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April 0341997

 春泥に押しあひながら来る娘

                           高野素十

かるみを避けながら、作者は用心深く歩いている。と、前方から若い女性たちのグループがやってくる。陽気なおしゃべりをかわしながら、互いの体を押し合うようにして軽やかにぬかるみを避けている。そんな溌溂とした娘たちの姿は美しく、そして羨ましい。春の泥も、日にまぶしい。若さへの賛歌。私も、こういう句のよさが理解できる年令になってきたということ。ちょっぴり寂しくもある。(清水哲男)


April 0741999

 春泥にテレホンカード落しけり

                           神谷博子

藤園「おーいお茶」新俳句大賞作(一般の部B・40歳以上65歳未満・応募総数六八九八九句・1998)。茶と俳句というと古風なイメージに写りやすいが、この俳句コンクールは「思ったことを季語や定型にこだわることなく、五七五のリズムにのせて詠めばよい」という至極自由な条件から、若者にも人気を博している。そういうわけで、この句も技巧的な上手下手とは関係のないところでの入賞だ。なによりも、素材の現代性が評価されたのだろう。入選作を集めた冊子「自由語り」に、作者の弁が掲載されている。「買い物の途中、ちょっと家に電話しようと思った時、テレホンカードを、足元の泥水の中に落してしまいました。アスファルトばかりの現代で、ぬかるみこそ見かけなくなりましたが、汚れたカードを拾おうとしながら、ふと『これも春泥(しゅんでい)かな』と思いました」。面白い着眼だと思う。要するに、雨上がりか何かで汚れた鋪道のちょっとした泥水に「春泥」を感じたというわけだ。うーむ、なるほど……。でも、残念なことに、作者のこの微妙な感覚を句は一切伝えていない。選者たちも、本物の「ぬかるみ」と受け取っている。私としては、作者の弁そのものが作品化されていたら、どんなに素敵だったろうかと思い、あらためて句作りの難しさを考えさせられた。(清水哲男)


March 0732001

 泥濘に児を負ひ除隊兵その妻

                           伊丹三樹彦

季句としてもよいが、句の「泥濘」は中身に照らして、この季節の「春泥(しゅんでい)」と読んでおきたい。徴兵制のシステムに詳しくないので、あるいは季節を間違えているかもしれないが、御容赦を。戦前の皆兵時代には、兵役につくと、普通は二年で満期となった。その晴れて満期となった日の光景だ。以下は、作者の弁。「営門前には、満期兵の家族たちが喜々として、これを迎える。中には留守の間に生れた幼児を背負うた若妻の姿も混る。青野原は赤土が多くて、雨が降ると泥濘となる。その上、戦車の轍(わだち)が幾筋もあって極めて歩き難い。でも健気な妻は、夫に愛児を見せようと、慎重な一歩一歩を進めるのだ」(「俳句研究」2001年3月号)。さながら無罪放免の感があるが、当人や家族の喜びは、いかばかりだったろう。赤ん坊を早く見せたくて、若妻は転ばないように慎重に歩を進めながらも、きっとそのうちには裾の汚れなど気にせぬほどの早い足取りとなっただろう。わずか半世紀少々前の、これが庶民の当たり前の現実であった。そしていまもなお、お隣りの韓国をはじめとして、徴兵制を敷いている国はたくさんある。そんな「世界の現実」を普段はすっかり忘れているが、とにもかくにもこの国に徴兵制がないことを、私たちはもっともっと喜びと誇りとしなければ……。日本の春の泥道はいま、たしかに歩きにくい。しかし、いくら歩きにくくたって、まだ歩けないほどではないのである。揚句での「泥濘」は、徴兵制そのものの暗喩のように、今日の読者に突きつけられているようだ。(清水哲男)


February 0522002

 春泥に歩みあぐねし面あげぬ

                           星野立子

語は「春泥(しゅんでい)」。春のぬかるみ。春先は雨量が増え気温も低いので、土の乾きが遅い。加えて雪解けもあるから、昔の早春の道はぬかるみだらけだった。掲句には、草履に足袋の和服姿の女性を想像する。ぬかるみを避けながら、なんとかここまで歩いてはきたものの、ついに一歩も進めなくなってしまった。右も左も、前方もぬかるみだ。さあ、困った、どうしたものか。と、困惑して、いままで地面に集中していた目をあげ、行く先の様子を見渡している。見渡してどうなるものでもないけれど、誰にも覚えがあると思うが、半ば本能的に「面(おも)あげぬ」ということになるのである。当人にとっての立ち往生は切実な問題だが、すぐ近くの安全地帯にいる人には(この句の読者を含めて)どこか滑稽に見える光景でもある。作者はそのことをきちんと承知して、作句している。そこが、面白いところだ。我が家への近道に、通称「じゃり道」という短い未舗装の道がある。雨が降ると、必ずぬかるむ。回り道をすればよいものを、つい横着をして通ろうとする。すると、年に何度かは、掲句のごとき状態に陥ってしまう。上野泰に「春泥を来て大いなる靴となり」がある。『實生』(1957)所収。(清水哲男)


April 2942003

 飛ばさるは事故かそれとも春泥か

                           岡田史乃

通事故にあった句。一瞬、何が自分の身に起きたのかがわからなくなる。私の場合は、こうだった。もう深夜に近い人影もまばらな吉祥寺駅前の交差点で、信号はむろん青だったが、普通の足取りで渡っていたら、前方の道から走ってきた右折車が有無を言わせぬ調子で突っ込んできた。あっと思ったとたんに、私の身体は嘘のように軽々とボンネットに乗っており、次の瞬間には激しく路上に叩きつけられていた。ボンネットに乗ったところまでは意識があったけれど、下に落ちてからは、掲句のように頭が真っ白になった。何が何だかわからない。したたかに腰を打って、しかし懸命に立ち上がったところに運転者が降りてきた。「大丈夫ですか」。こんなときにはそんなセリフくらいしか吐けないのだろうが、大丈夫もくそも、こっちの頭は大いに混乱している。とにかく歩道にあがって、そやつの顔を街灯で見てみると、こっちよりもよほど若く、よほど顔面蒼白という感じだった。私が黒いコートを着ていたので、まったく見えなかったと弁解し、「すみません、すみません」と繰り返すばかり。名刺はないけれど、近所の中華料理店で働いていると店の名前と場所と電話番号をメモして渡してくれたので、こちらもとにかく立ててはいられるのだからと、警察沙汰にするのも可哀想になってきて、今後は気をつけるようにと放免してやった。ところで最近、この句の「飛ばさるは」について、「飛ばさるるは」ないしは「飛ばされしは」でないと表現上まずいという人たちの話を雑誌で読んだ。事が事故でなければ、たしかにまずい。しかし、文法的な整合性に外れていると知りつつも、あえて作者は「飛ばさるは」として、交通事故にあった切迫感を出しているのだと思う。そのへんの機微がわからないとなると、俳句の読者としてはかなりまずいのではなかろうか。「俳句」(2000年3月号)所載。(清水哲男)


April 1642004

 棟上げや春泥をくる祝酒

                           鶴田恭子

語は「春泥」。家の新築は、一世一代の大事業だ。作者の家の新築か他家のそれかはわからないが、句の全体に滲んでいるのは、新築主の誇らかな喜びである。苦労の果てにやっと「棟上げ(むねあげ)」にまで辿り着いた安堵心と達成感とが、春泥の道を運ばれてくる「祝酒」を通して、婉曲に表現されている。施主にしてみれば「やったぞ」と誰かれに叫びたいくらいの気持ちではあろうが、そこをぐっと抑えるのが美徳というものだ。ひとりでにこぼれてくる笑みを噛みしめるようにして上げた目に、春の泥道が嬉しくもまぶしく光っている。たとえ他家の棟上げであるとしても、作者にはその心中がよく理解できるので、素直にともに寿ぐ気持ちがこう詠ませたのだ。棟上げといえば、私の子供のころには餅や小銭を投げあたえる風習があり、出かけていくのが楽しみだった。これもまた建築主の喜びの表現だったわけだが、しかしこの風習自体にはもっと教訓的な意味もあったようだ。最近読んだ中沢正夫(精神科医)の『なにぶん老人は初めてなもので』という本に、こんな記述がある。ローン制度のないころだから、新築のためには若い頃からコツコツと金を貯めなければならない。だから、新築は晩年の大事業であり、人生の総決算みたいなものだった。「大きな立派な家を建てることが、自分がいかに質素倹約誠実に生きてきたか、それまで不便や不自由に耐えてきたかを世間に披露することでもあった。餅を拾って食う子供たちにも、これを建てた人の生き様--ひたすら備え、不便に耐えてきたことが他の大人から聞かされた。オレもいつか、こういう大きな家を建てようと子供心にも思ったものである」。すなわち、備える耐えるが庶民の美徳の第一とされた時代ゆえの餅まきだったわけで、そう考えると、ローン時代にこの風習が消えたことの意味も判然としてくる。『毛馬』(2004)所収。(清水哲男)


March 1232007

 春泥をわたりおほせし石の数

                           石田勝彦

語は「春泥(しゅんでい)」。春のぬかるみのことだ。ぬかるみは、べつに春でなくてもできるが、雪解けや霜解けの道には心理的に明るい輝きが感じられることもあって、春には格別の情趣がある。明治期に松瀬青々が定着させた季語だそうだ。ぬかるんだ道をわたるのは、なかなかに難儀である。下手をすると、ずぶりと靴が泥水にはまりこんでしまう。だからわたるときには、誰しもがほとんど一心不乱状態になる。できるだけ乾いている土を選び、露出している適度の大きさの石があれば慎重に踏んでわたる。よほど急いででもいない限り、そうやって「わたりおほ」した泥の道を、つい振り返って眺めたくなるのは人情というものだろう。作者も思わず振り返って、わたる前にはさして意識しなかった「石の数」を、あらためて確認させられることになった。あれらの石のおかげで、大いに助かったのである。なんということもない句のように思えるかもしれないが、こういう小さな人情の機微を表現できる詩型は、俳句以外にはない。この種の句がつまらないと感じる人は、しょせん俳句には向いていないのだと思う。『秋興以後』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


December 18122007

 かまいたち鉄棒に巻く落とし物

                           黛まどか

会的センスを求められがちな作者だが、何気ない写生句にも大きな魅力がある。通学路や公園の落とし物は、目の高さあたりのなにかに結ばれて、持ち主を待っているものだ。それはまるで公園のところどころに実る果実のように、マフラーや給食袋などがいつとはなく結ばれ、またいつとはなくなくなっている。ひとつふたつと星が出る頃、ぽつんと明かりが灯るように鉄棒に巻かれた落とし物が人の体温を伝え、昼間鉄棒にまといついていた子どもたちの残像をひっそりとからみつかせている。また、かまいたち(鎌鼬)とは、なにかの拍子でふいに鎌で切りつけられたような傷ができる現象をいう。傷のわりに出血もしないことから伝承では3匹組の妖怪の仕業などとも言われ、1匹目が突き飛ばし、2匹目が鎌で切り、3匹目が薬を塗る、という用意周到というか、必要以上の迷惑はかけない人情派というか、なんとも可愛らしい。この妖怪じみた気象現象により、夜の公園でかまいたちたちがくるくると遊んでいるような気配も出している。〈春の泥跳んでお使ひ忘れけり〉〈ひとときは掌のなかにある毛糸玉〉『忘れ貝』(2007)所収。(土肥あき子)


March 2332011

 うらなりの乳房も躍る春の泥

                           榎本バソン了壱

もとの辞書によると、「うらなり」は「末生り/末成り」と書いて、「瓜などの蔓の末に実がなること。また、その実。小振りで味も落ちる」とある。「うらなり」は人で言えば顔色がすぐれず元気のない人、という意味合いもあるが、この句では「乳房」を形容していると思われる。「小振りで味も落ちる乳房」という解釈こそ、バソン了壱好みの解釈と言えそうである。春の泥は、雪が溶ける春先のぬかるみだから、いよいよ春を迎えて心がはずみ、気持ちがわくわくと躍動する時季である。豊かな乳房が躍るのは当然過ぎるけれど、「うらなりの乳房」だって躍動せずにはいられないうれしい時季であり、そこに着目したところに春到来の歓びが大きく伝わってくる。じつは春泥をよけながら、やむを得ず跳びはねているのかもしれない。近年は道路の舗装が進み、よほどの田舎道でないかぎりぬかるみに遭遇する機会は少なくなった。ところで、春泥に躍っているのは何も乳房(女性)だけではない。男性だって躍る。――「春泥に子等のちんぽこならびけり」(川端茅舎)、ほほえましい春泥の図である。バソン了壱には他に「地平線幾度書き直し冬の旅」「この狭き隙間に溢るる臓器学」などがある。『少女器』(2011)所収。(八木忠栄)




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