の帰りでもあったのか、夜遅く、新宿の広い喫茶店に詩人たちが集団で入ってゆきました。僕のいたテーブル席には、同世代の若い詩人たちがいて、話すこともなく静かにコーヒーを飲んでいました。そのうちに一人が、遠くの席を指さして、「あそこに、清水昶がいるよ」と言いました。「えっ」と、僕は思って、薄暗い喫茶店で、かなり距離もあり、その姿ははっきりとは見えませんでしたが、それでも当時、夢中になって読んでいた詩人がそこに本当にいるのだということに、胸が震えていました。幾度読んでも飽きることのない喩の力、というものが確かにあるのだと、教えてくれた詩人でした。「悲しみの席」とは、なんとつらい日本語かと、思わずにはいられません。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


September 0792011

 片なびくビールの泡や秋の風

                           会津八一

夏に飲むビールのうまさ・ありがたさは言うまでもない。また冬に、暖房が効いた部屋で飲む冷たいビールもうれしい。いつの間にか秋風が生まれて、ちょっと涼しくなった時季に飲むビールの味わいも捨てがたい。(もっとも呑んベえにとって、ビールは四季を通じて常にありがたいわけだが)屋外で飲もうとしているジョッキの表面を満たした泡が、秋風の加減で片方へそれとなく吹き寄せられているというのが、掲句の風情である。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども…」と古歌には詠まれているが、この歌人はビールの泡のかすかななびき方を目にして、敏感に秋を感じているのである。ビールの泡の動きと白さが、おいしい秋の到来を告げている。八一は十八歳で俳句結社に所属して句作を始め、その後「ホトトギス」「日本」などを愛読して投句し、数年ほどつづけた。一茶の研究をしたり、俳論をたくさん書いたが、奈良へ旅してのち次第に和歌のほうに傾斜して行った。他に「川ふたつわたれば伊勢の秋の風」がある。ビール党の清水哲男には「ビールも俺も電球の影生きている」の句がある。「新潟日報」2011年8月22日所載。(八木忠栄)


May 0752012

 ひといきに麦酒のみほす適齢期

                           岸ゆうこ

校生のころだったか、伊藤整の新聞小説に「初夏、ビールの美味い季節になった」とあった。「ふうん、そんなものなのか」と思った記憶があるが、いまになってみると、なるほど初夏のビールは真夏のそれよりも美味い気がする。この時期のビヤホールが、いちばん楽しい。とはいえ、ビールを飲む人の気持ちはいろいろで、みんなが楽しくしているわけではない。作者のような鬱気分で飲んでいる人もいるのだ。「適齢期」とは「結婚適齢期」のことで、最近ではほとんど聞かなくなった。この句はおそらく若き日の回想句だろうが、往時の女性は二十歳ころを過ぎると、そろそろ結婚を考えろと周囲から攻め立てられた。小津安二郎映画の若い女性などは、みなそのくちである。で、すったもんだのあげくに結婚すると、残された父親に「女の子はつまらんよ。せっかく育てたと思ったら、嫁に行っちまうんだから」などとぼやかれたりするのだから立つ瀬がない。句はそんな適齢期にあった作者が、結婚を言い立てられて、半ば自棄的に飲み慣れないビールを飲み干しちゃった図である。こんな時代も、そんなに遠い昔ではなかった。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


May 2852012

 ビールないビールがない信じられない

                           関根誠子

えっ、そりゃ大変だ。どうしよう。ビール好きだから、ビールの句にはすぐに目が行く。たしかに買っておいたはずのビールが、「さあ、飲みましょう」と冷蔵庫を開けてみたら、見当たらない。そんなはずはないと、もう一度奥のほうまで確かめてみるが、影も形もない。そんな馬鹿な……。どうしたんだろう、信じられない。作者の狼狽ぶりがよくわかる。同情する。ビールという飲み物は、飲みたいと思ったときに、冷たいのをすぐに飲めなければ意味がない。精神的な即効性が要求される。そんなビールの本性を、この句はまことに的確に捉えている。「酒ない酒がない…」では、単なるアル中の愚痴にしかならないが、ビールだからこその微苦笑的ポエジーがにじみ出てくる佳句だ。念のためにいま我が家の冷蔵庫をのぞいたら、ちゃんとビールが鎮座していた。あれが今宵、まさか消えてしまうなんてことはないだろうね。『季語きらり100 四季を楽しむ』(2012)所載。(清水哲男)


June 0662015

 口癖は太く短くビール干す

                           後藤栖子

く短く、が例えば夫の口癖だとすれば、もうその辺で止めておいたら、と気遣っている妻に向かって、いいんだよいいんだよ、ビールが無くて何の人生だ、などと言っていそうだ。しかし飲み仲間でも、最後までビール、という人は数えるほどしかいない、真のビール好きである。飲む、でも、酌む、でもなく、干す、の勢いが、ビールらしく軽やかだが、作者の後藤栖子さんは二十代から病と闘われて、平成二十年六十七歳で亡くなられたと知った。そんな作者自身の言葉だとすると、太く短く、はまた違ったものになる。背景から作者の真意を読み解くこともひとつ、短い十七音の第一印象から読み手自身の中で自由に広げていくのも俳句ならではだが、いずれにしてもこの句のビールの持つ明るさは変わらない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 2562015

 飲み干して重くなりたるビアジョッキ

                           平石和美

ールがおいしい季節になった。仕事が終わり「ちょっと飲みに行こうか」と誘われてのまずは最初の一杯。本当に生きていてよかった、と思う瞬間でもある。家だと小さい缶を一本空けるにも持て余し気味なのに、外で飲むとビアジョッキ2杯ぐらいは軽くいけてしまうのはなぜだろう?残り少なくなったビールを飲み干したあと、それまでは軽々と持ち上げていたビアジョッキが右手にずしんと重くなる。空になっているはずなのに…。書かれて初めて気づく感覚もある。このように微妙な勘どころを押させて表現するのは俳句の得意とするところ。この季節ビアジョッキでビールを空けるたび、この句が頭をかけめぐりそうである、『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


August 1782015

 ビヤガーデン話題貧しき男等よ

                           吉田耕史

はさまざまだなあ。この句を読んだときに、思わずつぶやいてしまった。作者にはまことに失礼な言い方になるが、ビヤガーデンに何か話題を求めて、「男等」は集うものなのだろうか。たしかにビヤホールでの話は、ろくなものじゃないだろう。でも、そのろくなものじゃない話題が、逆にビールの美味さを盛り上げていくのであって、これがろくなものだったら、そんな話はどこか別の場所でやってくれと言いたくなってしまう。岡本眸に「嘘ばかりつく男らとビール飲む」があるが、そうなのだ、貧しき話題に「嘘」がどんどん入り込む。それがあのただ飲むだけの殺風景な場所を輝かすちっぽけな起爆剤のような役割を担っているのでもある。そして男等の束の間の「宴」が終わってしまうと、それこそ嘘のようにあの殺風景なただ飲むだけの場所は霧散してしまう。何事もなく霧の彼方へと消えていくのみである。それで、よいのである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 03112015

 ロボットの脚は空洞木の実落つ

                           椎野順子

付から介護支援など、近い将来の期待を一身に背負うロボット。なぜ人型である必要があるのかと疑問だったが、生活空間が人間のために設計されているため、ノブを回す、スイッチを入れるなど、人間のかたちを取るのがもっとも効率的なのだと聞いて納得した。人間に近づく滑らかな動きは、束ねられたケーブルの働きによるものだが、それを包む表面との間は空洞である。掲句はロボットが血や肉を持たない物体であることをさらりと述べている。降り注ぐ木の実が、なぜか実りの充実ではなく、満れば欠くる道理を思わせ、胸騒ぎを覚える。集中には〈信条はいつでも麦酒どこでもビール〉大いに同感(^^)『間夜』(2015)所収。(土肥あき子)


June 0562016

 娘を盗りに来し若輩へビール注ぐ

                           加藤喜代人

をもつ日本の父は、おおかたこんな気持ちを抱くのでしょう。この父は、朝から落ち着きません。ふだんは気にもとめない家の中の細かいところや家具の配置など、妙に神経質になっています。かといって、来訪者を歓迎しているわけではありません。なにしろ「盗り」に来るのだから、敵意は十分にあります。しかも「若輩」。闘えば、腕力では分が悪いけれど、積み重ねてきた人間力は遥かに俺の方が上だ。お前は、俺から本気で奪っていく覚悟があるのか。挑まれたら応じよう。ビールは、そんな父親の愚痴になって注がれます。この時、ふと、三十年前、妻の父から注がれたビールの音を思い出しました。あの音は、義父の心の濁流音であったのか、と。句からすこし外れましたが、娘の父も若輩も、ビールの味は苦かったことでしょう。『蘖』(1991)所収。(小笠原高志)


July 1572016

 燕雀も鴻鵠も居る麦酒館

                           廖 運藩

燕雀」はツバメやスズメなどの小さな鳥のことで、転じて小人物をさす。「鴻鵠」は大鳥や白鳥など大きな鳥のことで、転じて大人物をさす。小人(しょうじん)も大人(たいじん)も一つ屋根の麦酒館に居てわいわいがやがやとやっている図である。『史記』に「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とあり、小さな者にどうして大人の志が解りましょうやとの原典をよりどころにしている。中国の陳渉が、若いころ農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって言ったことばとされている。小生の酔眼によればいずれ飯を喰らい糞を垂れるただのお仲間に過ぎないのではあるが。他に<すぼみ行く麦酒の泡や朋の老い><酔ひどれの生き血吸ひたる蚊の不覚><絵日傘やをみな骨までおしやれする>などあり。俳誌「春燈」(2015年9月号)所載。(藤嶋 務)




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