G黷ェヤ冷え句

April 2841997

 人体冷えて東北白い花盛り

                           金子兜太

北の旅先での空気の冷たさと花の盛りを「人体冷えて」と「白い花盛り」でうまく表現した句。初心者だと叱られる上5の字余りも「人体」という言葉の選択により逆に効果的か?(本当はよくわからない。)俳句の「花」は桜であるが、多くの植物が一斉に花開く北国で作者がみた「花」はりんごや梨の白い花も含んでいただろう。なお、東北に住む人の感じる花は「冷えて」の「花」ではなく、暖かい土地の人以上に「心浮き浮きする花」である。その意味で掲載句はあくまでも旅の句である。(齋藤茂美)


May 2252001

 かたつむりたましひ星にもらひけり

                           成瀬櫻桃子

石のような句だ。「かたつむり(蝸牛)」に「たましひ」があるなどとは考えもしなかったが、このように詠まれてみると、確かに「たましひ」はあるのだと説得される。それも「星」にもらったもの、星の雫(しずく)のようなちっちゃな「たましひ」……。固い巻き貝状の身体を透かして、ぼおっと灯っているように見える「たましひ」なのだ。蝸牛の目は、ただ明暗を判別できる機能しかないと言うが、星にもらった「たましひ」の持ち主だから、それで十分なのである。「角だせ槍だせ 頭だせ」とはやし立てられようとも、怒りもせず苦にもせず、静かに大切に「たましひ」を抱いて生きていく。小賢しい人知をはるかに越えて、一つの境地を得ているのだ。作者が「かたつむり」の「たましひ」を詠むについては、おそらく次の句のような身辺事情が関わっているだろう。「地に落ちぬででむし神を疑ひて」。前書に「長女美奈子ダウン氏症と診断さる」とある。そして、また一句。前書に「美奈子二十二歳にて中学卒業」とあって「花冷や父娘にことば少なくて」。しかし、この事情を知らなくても、掲句の透明な美しさはいささかもゆるぐものではない。『素心』(1978)所収。(清水哲男)


April 0342003

 花冷の百人町といふところ

                           草間時彦

古屋などにも「百人町」の地名はあるが、前書に「俳句文学館成る」とあるから、東京は新宿区の百人町だ。JR山手線と中央線に挟まれた一帯で、新宿から電車で二分ほど。戦前は、戸山ケ原と呼ばれていた淋しい場所だったという。町名の由来は、寛永年間に幕府鉄砲百人組が近辺に居住していたことから。その名のとおり百人を一組とする鉄砲隊で、江戸には四組あり、この町には伊賀組の同心屋敷があった。さて、現代の百人町を詠むのはたいへんに難しい。というのも、あまりにも雑然とした構造の町だからである。町を象徴するような建物やモニュメントもなければ、とりたてた名産品があるわけでもない。俳句愛好者なら、それこそ俳句文学館を思い浮かべるかもしれないけれど、地元の人の大半は、何のための建物なのかも知らないのではあるまいか。要するに、つかみどころがないのである。掲句は、そんなつかみどころのなさを、そのまま句にしている。「百人町といふところ」は、どんなところなのか。それは、読者におまかせだと言っている。だから逆に「花冷(え)」という漠然たる情趣には、似合う町だと言えようか。「花冷(え)」の「花」はむろん桜だが、この町には実は「つつじ」の花のほうが多い。百人組の給料は安く、彼らは遊んでいる土地を分け合って、内職に「つつじ」を栽培したのだという。その名残が、いまだに残っているというわけだ。ちなみに、俳句文学館の創立は1976年(昭和五十一年)。作者は俳人協会事務局長として、設立運動に専従で奔走した。『朝粥』(1979)所収。(清水哲男)


April 0342006

 花冷や石灯籠の鑿のあと

                           武田孝子

語は「花冷(え)」で春。桜の咲くころでも急に冷え込むことがあるが、そのころの季感を言う。神社か寺か、あるいはどこかの日本庭園だろうか。いずれにしても花を見に訪れたのだが、折り悪しく「花冷」とぶつかってしまった。たとえ花は満開だとしても、やはり花見は暖かくてこそ楽しいのである。それがちょっと肩をすぼめるような気温とあっては、いささか興ざめだ。このようなときには、気温の低さが平素よりも余計に肌にさすと感じるのが人情である。掲句はその微妙な心理的感覚を、そこに置かれていた地味な「石灯籠」に鋭い「鑿(のみ)のあと」を認めた目に語らせているというわけだ。ことさらに寒いとか冷え込むとかとは言わずに、石灯籠の鑿のあとを読者に差し出すだけで、作者のたたずむ場の冷え冷えとした情景を彷佛とさせている。一部の好事家は別として、日頃はさして気にもとめない石灯籠に着目し、その鑿のあとをクローズアップした構成が、この句の手柄と言えるだろう。句集のあとがきによれば、作者は母親が俳句好きだったことで、小学生のころから俳句に親しみを覚えていたというが、さもありなむ、五七五が俳句になる肝どころをよくわきまえた作法だ。長年俳句作りに熱心でないと、なかなかこうは詠めないと思う。派手さはないけれど、いわゆる玄人好みのする一句である。『高嶺星』(2006)所収。(清水哲男)


March 0232009

 花冷の水が繩綯ふ川の中

                           真鍋呉夫

京辺りでは、今年の桜の開花は早いそうだ。とはいえまだ少し先だけれど、早咲きを願ってこの句を紹介する。季語は「花冷(え)」で、桜は咲いたのに、どうかすると冷え込むことがあるが、そのころの季感を言う。桜の樹は川べりに植えられることも多いので、このときの作者はちょっと川端で花見でもと洒落込んだのだろうか。しかし、あいにくの冷え込みだ。襟を掻き合わせるようにして、どこまでも白くぼおっとつづく桜並木を見ているうちに、自然に川の水に目が移った。桜の花はいわば幻想的な景観だが、川の水はいつ見ても現実そのものだから、桜を眺めていたまなざしが、ふと我に返ったのである。むろん大気の冷えが、そうさせたのだ。こういうときの現実は強い。普段なら気にもしない水の流れに、作者の目はおのずから吸い寄せられていった。思わずも凝視しているうちに、どうした加減か、川のある箇所の水が捩れながら流れている。その様子がまるで縄を綯(な)っているように見えたというのである。縄を綯ったことのある人ならば、あのいつ果てるとも知れない単調な作業を思い出して、句景はすぐに了解できるだろう。作者はいつしか桜のことを忘れてしまい、しばし川水の力強い縄綯いの「現実」に見入ってしまうのであった。『月魄』(2009)所載。(清水哲男)


April 0842013

 花冷の紙芝居屋の弔辞かな

                           堀下 翔

を見送ってから一年が過ぎた。火葬場の玄関に、桜の花が散り敷かれていたことを思い出す。人情的に言って、春の葬儀は理不尽に写る。ものみな新しい生命に躍動する季節の死は、なんとなく不自然に思え、納得のいかない思いが残る。句の葬儀は花冷えのなかで行われているので、気温の低い分だけ、死の現実を受け入れやすくなっている。少しは理不尽さが緩和されている。葬儀はしめやかに進行していき、やがて弔辞がはじまった。述べるのが紙芝居屋だと知ったときに、作者の心は少しゆらめいたにちがいない。故人との関係で誰が弔辞を述べようとも構わないわけだが、いつもはハレの場で演じている人がケの言葉をつらねることに、いささかの危惧の念と、そして同時に好奇心を覚えたからである。紙芝居屋の弔辞が果たして芝居がかっていたかどうかは知らないが、人生の微苦笑譚はどこにでも転がっていることに、作者があらためて気づいた句ということになりそうだ。俳誌「里」(2013年4月号)所載。(清水哲男)




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